眼鏡越しの景色
眠た気な足取り。
ふらふらと揺れたその足取りで階段をひとつふたつと上っていく少年の後ろ姿に、手塚は見覚えがありすぎた。
昼ご飯を食べ終わった昼休みも始まったばかりの今の時間、きっと腹が膨れて、やや眠いに違いない。それで、きっとあの足取り。
ああ、そういえば。
「越前」
今日は彼が図書当番の日だ。
きっと階段を上って、今から図書室へ向かうところだったのだろう。
その足を、名を呼んで止めさせて、そして、振り返らせる。
「部長」
少しばかり驚きがちのその顔には、
「越前…?」
思わず、手塚が首を傾げる可笑しなものが乗っかっていた。
照れ笑いでもするかの様に、えへへと小さく笑ってから、リョーマはそれを――眼鏡のフレームを左手で押し上げた。
「どう?似合う?」
「似合うとかどうとかの前に………――お前、視力は悪くなかっただろう?」
ブレる球や素早いスイングを見続けると眼が疲れただとか、ぼやくぐらいに、動態視力すら良かった筈だ。
頭に疑問符ばかりを浮かべたまま、見上げてくる手塚に向かって、リョーマは外した眼鏡をぽい、と放り投げた。
緩く弧を描いて飛んだそれを、手塚は容易く宙で掴んだ。
「度は入ってないよ」
そう言われて、手塚はリョーマから放られた眼鏡を掲げて、ただの透明なプラスチック板を通して、天井を見上げた。
なるほど、確かに、視界に変化がない。
「伊達眼鏡など、何用で……?」
「や、別にそれが無きゃダメって訳じゃないけど、アンタが見てる世界を見てみたくて」
ただそれだけの為に、買ってみたと、リョーマは続けた。
掲げていた手を下ろして、玩具の眼鏡の蔓を畳み、リョーマに突き返すが、
「それはあげるよ」
に、と不敵に笑って、そのままリョーマは身を翻し、階段をまた上り始めた。
差し出した手はそのままに、手塚は手元に視線を下ろした。ただの板っきれのそれ。同じ世界を見て、何がしたかったのだろうかと、質し忘れていた。
そんな手塚の胸中を知ってか知らずか、踊り場でリョーマは足を止め、また振り返る。
いつもは見上げてばかりの長躯の手塚が、足下に見える光景は中々に爽快だ。階段を開発した人間を褒めてやってもいい。
「まずは、対等のポジションからじゃない?」
「対等?」
「アンタの見える世界を知れば、同じとこにまずは立てるかと思って」
いつまでも、知らない世界ばっかりあったんじゃ、悔しいからね。
小道具まで持ち出して、その成果はあったのか無かったのか、手塚がそんな風に尋ねれば、視界が窮屈になったと、リョーマは肩を竦めて返した。
「アンタも、そろそろ眼鏡やめて、もっと広い世界を見たら?」
「これはこれで、いいところがあるんだがな」
「まあ、いいけどね。アンタの好きにすれば」
苦笑して、リョーマは踊り場の名の由来の通りに、くるりとターンして、上の階への階段を上り始めた。
消えていくリョーマの姿を眼で追い、その影が見えなくなってから、手塚はリョーマから頂戴した伊達眼鏡を制服のポケットにしまった。
返す必要も、無いだろうし。
あれには、レンズ越しの世界など、似合わない。
裸のままの目で、極彩色な世界を眺めていればいい。それが、丁度似合いだ。
「あ、部長」
上階に消えたと思っていたリョーマが不意に手摺からひょこりと顔を出した。
手塚も、そちらを見上げた。……見下ろされるというのは、やはり、腹が立つ。特に、あの顔に見下ろされることは。
「なんだ?」
「後で、部長も図書室来るんでしょ?」
先に、向こうで待ってるからね。
笑顔で言われた何気ないそのセリフが、妙にかちんと来た。
眼鏡越しの景色。
越前メガネは果てしなく夢の世界へと誘ってくれますよね……下縁フレームとか…うん、いいなあ……(トリップ
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