ザ・シティロード
その日、海堂は街を歩いていた。
部活動も休みも完全にオフの日。
散策、というような気軽のものではなく、必要に迫られて買い物にやってきたのみで、その時は帰り道へと直進している最中だった。
手塚とリョーマとを、車線を挟んだ人込みした道の向こう側に見つけた時は。
休日に加えて、天気は良好。快晴過ぎず、適度に雲が空をのんびりと走っていて、思わず外に出かけたくなるような日。
繁華街は海堂の予想通りに人の流れが凄い。
日本の首都の繁華街ともなれば、一歩進むにしても大変だ。前にも後ろにも左右どちらを向いても人、人、人。
無理に前を歩く人々を抜かそうと急いてはいけなく、かと言って歩調を緩め過ぎると後ろがつかえる。
しかも、対向から流れに逆らってやってくる人間もいたりして、道ひとつ歩ききるにも中々にテクニックがある。
喧噪の街中を歩くよりも、一人でトレーニングとして走り込むことの方が断然多い海堂はどうしても人とぶつかってしまう。
相手が避けるだろうか、それとも自分が避けるべきだろうか、と考えているうちに、いつの間にか距離が詰まっていてぶつかってしまう。
人を避けきれなかったり、向かって来る人間が作るスペースが明らかに人一人通れない狭さだったりして、歩いているだけという簡単な行動なのに、みるみるうちに海堂の中にはフラストレーションが溜まっていた。
前を並進している高校生と思しき人間にも腹が立つ。―――こうなってくると、もう何でも連鎖的に腹が立つものだ。
一列で並んで歩けば、自分はさっさと追い抜かして前へと進める。颯々と帰宅することができる。
ああ、腹が立つ、と恨めし気に一人ごちた時、何気なく向こう側の歩道を見た時に、発見したのだ。
見慣れた二人組。
生意気なルーキーと、威厳に満ち満ちた部の長の二人組。
なんでこんなところであの二人組が、と一瞬不思議に思うが、ふと、先日に噂で聞いたことを思い出す。
あそこの二人は付き合い始めたとかなんとか。
今日は誰でも初夏の陽気に誘われて外へと行きたくなる日だから、大方デートなのだろう。
道の向こうで恋人同士の時間を楽しんでいるであろう二人も、海堂と進行方向は同じらしい。
海堂はあちらに気付いたけれど、あちらは自分には気付いてはいない。
人込みの中から様子を盗み見る様に窺えば、群衆に紛れて見え難いが手を繋いでいた。飽く迄、リョーマが手塚の指の先を軽く握るといったソフトなものだけれど。
これだけ人がいれば見え難いだろうが、よくもまあ公衆の面前でやってのけるものだと、海堂は内心呆れる。
人込みはのろのろと動く。海堂もそれに呑まれてのんびりと足を動かす。
そんな海堂とは裏腹に、道向こうのリョーマ達はすいすいと前へと進んでいく。
始めはほぼ直線上の距離にいたのに、海堂が緩慢に進まされている間に、二人を追う視線が前方へと進んでいることを自覚して、海堂はそれを悟った。
向こうの方が全体の速度が早いのか、と思えばそうではないらしく。似た様な鈍速さで人波は動いている。
その間を縫うように、リョーマと手塚は進んで行く。
リョーマが手塚の前を歩み、手を柔らに繋ぎ乍ら。笑顔の花の咲いたリョーマの顔が、彼が手塚を振り返って何かを話す度に群衆の中で煌めく。
その様は若干の距離と人込みを間に挟んでいるのに海堂の目にも佳く映えた。
一方の手塚はただ幼子が母親に手を引かれるようにリョーマの後を辿々しく歩く。その手塚の顔も、時々思い出した様に少しだけ綻ぶ。
海堂が初めて見る手塚の表情だった。
強さを増した日差しが、大勢の人間の中で彼等だけを照らしているように、海堂の目にはやけにくっきりとクリアに見えた。
その様に、羨ましいわけでも悔しいわけでもなんでもない筈なのに、フン、と小さく漏らしていた。
そんな間にも、リョーマと手塚は人込みを器用に分け入って軽快に前進していく。あれだけ楽々と進めたらさぞや気持ちもいいことだろう。
しかし、どうしてあんなに易々と進んでいけるのだろうか、と海堂はふと疑問に思う。
手塚の手を引くリョーマはちらちらと頻繁に後ろを振り返っているというのに、進行方向からやってくる人間を綺麗に躱す。
対向者も並進しながら会話をしていて、明らかに前を向いていない、つまりはお互いどちらも前方を向いていないのに、リョーマはあたかもきちんと見えているかのように肘のひとつもぶつからないようにして進んでいた。
そんなリョーマの後を従順そうに付いていく手塚も、身体のどこも誰ともぶつけずに足を進める。
どんどん背中ばかりが見えていく二人を視線で追い掛けながら、海堂は色々と気付いていっていた。
リョーマの後を追うだけの手塚が不意に周囲の人間とぶつかりそうな時は、握った手でリョーマがゆっくりと手繰ってやって回避させていたりだとか、
人の波間に余裕がある時に並進する時はさり気なく、車道側をリョーマが歩いたりだとか。
そして、ああも軽快に足を進ませることができるのは、リョーマが箇所箇所で手塚を気遣いながら鮮やかな程に人込みを避けているからだと海堂が気付いた時には、長身の手塚の後頭部が小さく視線の先に見えているだけだった。
背も低く腕も足も細い、幼い少年だというのに、どうやら既に彼は『きちん』と逞しいらしい。
完全に二人が見えなくなってから、感心した様に、ふぅん、と海堂は鼻を鳴らした。
翌日。
がちゃり、と扉が開かれる。
「おはようございまス」
「越前、ぎりぎりじゃないか」
「しかも、ホントについさっき起きたって顔してるね」
「おちびー、あと3分だけ早く起きる努力してごらん?ね?」
「むりッス」
ふわ、と盛大に欠伸をして、溜息混じりに声をかけてくる先輩達の脇をすり抜けて自分のロッカーへと辿りつけば、
「…やるじゃねえか」
ポン、と急に肩をたたかれてそんな声が降って来る。
未だ寝ぼけ眼のまま、肩に置かれた腕を辿って声の主の顔を見上げれば、何故だか晴れ晴れとした顔をした海堂がそこにいた。
「は?」
唐突にかけられた言葉の意味が把握しきれず、ぽかんとリョーマが海堂を振仰ぎ続けていると、二度三度、肩をまた叩かれて、そして海堂はその場を辞してコートへと向かった。
「…なに、いまの?」
リョーマだけでは無く、その場に居た全員が不可思議そうに首をひねった。
ザ・シティロード
都会の道をね、きっとあの子なら器用にすいすい進むんだろうなあ、と思って。
やっぱ男はさりげなさでしょう!
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