Sequela
日は明けて、翌日。午前某時刻。
「オハヨーゴザイマス」
開扉する音と共にやる気が無い様にも聞こえる寝惚けた声がして、着替えていたレギュラー一同はそちらへと振り返った。
起床したまだ何十分と経っていないのだろう我等が期待のルーキー様がテニスバッグを肩に担いだ格好で、後ろ手にドアを閉めて専用に誂えられているロッカーへと足を進めていた。
その背に、全員が昨日見た白く雄大な翼は既に無く、河村と手塚以外の全員は揃って首を傾げた。
「越前、羽はどうしたんだい?」
率直に、乾がそう問う。
学生服を脱ぐ手はそのままに、リョーマは乾を振り向きもせずに口を開いた。
「回収されていきました」
「回収?誰に?」
「…あー、多分、オレより部長の方が説明上手いと思うんで、そっちに聞いてください」
ただ、取り去れきれない眠気のせいで口を開くことが億劫なだけなのではないだろうか。
そう確信を抱ける程に、ボタンを外していくリョーマの手は酷くのろのろとしている。朝には滅法弱い。
「手塚?」
くるりと乾はリョーマに向けていた正面を改めて、部室の一角でグリップテープを巻き直している手塚の方を向いた。
名を呼ばれて面を上げた手塚が、乾と目が合ったことで非常に嫌そうな顔をした。
「……どういう事だい?」
問われて、それに答えるのが面倒くさい、とでも言うかの様に渋面を濃くしてから、乾を手招き、隣に座らせる。
そして、作業の手は止めぬまま、
「……斯々然々」
「ふんふん」
手塚の話を聞き乍ら、乾は隣席で神妙に頷いてみせる。
「是々云々」
「なるほどね、そういう事だったのか」
「…そんなカクカクシカジカで説明が成立するのってちょっとおかしいよ…」
会話を直ぐ傍で聞いていた菊丸が、不審気にそんな二人を見遣る。
「そうか?」
「そうだよ。字面だけだからって楽しちゃってさあ」
日本語って便利ですよね。
まあ、ともかく、と前置いて、乾は腰を上げた。
「俺の推論は正しかった訳だ」
「…そうか?」
「やっぱり砂糖だったんじゃないか!越前の羽は!」
「そこのところだけな…」
「あー…食っときゃ良かったですかねェ…」
もぞもぞとTシャツから頭を出しながらリョーマ。
乾は不敵な顔で振り返る。
「天上世界の正体不明な成分も入っていたみたいだからそれはお勧めしないね、越前」
「ウィース。……………ん?部長」
先程、手塚が乾を呼んだ仕草と同じ動作で、ひょいひょいとリョーマが手塚を手招く。
乾への説明の時には、止めなかった作業の手を容易に止めて、手塚はリョーマの隣へと向かう。
こんな些細な事ですら、くっきりと愛情の差をつけられていることは、差別化を計られた乾自身が一番強く感じている。
まあ、敵おうとは思ってはいないけれど。
「どうした?」
こちらを見上げてくる双眸を覗き込み乍ら手塚がそう問えば、リョーマは無言のまま、自分の背中を指差した。
小首を傾げつつも、手塚もその指先を辿ってリョーマの背中へと視線を移した。昨日までは、預かりものがそこに根を張っていた其所。
「背中が、どうかしたか?」
「…………なんか、痒いんだけど…」
「…………………」
「……」
すとんと両者の間に落ちる沈黙。
その様を眺める周囲は不思議がる顔だ。
彼等は、翼が生えてきたその瞬間の出来事には立ち会っていない。
「……お前、昨日から今日の間に、誰かに何か貰ったか…?」
「…えと、昨日、部長が帰るの見送った後に、隣のおばさんにキャラメルと、向かいのお婆ちゃんからおかきと、夕刊配達してた人からガムと……」
「飴、いや、ドロップか…それは貰わなかったか?」
「……あー………菜々子さんからそういえば缶入りのドロップもらった…一粒」
「…食べたのか?」
「………紙包みもされてないから、口に入れとくしかないじゃない…?」
「…食べたのか………」
うん、食べちゃった。
頬を引き攣らせながら、リョーマは乾いた笑いを浮かべる。その隣で手塚は激しい頭痛でもしているのか、顳かみを押さえつけていた。
「手塚、越前が飴を食べるのがそんなにいけないのかい?」
「…さっき、話しただろう?」
別に普通の事じゃないか、と宣う乾を、ゆっくりと手塚は振り向き、険のある目で見据えた。
そんな目で見られても、乾は不思議そうに首を捻るばかりだけれど。
「……やば…すっごい痒くなってきた…」
背中に手を回して、リョーマが患部らしい場所を掻き始める。
ああ、またか、またなのかと、手塚はうんざりする気持ちを抱き乍らも、リョーマのTシャツの背を捲り上げた。
もう発芽にかかっているものなら、仕様がない。
「…ピーク来た……」
「掻くな。掻いてもどうにもならん」
背に尚も回ろうとするリョーマの手を掴む。生理的本能からか、掴んだその手はわきわきと開いたり閉じたりを頻繁に繰り返していたけれど。
皮膚がむずむずする感覚に小さく暴れるリョーマと、その背を倦み疲れた様子で見遣る手塚と、一様に首を傾げる周囲との間で、音を立てることもなく、人生で二つ目の、
白翼が生えた。
噴出した際の勢いのせいか、羽毛の一つがふわりと宙に舞った。
風の無い、密封された小さな部屋でも空気抵抗を受けつつ、落ち葉が地上へと舞い踊るその様宜しく、緩やかに左右に振れ乍ら、羽は床へと落ちた。
言葉を無くす一同と、無表情のままの手塚と、それから苦笑う越前リョーマと。
「…お前、今後はドロップ授受は禁止だ」
「エー」
「あいつも…きちんと釘を差したのに伝えきれていない……」
リョーマのTシャツを捲り上げたまま、ぶつくさと手塚は昨日会ってそして昨日限りで別れた彼へと愚痴を忌ま忌ましそうに漏らした。
「…取り敢えず、お前はこのまま自宅へと直帰」
「エー!」
「菊丸、竜崎先生のところへ行って、車を出してもらうよう伝えてくれ」
「なんでー?」
「このまま歩いて帰らすと目立つだろう」
「なるほどねー。了解、ちょっと行ってきまーす」
ぴょんぴょんと跳ねる様にして、菊丸は外へと飛び出して行った。
その後ろ姿を見送る手塚の裾が、不意に引かれる。見下ろせば、リョーマが不満いっぱいを顔に湛えて見上げてきていた。
「…今後、お前はソレが回収に来られるまで自宅謹慎。俺との触れ合いもそれまでは禁止とする」
「…なんで」
「放っておけば、近いうちに取りに来るんだ。今回はそのまま放っておいてやれ」
精々、苗床として面倒を見てやるんだな。
fin.
そして歴史は繰り返す。
どうもお疲れ様でしたー
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