均衡平衡
















手塚の滞在先にひょこりと遣って来たリョーマは、手土産らしい紙袋を手塚に手渡し、勝手知ったる廊下を遠慮なく突き進んで、後を付いて来た家主をリビングの椅子に腰掛けて待ち伏せた。
机に頬杖付いて、お茶は?と尋ねてくるでかい態度は、客が取るべき態度とは程遠い。それでも賓客然としているリョーマの方がどちらかと云えば気持ちが悪いから、手塚に渋い表情は浮かばなかった。
淡々としたいつもの顔で、リョーマの横を抜けて、リビングへと引っ込んだ。




ほっこりと湯気を立てる湯飲みを片手に、リョーマはリビングの壁に添って設けられている大きな窓を見上げた。
いつ来ても、果て無い程のミスマッチ具合だ。
窓の外に広がる景色はこじんまりとした日本には無い、雄大な異国の景色。それを眺め乍ら椅子に腰掛け、机を前に、湯飲みで熱い日本茶。…美味いから、別に文句は言わないけれど。

手塚は度々、このメゾネットを借りる。その度に、リョーマは此処を訪れる。此処以外にも、手塚の遠征先には何故だかきちんとやってくる。リョーマも、試合やトレーニングのスケジュールが忙しいだろうにも関わらず。
それがリョーマなりの誠意だということを手塚は心得て来たから、顔を出すリョーマに対して、近頃は小言は漏らさない様にしている。

「日本は春だったよ」

不意にリョーマはそう話題を振った。鶯色のまだ新しい湯飲みを傾けていた手塚は、ふと口を離した。
噂では無く、完全に目撃してきたものとして発したリョーマの言葉に、寄ってきたのか?と小首を傾げて問えば、お土産の中身見てないの?と返ってくる。
リョーマから預けられた小振りの紙袋はカウンターキッチンに置いてきてしまっていた。日本の土産なのか?と手塚は続けて尋ねた。

「桜湯」

端的に答えて来たリョーマに、それを先に言え、と思わず手塚は答えた。中身を確認しなかった手塚も迂闊ではあったけれど、先にそれを知っていたら、きちんと今この場に出したのに。
まだ湯飲みに残量はあるけれど、手塚は席を立って身を翻し、ベビーピンクのあの袋を持ってまた席へと戻った。
そのままの手で中身を取り出して机に並べる手塚を、リョーマはずるずると茶を啜り乍ら眺めた。未だに猫舌は健在だ。

桜湯と言えば、祝い事の折りに飲むものと相場が決まっているが、その辺りを手塚がリョーマに尋ねれば、見かけたからただ買ってきた、と風情の欠片もない返答が飛んでくる。
掌にちんまりと収まる小箱が幾つか出した後、手塚の手が掴んだのはやけに太い冊子。B5程度のそれの正体は掴めないまま、袋から取り出した手塚に、リョーマは手塚相手としては珍しいぶっきらぼうな調子で口を開いた。

手塚が冊子を机に乗せるトスンという音と、リョーマが湯飲みを置いたコトンという音がシンクロした。

「家、買おうと思って。日本に」
「家?」

呟いてから、手塚は手元に視線を落とした。冊子だったと思っていたそれはただ表紙がクラフト製のファイルだった。それの許容量以上くらいの大量の紙片が挟まれている。
表紙を手塚が繰ってみれば、直ぐに家の間取り図が紙一杯に書かれたものが見えた。

「まあ、お前の賞金を考えれば、そろそろ買ってみてもいいんじゃないか?」

世間一般からすれば大きな買い物だけれど、一試合で何百万、何千万、近頃増えてきたらしいCMのギャランティーからすれば、まあ、端た金だろう。
一枚、また一枚と黙したままページを繰っていれば、リョーマの口から桜が欲しいと呟きが落ちた。
桜?と半疑問系で手塚が反復すれば、桜、と肯定した調子で同じ単語が返る。

「庭付き一戸建て。平屋で、庭には桜。いいと思わない?」

桜はやっぱり日本で見るものだと思うんだよね。
意見を求めているのか、将又、ただの主張なのか、判然としない。手塚はそうだな、と小さく頷くだけに留めた。
視線を注がせている紙片には成る程、リョーマの希望通りの平屋の間取りしかない。狭い敷地に背の高い建物を建てて面積を稼ぐよりも、広い敷地を持ち要らざるを得ない平屋の方がずっと贅沢だろう。そしてそこに庭付きと来ているのだから、敷地面積は如何程になるものか。賞金稼ぎの筆頭のリョーマらしいといえばらしい。

「桜ひとつで桜餅にサクランボに桜湯、桜ご飯。桜って美味しいから好きだよ」

手塚が紙面に見入っているせいで、胡乱とした返事ばかりなものだからなのか、リョーマはふうふうと湯飲みの中身を冷まし乍ら、勝手に一人で喋る。
直ぐに情緒の欠片も無いな、と呆れた手塚の言葉が飛んでくるけれど。

ふ、と楽しそうにリョーマは笑い声を漏らした。

「勿論、食べ物ばっかりじゃなくてさ、ちゃんと考えてるよ」
「粋さを?」
「アンタに似合う家にしたい、って」

ぴたりと手塚がページを繰る手を止めた。紙面に印刷された住居のスペックが並べられた活字を追う目も止めて、恰も、恐る恐るとでも云うかの様にゆっくりと手塚は面を上げた。
そこにはもう、風雅の無い事を言う無邪気な子供は居なくて。いつの間にやらしっとりと大人に成長した二つ下の恋人が微笑んでいた。

柔らかく笑むその顔に、手塚はまだ慣れていない。手塚の記憶の中では、まだ朗らかに笑うばかりの子供の姿をした彼の方が印象が強いから。
首筋から耳朶にかけて、俄に上がった体温が這い上がってくる感覚が解る。少し遅れてから、どきりと胸を高鳴らせている自分に手塚は気が付いた。

「燻んだ日本の空と薄紅の花びらはいい案配だと思わない?」

きっと綺麗だよ、と歌にも似た口調で囁かれて、ああ、と朧げな相槌が手塚の喉から引きずり出された。
何だか、妙にそわそわしている。自分らしくない。
らしさを取り戻そうと律する事を試みるも、何故だか上手く働かなくて。つい先程までしていた紙を繰るという動作も不思議と出来なくて。
手塚はただ、リョーマの顔を見詰めた。

視線の先にある、リョーマの細められた目が手塚の手元へと落ちた。正確には、リョーマが焦点を向かわせたものは手塚の手ではなくて、それが握ったままの紙束。

「空以上に、桜にはアンタが似合うと思うんだよね、オレ」

そうか、と返した筈の手塚の相槌は奇妙に声がひっくり返っていて、一拍置いてからリョーマがプッと吹き出した。
耳をくるりと越えて、頬や目尻に熱を持たせてくるのは、どういう謂れなのか。解り切っていることなのだけれど、認めたくなくて、ただ手塚は黙したままで内心不思議がった。

「ねえ」

紙の端から離した手は手塚の指先を小さく握り、視線は手塚の目を真っ向から見詰めた。
なんて声で呼ぶようになったのだろう。見詰められる手塚側は逆に、リョーマの喉仏の辺りに視線を逃がした。

そわそわそわそわそわそわそわそわ。

頭の中でか、左胸の中でか、それとも全身の血管に乗り込んでか、何かが囃し立てくる。
言い知れぬ緊張感を、リョーマからの呼びかけから次に続く言葉までの時間にすれば短い時の中で、手塚は一人味わった。

「二人で帰る場所、そろそろ作らない?」

握り込まれた指先から全身が燃え尽きる感覚を味わったまま、手塚はただ小さくひとつ首を縦に下ろした。


















均衡平衡。
塚を乙女にしすぎたー(当社比
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