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I'm coming
















あれは、どんな声をしていただろうかと、東京へ向かう飛行機の小窓から雲の波間を眺め乍ら、手塚はふと思った。

どんな声をしていたか。
どんな姿をしていたか。
どんな目の色をしていたか。
どんな笑い方をしていたか。
どんな、喋り方だっただろうか。

全て、忘れる訳がない。
何ヶ月も離れていた訳ではないし、何よりも、離別を余儀なくされたあの日からずっと姿や仕草のひとつひとつを頭の中で反復し続けていたのだから、忘れる筈はなかった。
声は時折、電波に乗って届いていたし。彼の身の周りに起こっていたことも、端々を伝え聞いた。

変声期を疾うに終えた自分よりも、まだまだ高い声。自分よりもずっと低い背丈。
くるくるとよく踊る、猫に似た円らな目に宿る光は誰よりも厳しく、強い。
あの目が、自分を捉えて離さないことを、己自身が知っている。

ぼんやりと外を眺めていれば、自然と頬が緩みそうになる。隣席にも人は座っているし、そんな奇妙な真似は到底できない。だから、表情筋を律し、口許が綻ばない様に、目許が解けてしまわない様にと、俄に緊張させた。


後少し。
後、半時間もしないうちに、旅立ったあの場所へと還る。還ることが漸く叶う。
……。ああ、いけない、また顔が笑いそうになる。
手塚は口許を押さえた。


今日帰ることはリョーマには伝えていない。
突如姿を現した自分を、どうやって迎えてくれるだろうか。
考えるだに、顔が綻ぶ。もう、いっそ声をたてて笑い出し気分に駆られる。鼻歌でも、ついでに歌ってやろうか。
某ルードヴィヒ氏の歓喜の歌でもひとつという気すら起こる。

もう、後から後から押し迫ってくる笑みをやりこめる事なんてできない。どうせ、窓の外を見ている自分の顔など、隣の見知らぬ人は見えないからいいだろうか。後ろの席との間にはシートが衝立てになっていてこちらからも窺うことは不可能だ。つまり、後部座席の人間にほくそ笑んでいる様を覗かれる心配はない。それならば、もう、想いのままに―――

手塚は、そっと口許を緩めた。流石に鼻歌は周囲に聞こえそうなので、やめた。


窓の外が白くなる。雲を擦り抜け、天上から下界へと。


どうやって、迎えてくれるだろうか。
手塚の夢想はまた其所へと還る。
伏せた目蓋の裏側には、頭一つ分はある身長差のせいで、いつも見ていた、仰視してくるあの顔。
黒目がくるりと上を向いて、口端を悪戯めいて吊上げた、いつものあの顔と独特な世界単一の雰囲気。
あれとの再会が叶うまで、あと、少し。

なかなか崩さないポーカーフェイスを、流石に崩してくれるだろうか。目をハッと見開いて、2度3度、ぱちぱちと屡叩いたり?
ぽかんと、呆ける姿も滅多に見られないから、それでもいいかもしれない。きょとんと目を丸め、間抜けに口を薄く開いて。
実物だと、信じてくれるだろうか。

このままのポテンシャルで再会を果たしてしまえば、逆にこちらがあちらを抱きかかえて、くるくるとその場で軽くステップでも踏めそうだ。
そんな自分と出逢った覚えが生まれてこの方、一度も無い。
富に酷い高揚感に包まれていることを、手塚は自覚した。自覚しても、抑えきれそうになかったけれど。

それとも、こちらが行動に出るよりも早く、見留められた瞬間に、満面の笑みで抱きついてくるだろうか。ひょっとすると、いきなり唇を塞がれるかもしれない。
あれは、出逢った頃から手の早い生き物だったことだし。その可能性は充分に有り得そうだった。
…それもいい。

キスなんて、どれだけご無沙汰だろう。

漏れ出てしまう笑みをつい濃くして、手塚は頬杖をついた指先で、自分の唇に触れた。
触れ合えるまで、あと僅か。
それまでには、一度家に戻って、それから全国大会の抽選の場へ行ってからのことになるけれど。

キスがしたい。
唇を撫ぜているうちに、そんな衝動が擡頭してくる。背に腕も回したいし、きつく抱き締めても欲しい。
発つ前は、あんなにも恥ずかしがって敬遠していた事を、幾つもやって欲しくなる。
空港のロビーで衆人環視の中だろうが、今ならきっと気になど留めない。
現に、まだ顔も見ていない今ですら、もう周りが見えていない。見えているのは、霞んだ一足早いリョーマの幻想の姿。

どこまでもボールを追いかけていける、撓やかな足のバネ。
将来の成長の兆しを見せる、姿形の割に大きな掌や足のサイズ。勿論、手塚よりは一回りは小さいけれど。
下手をすれば、来年の今頃にはほぼ同じ大きさになっているかもしれない。あれは、極端に成長が早そうだ。
旅立つ前ですら、あれだけ早熟な少年だったのだから。
いつも背伸びをして、精一杯格好をつけて。不敵に笑う口許はあの少年だけが特等に似合っていた。
あの柔らかな髪から立ちこめる匂いが鼻孔を通り抜けていく感覚が懐かしい。髪に、惜しみ無く埋もりたい。想像するだけで、懐かしいあの香りが漂った気がして、手塚の胸が騒いだ。

窓の外、遠くに、緑の禿げた都会特有の色。コンクリートジャングルのあの中に、また還る。
辿り着くまで、あと、僅か。

はやく、はやくと、誰かが頭の片隅で騒々しく声を張り上げる。
はやく、はやく。

はやく、「おかえり」と、懐かしい、透き通ったあの声が聞きたい。
はやく、「ただいま」と、あの耳に零してやりたい。


銀塊が、大地に降り立つまで、あと、僅か。


















I'm coming
手塚、楽しそうだ…!わたしも楽しい! 国光おかえりなさい記念。2004年11月29日のこの記念日に。
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