Pudding before praise
















季節が移り変わる瞬間に、色と香りは実に如実に切り替わる。
青春、朱夏、白秋、玄冬。先達はよくも言ったものだと、通学路を歩き乍ら、手塚は思いを馳せた。
手を伸ばせば届く傍らには、晴れやかに束生する金木犀の小花達。







すっかり秋めいた今日この頃に、手塚にはとある習慣が出来た。否、作られた、という言い回しの方が的確かもしれない。
朝のHRが始まる前から、手塚が帰路に着く迄の学校滞在期間中、ひょこひょこと顔を見せては行われる、他の部員からの報告聴聞。
報せてくるメンバーは現役の者から、既に退役した者。実に様々。けれど報告内容は全て一貫していたりして。

皆迄云わずとも、お解りかもしれない。
手塚と云えばで直ぐに連想される、越前リョーマについて。

手塚が教室の扉を開ければ、本日第一陣の報告部隊は到着していた。あろうことか、手塚の座席にのんびりと座って。
最早、反射的に手塚は眉を顰めた。

「……不二」
「やあ、おはよう手塚。今日もいい朝だね」

確かに天気はいい。秋晴れも見事な麗らかな日。
そんな快然とした今日も、朝からまたアレなのかと、こっそりと溜息を漏らして手塚は不二が居る自席へと歩んだ。
小さな親切大きなお世話とは、きっとこういう時の為にある言葉に違いない。

「…で?」

手塚が歩み寄るとあっさりと不二は席を譲った。ここの主は本来は手塚なのだから、頑に居座られても困ってしまうけれど。
鞄を机の上に乗せて、中の物を引き出しに詰め乍ら手塚は不二へと尋ねた。

今日の報告事項は?という意味を込めてたった一言で。

にこり、と不二は可愛らしく笑んだ。秋らしく、不二の周りに瞬時に飛び交う花はコスモス。幻像だが。

「金木犀の身長を恨めしそうに見ている午前7時越前が居たよ」
「そうか」
「言い換えれば、秋の訪れにアンニュイな様子で金木犀を見上げている越前、というところかな」
「…そうか。ご苦労」

いいえ、どういたしまして。







第二陣も然程、間を置かずにやってくる。
不二が去って、朝のHR間近になって菊丸がぴょこぴょこと跳ねる様にして1組を訪れた。
教室の扉を開いて、中を覗き、きょろきょろと見回して手塚が席に居ることを確認すると猪突猛進宛らに手塚の目の前へと。

それまで視線を落としていた文庫本から顔を上げれば、まずは元気漲る朝の挨拶が降ってくるから、手塚なりに返す。

「今日のおちびは、キンモクセイの下で発見ー!」
「またか…?」
「また??」
「いや、独り言だ」

続けろ、とは手塚は言わない。視線をまた手元に落とした。
帰れ、とも言わないものだから、菊丸はマイペースに話の続きを喋り出した。

「キンモクセイをね、こうじーって見上げて、一発ドツいてた」
「どつ…?」

不穏な菊丸の言葉に、思わず手塚は顔を上げた。
上げ下げが頻繁で、ちっとも活字が追えていない。本は一息に読むものだとどこかの作家が言っていたが、全く以ってその通りだと思う。

そんな顔を上げた手塚の前で、こくりと菊丸は頷いてみせた。

「足で、ガンッて一発」
「……そうか」

学校の敷地内に元より有るものは、学校のもの。それを足蹴にするとは、何と不届きな。
そんな考えが手塚の脳裏を過った。
ジャイアニズムな彼な事だから、手塚の様に学校のものだからと思ったりもしないのだろう。

しかし、朝から物理的攻撃を何かに加えるというのはらしからぬ行動ではある。
菊丸を通り過ぎた黒板を見詰める。
部活で嫌な事があれば、何か物にあたるよりも、手っ取り早く桃城辺りで憂さ晴らすだろう彼が、何やら珍奇な行動に出ている。

結論を見出すには、情報が少な過ぎて、何とも言えない。ふむ、と一つ考える様に頷いてから、手塚はまた菊丸に目線を戻した。
戻ってきた視線を意識してか、菊丸は戯けた調子で敬礼してみせて、

「報告は以上であります。タイチョー」
「…ご苦労」

いーえ、どういたしましてv








3限目が終わったところで、遠慮がちに1組の扉を開く手があった。

「手塚」

そして手と同じく、控えめに投げられてくる声に手塚はノートや教科書を引き出しに収める手を止めた。
ゆっくりと振り返れば、本日の第三陣。河村の姿がそこにあった。

ああ、と気付いた様子で手塚は席を立ち、扉へと向かった。
扉前から名指しで呼び出すのは、彼だけだ。他の者は揃って遠慮も無く席前まで来てやんやと口弁を垂れて帰る。
考えように依っては、手塚の手を煩わせる河村の方が神経が図太くも思えるかもしれない。

それでも、呼び出されれば手塚はそちらへと向かう。
面識の無い、告白目当ての呼び出し係にも、面識の有りすぎる猫毛の1年坊主にも。誰にだって、きちんと応接する。

「越前なんだけど……」

前置かれずとも、解る。解るけれど、河村は語尾を濁しつつ敢えて前置く。
その続きを頷く事で促せば、

「キンモクセイをすごい勢いで蹴ってた」
「……また金木犀か」
「また?」
「ああ、こちらの事だ。気にしてくれなくていい」

河村が緩りと言及するには、恐らく体育からの帰り道。窓からふと見下ろしたところに居たあの後輩は、それまで昇降口へと進ませていた足を件の樹木の前で止めて、暫間見上げた後、ドスンと大きく蹴ったかと思うとそのまま、体操着から伸びた足で蹴りを繰り出していたと云う。
そして、それは予鈴のチャイムが鳴るまで続いたとか。

今日は彼の虫の居所でも悪いのだろうか。
河村からの報告を一通り聞き終わって、手塚が辿り着いた結論はそれだった。
喧嘩っ早い彼が物に当たるという行動も、思えば珍しい気がしないでもない。気に入らない事があれば、その気に入らない事をしでかした本人に報復を喰らわせるか、若しくは――先述した通りに――桃城相手に憂さ晴らしだ。

八つ当たりという陰湿な真似は仕出かさない人間だった様に思うが―――
手塚はリョーマの顔をふと思い浮かべて思案にくれかけるが、報告を終え、帰った方がいいのか、将又、雑談でもしていくべきなのかと妙にそわそわしている河村が視界に入った。

組みかけていた腕を手塚は解いて、

「ご苦労」
「いや、お安い御用だよ」









昼食の包みを片手に持って、階段を下っていた手塚を桃城が捕まえた。本日の第四陣、かと思って手塚が大人しく捕まってやれば、息を乱していた彼は報告部隊では無く、今日は越前直属の伝達部隊だった。

「キンモクセイのふもとで、待ってるらしい、ッス…」

ぜいぜい、と肩で息をする後輩は恐らく授業の終了のチャイムと共に手塚が下っている階段とは別の階段から3年のクラスが軒を並べるフロアまで行き着き、1組に手塚がいないと知るや否や、探し巡って此処に辿り着いた、という風であった。
そうでなければ、3年陣が引退してから日頃の鍛錬に手を抜いているのだろう。

「ご苦労」
「や、ホント苦労しましたよ…」
「……迷惑をかけるが、今後ともアイツには付き合ってやってくれ」

コレが居ないと、リョーマの憂さ晴らしの領域が下手をすれば学校全土に行き渡ってしまう様な気がする。
ひいふうと息をする桃城はうんざりとした顔を少ししてから、手塚の元から去った。






桃城から伝言された場所へ辿り着いてみて、手塚は溜息を零すか感心してやるか、一瞬迷った。

花屋のショーウィンドウに並べられている様な華やかさは無くとも、庭木ならではの藹々とした様子を持っているマットオレンジの小花達が緑の合間にいなかったせい。
その全ては、大地へと墜落し、小山を形成していた。そしてその中に埋もれて船を漕ぎ出している越前リョーマが一人。

小山の麓へ、手塚は足を進めた。青草を踏み締める時の音とは違う、しゃくりと云った音がした。思わず、手塚はそれがした足下を見詰めた。
…なんだか、遣る瀬無い。

金木犀を踏みしだいた音に、夢路に一歩を踏み出していたリョーマが目蓋をのろのろと持ち上げた。
怒るべきか嘆いてみるべきか褒めてやるべきか。どう対応するべきかを考え倦ねて、結局いつもの無表情で仁王立つ手塚を見上げて、彼は得意気に唇を吊上げた。

「いいでしょ、これ」
「…いい、のか?これは」
「いいとオレは思ってるんだけど。とりあえず、座ったら?」

リョーマに促され、手塚は隣に怖ず怖ずと腰を下ろした。噎せ返るような、あの甘い秋の匂い。

「蹴ったら花が落ちてきたから、作ってみた」

胸焼けした顔で昼食の包みを開く手塚を、寝転んだ姿勢から見上げて、リョーマは気楽な口調でそう告げる。
開花するまで時をうきうきと待っていたであろうこの橙の花達が聞けば百発くらい殴られてもし方がない様な安穏な調子。
ここは、嘆くべき場面だな、とやっと手塚は思い至って、はあ、と溜息を吐き出した。

「馬鹿の所作だな」
「バカでも何でもいいよ。だっていい匂いなんだもん」

埋もれてみたくなって。
多分、自主制作の理由をリョーマはそう答えて、寝返りを打った。希望通りに、今、彼は金木犀塗れになっている。
リョーマに先程まで掛かっていた部分の小花が彼の脇をさらさらと流れていった。

「加減、というものがあるだろう」

確かに、金木犀は佳芳と香る。そう香るけれど、それは飽く迄、傍らを通り過ぎる時にふわりと鼻孔を擽ってくる程度だからであって、山が出来る程のここまでの量だと、逆に香りに咽せそうになる。
今日の昼食をきちんと完食できるか、手塚は座っているだけでも不安だ。胸焼けが既に酷い。

手塚のそんな気掛かりを余所に、リョーマは二度三度、小花の海をごろごろとして、楽しそうな顔で身を起こした。
髪や肩や襟首、至る所に金木犀が引っ掛かっているけれど、リョーマにそれらを払う様子は見られない。それどころか、ぴすぴすと鼻を鳴らして匂いを嗅いでくすくすと笑うものだから、手塚は弁当の蓋を開けようとしていたその手を伸ばして、払ってやった。

ふかふかふさふさとした猫毛に絡まる金木犀と、肩口に固まって乗ってしまっている金木犀と、学ランの釦の影に潜んでしまっている金木犀と。
パンパンぱたぱたと払ってやれば、擽ったいのか、リョーマはくつくつと喉元で笑う。

襟口に蟠ってしまっている金木犀を払ってやったところで、彼女らが制服の下にまで入り込んでしまっている事に手塚は気が付いた。
傍から見れば、なんとも危うげに見えてしまうだろうが、黒の詰襟の前釦をひとつふたつと外した。
エッチ、と揶揄ってくるリョーマの戯れ言は無視することにして。

一度学ランから腕を抜かし、その場ではたはたと振れば隠れ潜んでいた橙がぽとりぽとりぽとりと幾つも落ちていった。
手にしている黒の制服も、彼女等が潜んでいたせいで移り香が濃厚だ。鼻を寄せずとも、漂ってくる。

ぱん、とまた振ったところで、手塚はふと手を止めた。考える様に、ふむ、と小さく漏らして、リョーマの制服を足下に置くと、次にはリョーマに手を伸ばして髪に顔を埋めてみた。
何事かの期待で、手塚の腕の中、嬉々と表情を綻ばせるリョーマには気付かないまま、矢張りな、と手塚は生み出した結論が誤りで無いことを知った。

「このくらいが丁度いいな」
「何が?」
「香りが」

噎せ返らず、淡過ぎず、漂うレベルの金木犀の甘い香り。
そこにリョーマの匂いと伴って、実に馨しい。

リョーマを抱き込んだまま、何度か手塚はその香りを嗅いだ。

減退した筈の食欲も、どうやら回復しそうだった。


















Pudding before praise。賞賛の前にプディング=花より団子
花の香りのするリョーマは美味そう、という、そういうオハナシ
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