月明かりに照らされた背中
















改めて、細いと思う。
物憂げに月を見上げるその背中が。


リョーマの眠りは常に深い。ちょっとやそっとの物音ではそうそう目は覚まさない。だから、我ながら、不意に目を覚ましてしまった今この瞬間は本当に珍しいと思う。

眠りの途中でそんな風に目を覚ましてしまった希有なこの瞬間に、一番に目に飛び込んで来たのは、いつの間に覚醒したのか、すぐ隣で上体を起こした格好で窓の外にぽっかりと浮かぶ上弦の月を見上げる手塚の背中。
常日頃、凛として垂直に伸ばされているそれをやや屈めて、頬杖を付き、言葉も歌も無く、ぼんやりと向こうを見上げて。

素肌の背を目の当たりにすれば、衣服を纏っているその時よりも、ずっと彼が痩躯である事実が浮き上がる。
現に、こちらに向けられている背は、背骨のひとつひとつや肩甲骨の輪郭が瞭然と見留められる。背ばかり高いくせに、それに伴った体重が欠けているせいだとは知っている。
何度か、食事を共にしているけれど、この人は別に食が極めて細いという訳ではない。伸び盛りの年齢相応な量をきちんと食べる。
ちゃんと食べるんだ、とリョーマが些か驚きを覚えるぐらいには。
あの食べたものが一体どこへ消えているのか、甚だ疑問だ。

こちらが目を覚ましたことには、どうやら相手は気付いてはいなさそうだ。勘付いた気配も、振り返る気配も、全く無い。
注意力散漫なのか、月を見上げる行為に没頭しているのか、解らぬ無言のままの背中に、また瘠せたのではないかと、リョーマは余所事を挟む。
手塚が月を見上げ続けたままなのと同様、リョーマは手塚の背中を布団の中から見上げ続けた。

何を思っているのか、不意に疑問を抱いた。
手塚がぼぅっとする事は間々あったけれど、そういう時は何かしら考え事を飛ばしていると相場が決まっている。
だから、何を考えているの、と唐突にリョーマは手塚の背に言葉を投げた。
そんなリョーマの声に、小さく手塚の肩が跳ねた。驚くのも無理は無いだろう。リョーマ自身も眠りの途中で目を覚ます今日の様な事態は珍奇なことなのだから、手塚からすれば、もっと珍しいに違いない。

背中同様、顔にも何も纏わぬまま振り返った手塚の第一声は、驚くだろう、だった。

「朝迄、寝穢く寝ている奴が変な時間に起きるものじゃない」

そんな変な時間に、月に愁い事を飛ばしている人間が何を云ってくれるのか。
手塚に倣う様にリョーマもやっと身を起こした。

「まさか、いつもこんな時間に起きてるワケじゃないよね?」

早起きにしたって限度がある。まだ月が沈んでいない早朝とも呼べないこんな時刻は、勿論早起きの対象外の筈だ。
流石にそうでは無いらしく、面映く苦笑した手塚の口からも、まさか、と呟かれる。

「お前とした日だけだ」

何を、とは敢えて言及しない代わりに、家では定時まできちんと眠っている、という様なことを手塚は告げた。
単語だけで恥ずかしさや照れがあるのかがあるのかもしれなかった。楚々が手塚のイメージのリョーマとしては、それは丁度良いけれど。

「オレとした日だけ?」
「ああ」
「その時だけ、こういう時間に起きるの?」
「ああ」
「起きて、いつも何をしてるの」
「何も」
「何も?」
「ただ、ぼうっとして眠気がまた来るのを待つだけだ」
「ぼーっと?」

”らしく”ない言動だな、とリョーマは訝しむ。
そうやって睡眠時間を削る真似をするから、無駄に体重を削っているのではないのか。

「ダメだよ、ちゃんと寝ないと」

ただでさえ、体力を消耗させた後なのだから。身体としては体力回復に必要な睡眠を要求してくるところだろうに。

解ってはいるのだ、と手塚は答えた。

「それでも、勝手に起きてしまうのでは、仕様がないだろう?」

無意識下の身体の行動なのだから。そう告げた手塚の顔は何故だか儚く見えて、リョーマの左胸がぎくりと音を立てた。
自分が声をかける前、向けられていたあの憂いた白い背が不意に思い出される。
リョーマと手塚本体とが知らない間に、彼の精神を磨耗してしまっているのではないかと、虚を突かれた気がした。

本来は抱かれる体で生まれついた訳ではないのに、こちら側の意志を押し通して組み敷いている事が。
彼自身も知らないどこかで、辛く思っている部分があるのかもしれない。

「……辛い?」
「いや?」

柔りと否定してくれる、彼自身でも知らないどこかで、落涙している彼がいるのかもしれない。
そう思うと、ごめん、と咄嗟に喉の奥から声が出てきそうになって、堪える様にリョーマは唇を引き結んだ。
何も、今の関係を強制しているのではないのだから、詫びることはないだろう、と思って。脅迫して関係を維持している訳でも、力に物を言わせて無理をさせている訳でもない。
相手も了承の上で、睦み合っている現状の筈だ。

それでも、万謝の言葉の群れは口内に犇めきだして、飽和を越えてしまった。

「ごめんね」

そう言って、リョーマは手塚に腕を伸ばし、その中に手塚を抱き込んだ。
腕の中に収まりながら、謝れる謂れを知らない手塚は戸惑った調子でリョーマの名前を呼ぶ。
そんな不思議がる手塚に、謝罪の意図を説明せず、リョーマは言葉を反復した。
ごめん、と。
こんな関係を築いてしまった自分を許して欲しい、と云う意味を込めて。自分が芽生えた気持ちに気付いて行動に及ばなければ、健やかな一人の男として人生を全うしただろうに、こうして道を外させてしまったことに対して。
この島国では、公には口にできないこの関係を、本体には隠して心を痛ませている、彼の根底へ向けて。

「ごめんなさい」

辛い恋にさせるつもりなど、無かったのに。
彼の気持ちに気付いてみろ、と自分の体は伝えたくて、こんな時間に起こしたのかもしれない。きっと、そうでも無ければ気付かずに暢気に彼と愛を囁きあっていただろうから。

月明かりばかりが照らす瘠せた背中を抱き締めて、リョーマはただ詫びた。

















月明かりに照らされた背中。
デフォルト越前はもっと太々しいだろうな、とは思うんですがね……うん。
現実の同性愛の人って、こういう気持ちになったりするんでしょうかねえー……周りにそういう人がいないのでわからない……うー……どうしてヘテロばっかりなんだろう…うちの周りって
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