椿事
卒業式の翌日に、リョーマが手塚の家を訪れた。
家、というと語弊があるかもしれない。教科書やノートを整頓している最中、部屋の入り口がノックも無しにばたんと開いた。そして、そこに立っていたのがリョーマ。
部活帰りなのか、肩にはお決まりのテニスバッグ。服は学生服のままで、手塚の許諾も無しにずかずかとリョーマは部屋に入り込んだ。
不法侵入者に、嗜める一瞥を注いだ後、取りあえず、手で持ったばかりの片付け物を段ボールに詰めてから、手塚はリョーマに向き合った。
そうしてから、やっと気が付いた。リョーマがテニスバッグを掛けていない方の手に、味気のないスーパーのビニール袋を提げていることに。
それは?と手塚は静かに問う。ああこれは、とリョーマが答えて、思い出した様に腰を下ろした。手塚もそれに倣う。
二人揃って、床に座り込んでから、リョーマは袋の底を掴んで逆さまに向けた。容赦の無い地球の引力に依って、中に入っていたものがざらざらと出てきた。
楕円になった袋の把っ手に引っかかっていた最後のひとつをトンと手で押し払って、全くの空になった皺くちゃのビニール袋を、リョーマは脇に置いた。
二人の間に、リョーマが持参した大量な中紅色の花が小山を作った。
これは?と手塚がまた問う。椿、とリョーマは見たままそのまま、知っているままに返した。
そうではなくて、と手塚は言い募った。なに?とリョーマは小首を傾げてみせる。その顔は、手塚が物の正体を知りたくて尋ねてきたのではなく、物に宿らせた真意を質してきているのだと、明白に解っているぞと言わんばかり。
質が悪い、と機嫌顔なリョーマを見遣って、手塚は山を形成する一房を摘まみ上げてみた。
中学生活を終え、これから晴れ晴れしいスタートラインに着く為の準備に勤しみ始めた今日と言う日に、花の首ごとごっそりと地に落ちるこの花を持ってくるとはどういう気の回し様なのだろうか。
あれこれと思索に耽ってみて、結論として出てきた予想を手塚はリョーマにぶつけた。
「縁起が悪いな。わざとか?」
「わざとだよ」
に、とリョーマの口角が上がる。
「お前が愛する俺に不幸せになれと?」
「不幸ばかりの高校生活を送って、オレに泣きついて来なよ、って言ってるの」
オレだけはアンタを不幸にはしないからね。
得意顔でリョーマはそう告げ、体の前に堆積させた落ち椿を両手いっぱいに掴んで、己の詰め襟の隙間にぶさぶさと突き刺した。
首の周りを椿の紅で一周させたリョーマの格好は、実に奇妙な姿で。姿が可笑しいのに、顔はいつもの余裕ぶった笑みなのだから、そのちぐはぐさがまた輪を掛けて変だった。
変な格好だな、と半ば呆れ顔で手塚は告げてから、手にしていた一房をリョーマの頭の上に置いた。更に奇妙な姿の少年が出来上がったが、流石に頭頂の一花だけはリョーマは取った。
「越前、知っているか?」
リョーマ自身が取り上げたばかりだと云うのに、手塚はまた小山の中からひとつ取り上げてリョーマの頭の上に代置した。
今度は冠りをぷるぷると振って、リョーマはそれを取り除く。
「椿の花言葉は、『私の運命は君のもの』だ」
「ふぅん。それで?」
「椿をお前から、」
人差し指でリョーマを突きつけた後、ひらりと指先の方向を自分に向けて、
「俺に、ということは?」
機嫌顔の主は、今度は手塚にバトンタッチ。
それと共に、リョーマの表情が渋そうに歪んだ。
「オレの運命はアンタのもの?」
「そういうことになるな」
「…なんか、ムチャクチャ悔しい……!!!」
「素敵な贈り物をどうも。ダーリン」
リョーマが振り落とした椿を床上から持ち上げて、手塚は褪せ始めたその落花の香りを嗅いだ。質素な彼女独特の良い香りがする向こうから、憤懣遣る方無いばかりの面持ちでリョーマから椿を何発か食らった。
椿事。珍事、とも書きます。
椿と山茶花の違いは花の咲く時期と葉の形と落花の仕方。
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