これから何処へ行こう?
















「行ってきまーす」

外へと開いたドアを支えにし乍ら、上げた片足の踵を靴に仕舞い込み、リョーマは家の中へとそう告げる。
トントン、と玄関口で爪先を突いて、デートの支度は完了。確りと履けた足下を確認してから、顔を上げたリョーマの目に飛び込んで来るのは、わざわざ迎えにやってきてくれた手塚の姿。
遅刻されて街中でぼんやりと待つぐらいなら家に迎えに行く、と提案したのは手塚の方だった。

そんなに遅刻ばかりしていただろうかと、それまでの行いを振り返ってみれば、なるほど、リョーマ自身ですらも頷ける程に何度も待たせた覚えがあった。
息を切らせて待ち合わせ場所まで走る自分と、その待ち合わせ先でぼんやりと待ち続けていてくれる手塚の姿は、思い出そうとすればすぐに思い出せる程に当たり前になっていた。

リョーマとしては、毎回、待たせない努力、つまりはきちんと時間通りに起きる努力をしているつもりなのだけれど、それが報われた試しがない。

そして、まあ、実は今日もだったりして。

「…家に迎えに来てまで、待たされるとは思わなかったな」

手塚がドアベルを鳴らして、リョーマが今、こうして姿を見せるまでに掛かった時間は、支度に手間どったと言い訳できる様な可愛らしい時間を優に越えていて。
ドア前で待ち続ける手塚に、リョーマに代わって母親が何度も詫びに来ていた。

「ごめんごめん。ご飯食べながら顔洗って着替えて、めいっぱい急いだんだけど」
「………随分と器用なんだな」

人間業とは俄には信じられないぐらいに。
胡乱気に漏らした手塚に、お門違いにリョーマは褒めないでよ、と照れ笑いを浮かべた。



デートにはもってこいの快晴。
目的地は特に決めていないけれど、街を散策するにも丁度良い気候。春から夏に切り替わるこの時期は、こういった過ごしやすいリョーマ好みの日和が多い。
だからつい、寝穢さにも拍車がかかってしまうのだけれど。

どこへ行こうか?と、一歩踏み出してみれば、背後から名前でリョーマを引き止める母の声。
一度は浮かせた足をぴたりと止めて、リョーマは後ろを振り返った。そこにあるのはキャップ帽片手に、リビングの奥からぱたぱたとスリッパを鳴らして駆けてくる彼女の姿。

「なに?母さん」

そうリョーマが尋ねた次の瞬間には、頭の上にキャップ帽を乗せられる。

「今日は降水確率0%だってテレビが言ってたから、被っていきなさい」

突如、鍔で遮られた目の前を押し上げるリョーマに、初夏だからって太陽をなめちゃ駄目よ、と倫子は額を小突き、息子の頬にキスをふたつ。ひとつは左頬、もうひとつは右頬。
挨拶がてらにキス、という日本では新婚家庭ぐらいでしか見られない行為も、リョーマには手慣れたものなのか、母親が落としてくるキスに添って、顔の向きを左と右に緩く変えてみせる。

「いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってきます」

息子からも、母親の両頬へキスを送り、言葉でも挨拶を交わして、漸くリョーマの足が一歩、前へと進んだ。
手塚も、倫子に会釈をして、リョーマの後に従った。



たんたん、とどこかステップを踏むかの様な、ご機嫌なリョーマの足取り。その後に続く、手塚の淡々とした足取り。
リョーマには見慣れた近所を通り抜けて、駅まで続く大通りに出たところで、前進を続けていた体をくるりとリョーマは振り返る。足は後ろ向きに、方向は前へと進む。

「ねえ、なんでそんなに静かなの?」

その理由を聞くまでもなく、リョーマには歩き出してからの手塚の沈黙を解ってはいる。振り返った先にあった、浅く溝を刻む手塚の眉間。それが答えそのものだった。

何を、そんなに拗ねているのか。

「…危ないぞ。そういう歩き方は」
「都会の人間は、よけて歩くの上手いから大丈夫だよ。オレ、何かスネられる様なマネした?」

リョーマの言葉を立証するかの如く、前方から歩いてくる人間はこぞって後ろ向きに歩いてくるリョーマを巧みに躱して進んでいく。ただ、軒並みに大変迷惑そうな顔ではあったけれど。

拗ねている自覚は、多少ともあるのだろうか、

「……別に」

リョーマから視線を外して、ぽつりと手塚はそう漏らす。そして、ただ、と後付けで理由を述べ始めた。
正確には、理由のヒント、とでも言うべきか。

「お前は年上が好きだな、と思ってな」

よもや、とリョーマは手塚のその言葉にふとした予感を抱く。
仮に、出かけの挨拶の母親とのキスを詰っているのだとしたら、何と言うか、まあ、実に大人げない。
あれは試合の始まりと終わりに握手をするのと行為の意味的には、大した差は無い。
目の前のこの人だって、リョーマと出逢う前からゲームの前後には対戦相手と握手ぐらいしているだろうに。

第一、母親に嫉妬を抱くという時点で、ちょっと度量が狭い。
母親との間にある愛情と、目の前で膨れっ面をしている恋人との間にある愛情とは、質が全く異なるものだというのに。
そういえば、ちょっと前にも、手塚の母と仲良くお喋りをしていただけで、少し不機嫌そうでもあった。
『年上』には、どうも、手塚自身の母親も含まれているらしい?

子供だなあ、と年も身長も上の人間に、リョーマは苦笑を吹き出した。それのせいで更に機嫌を損なってしまったらしい険しい目に睨み下ろされる。

スピードを緩め、僅かに回ってリョーマは手塚の隣で彼の顔を振仰ぐ。
初夏の空を背景色に、手塚の顔がつん、とそっぽへ逃げた。

子供だね、と確信めいてリョーマはまた苦笑い。

「年上、好きだよ?甘いからね、可愛い子に」
「…自分で言うか?」
「特に2つ上で眼鏡の似合う人は特別に大好きだけど」
「乾のことか?」

まあいやだ、わざとらしい。
苦笑いがくつくつと可笑しさを多量に含んだ笑みに変貌を遂げる。

「アンタ以外に、オレが大好きだって豪語する人間いると思ってるの?」
「それはどうも」
「子供がヘソを曲げたの治すのって一苦労だよネー」
「いつも身に染みて痛感しているさ」

どうやったらこの大きな子供のご機嫌が取れるものか。治し方を楽しげにあれこれ夢想しながら、リョーマは手塚の手を取った。

「今日、どうしてほしい?どこに行きたい?」

お望みのところに連れていってあげるよ。

余裕の笑みを浮かべて、小さな大人はそう尋ねるのだった。


















これから何処へ行こうか?
拗ねる手塚。挨拶のキスは欧州だって聞いたんですが。アメリカでもしてるんスかねー?
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