あなたを待つ間に一杯の珈琲を
















カーテンを引いているというのに、開いた双眸が見た室内の光景が異様に明るくて、ベッドから身を起こした手塚は、まず壁掛けの時計で時刻を確認した。
次の瞬間に、言葉は出ず、ただ絶句するばかり。

「………」

文字盤を指し示す長い針と短い針は、午後も中盤の辺りに存在していた。
眠り過ぎた。……基、昨晩、頑張り過ぎた。

僅かばかり項垂れてみれば、自然と自分の腰許が視線に入る。身を起こした自分の腰の辺りに擦り寄ったまま寝息を未だ立て続ける小さな恋人の姿。出逢ってから時軸的には随分と経った筈なのに、彼はまだ小さい。
本人の口から毎日、明日大きくなる、という希望的観測の言葉が述べられているけれど、まだまだ先は長そうだ。
それでも、久々に会った友人等に言わせれば、随分と発育したらしいのだけれど。べったりと傍に居続けているせいで、手塚に彼の成長っぷりはあまり掴めていない。

緩慢な動作で、手塚はベッドを抜け出した。過剰に摂取した睡眠のせいで、頭が少し痛い。
ベッドを完全に立ち去る前に、ブランケットを1枚拝借。流石に、昨夜の名残のまま、つまりは全裸のまま、二人っきりの家と謂えど闊歩するのは御行儀が良くない。

ベッドの足下には、昨夜傾れ込んだ痕跡とばかりに、二人分のスリッパが四方に飛び散って脱ぎ捨てられている。
大往生中の実家の祖父が見たら一喝される躾の悪さだ。
こっそりとスリッパを整列させ、そのうちの一組を突っ掛けて手塚は掛布をはたはたとはためかせながら、リビングへと続く扉に向かった。







ケトルを火にかけ、湯気が立ち上ったところで、マグとインスタントのドリップコーヒーをそれぞれ二つずつ戸棚から取り出し、手塚はまた寝室に繋がる扉を開けた。
西陽に変化し始めた日光がカーテンの隙間から入り込む室内からは、健やかに成長する為に、尚も睡魔と懇意にするリョーマの寝息。
部屋の隅に足を畳んでおいたローテーブルをベッドの傍へと持ち出し、手塚は手荷物一式をその上へと乗せた。
リョーマが目覚めれば、何か簡単な食事も欲しがるかもしれないけれど、生憎と手塚側は膨満感にも似た感覚があるせいで、食物は正直欲しくない。
……腸内と胃袋の中に、しこたまリョーマの精液が詰まっているせいかもしれない。
自分の腑の中があの白い粘質の液で満たされている図を、リアルに思い描いてしまって、少しだけ気分が悪くなる。別に、見ず知らずの男のものではないから、別に構いはしないのだけれど。


マグをドリップ用のフィルターで覆い、如何にも安っぽい匂いのするコーヒーパウダーをそこに入れて、手塚は湯を注いだ。
例え、今日みたいに目覚めの時刻そのものが遅くとも、目覚めるのは手塚の方が先。いつだって、決まってリョーマは手塚よりもずっと遅くに目蓋を持ち上げる。

まあるく円を描き乍ら、湯を注ぎ入れれば、フィルターの中で焦げ茶色の粉が揺れ惑う。
濾された褐色の液が、一滴、また一滴とマグの中へと落ちた。
まずは、自分の分。
全ての湯が下り切るのを、背後の恋人の寝姿を眺め乍ら待ち、マグカップの中が完全に満たされると、手塚はゆっくりと珈琲を口に含んだ。
寝過ぎでややぼやけていた頭が、しゃっきりとしてくる。

相手のマグにも、ケトルを傾け、またフィルター内の湯の中で蠢く出来かけのコーヒーを眺め、ふと手塚はいつからこの大人の代名詞とも云える飲み物を飲み始めるようになったかを思い起こした。

幼少の砌には、きちんと子供らしい飲み物を飲んでいた記憶がある。オレンジやグレープの、華やかな色をしたジュース達。
それがいつの頃からか、祖父や両親が飲むコーヒーメーカーの中の褐色の飲料が気になって一緒になって飲み始めていた気がする。
そう遠過ぎる昔のことでは無い筈なのに、どうしても『いつの頃からか』という、瞭然としない記憶で位置づけられている。

ふむ、と小さく思案の声を漏らしつつ、自分用のマグを傾けて、手塚はまた湯気を立ち上らせる珈琲を飲んだ。

生憎と、自分がこれを飲み始めた時期は解らないけれど、背後で眠り続ける王子様が飲み始めた日の事は知っている。
丁度、今日みたいな日の朝。前日の晩に、多大な淫行に二人揃って熱心に耽って眠って、また今日みたいに手塚が先に起きた日。

あの時はまだ共同生活を始めていなくて、手塚が独り住まいをしていたフラットにリョーマが初めて訪れた時だったと、手塚は何故か鮮明に記憶している。
リョーマの訪問が、想像以上に嬉しかったのかもしれない。

あの日、手塚がやはり先に起きて、身体の節々がただの疲労とはまた違った悲鳴をあげる中、リビングに行って、珈琲を2杯点ててベッドサイドで自分の分を啜って。
胃が温まる感覚と共に、リョーマの目覚めをぼんやりと待っていた。

あの時と、今現在と、酷似していて、マグから離した口許を思わず手塚は綻ばせた。
あの日は結局、マグから立ち上っていた湯気が完全に消えて暫くしてからリョーマは目を覚ました。その時には手塚のマグカップの中は綺麗さっぱりと空になっていた。

あれから考えると、リョーマは早く起きる様になったのかもしれない。
手塚のマグ内の珈琲がまだ半分はある状態、リョーマの分のドリップコーヒーの最後の一滴がカップの中へと落ちたその時に、今日のリョーマは目を覚ました。

覚醒のその瞬間は、現実と眠りの世界との境目に気付かず、決まって周囲を見渡す。それから、すぐ傍に腰掛ける手塚にゆっくりと気が付いて、寝惚けた舌っ足らずな声で「おはよう」と一言。
眠りの世界に爪先を突っ込んでいる状態で起きれば、何故か敬語と一礼付きで挨拶をしてくる。次の瞬間に手塚が吹き出してしまうものだから、すぐに気が付くけれど。

今日は、現実世界側にこれでもしゃんと立っているらしい。

「おはよう」

待つ間に点てた一杯の珈琲を、手塚はリョーマの鼻先へと差し出してやったのだった。


















あなたを待つ間に一杯の珈琲を。
飲む。そして点てておいてやる。
…何が書きたかったんだとかは、あまり聞かないでやってくださると助かります。
ちょっとこういうシチュが書きたかっただけなんだと思います。多分。
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