台風一家と嫁候補
口紅の色、変えた?
ちょっとした用事で寄った職員室で、英語の授業が為に出勤してきている外国人教員の、彼女の国の言葉でそう尋ねてみた。リョーマの流暢な発音に僅かばかり驚いた顔をした彼女は、けれどすぐにとびきりに嬉しそうな顔をして、そうなの、と楽しそうに返事を寄越した。リョーマが初めて気付いてくれた人だったらしい。
似合うね、と続けて褒めてみれば、ありがとう、と景気良く花を一本くれた。
彼女のものでは無い、職員室に生けられていた花瓶の中のカラーを一本。
一見しただけでは、それが花とは知れないだろう黄色く棒状の花の周りに、嵩のある白い襟巻き。
その花をゆらゆらとぶら下げて、部室までの道を歩いていれば、花の蜜に誘われた蝶ならぬ手塚が釣れた。
「お前はまた……」
ジュディから貰ったんだよ、と花の経緯を隣に並んだ手塚に教えてやれば、呆れた顔でそう零される。
リョーマの前科としては、何かと女教師群から頂きものをしている。この間は香水を少し分けてもらっていたりもした。男のリョーマに女物の甘ったるい匂いがするあの香水は無用の長物だろうに。
たしかその時も、漂っていた香りを褒めたらアトマイザーごとくれたとかなんとか、リョーマは話していた。
リョーマが年上の女性に対して、お世辞が上手いという訳では決してなくて。
ただ思ったままにひょいと発言したものが彼女達の心を擽ったに過ぎないのだろう。何せ、毎日顔を合わせるのは年端もいかない少年少女達なのだから、些か軽口染みていても、自分が気にかけていることに反応を示してもらえるのは嬉しいらしい。
将来はさぞ、天然の伊達男になれたりするのだろう。
勝手に手塚はリョーマの未来を憂いた。なんともまあ、余計なお世話ではある。
そんな手塚の胸中を知らないだろうリョーマは、「そういえば、カラーで思い出したんだけど」と切り出して、手にしていた花を手塚に預けた。
「昨日ね、親父と話してたんだけど、絶対マリアベールでマーメイドのやつがいいと思うわけ」
何ともちぐはぐな日本語。
何が、と相互理解を補完するべく、リョーマが次の言葉を発する前に、手塚は無表情のまま尋ねた。
対極的にリョーマはきょとんとした面持ち。どうして解らないのか、と表情で尋ね返されても手塚の方が困ってしまう。
「何が、ってアンタが」
「カラーで思い出して、御尊父と話し合って、マリアベールでマーメイド。まだ先が見えないんだが」
最初の頃でこそ、未完のリョーマの発言に疲れ果てた顔をしていたものだけれど、盛夏が近付きつつある今日では、随分と慣れたものだ。
世界中の言葉の中でも、日本語は難しいと言うし、致し方ないのだろうと手塚は諦観している。
表情を疲弊させなくなった手塚をふと見上げて、ああはいはい、とリョーマも自分の台詞が不足していた事に気付いた。
「昨日、親父と話してたんだよ。アンタには白無垢かウェディングドレスかってね」
で、その結論がマリアベールでマーメイドなのだとリョーマは答えた。
聞けば、話の途中から母親も論議に加わったらしい。
昨日は確か、時として小雨がぱらつく生憎の天気だった。そして休日。
部活は平素通りにあったけれど、帰宅してからの家族団欒で何を話の肴にしているのかと、まずはそこから手塚は気が重くなった。
リョーマの戯れ言に付き合う両親も両親だ。
淡々とした手塚の顔つきが硬化していることに気付いているのかいないのか、晴れ晴れしい様子でリョーマは口を開く。
「角隠しで白無垢っていうパターンもね、品があっていいと思うんだけど、母さん曰くアンタは細いから着物よりもドレスのが映えるって言われてさ」
ドレスならゴテゴテしたやつよりシンプルな方が似合うよ。
そう褒められても、実は嬉しくはない。だって手塚はきちんと男に生まれついたのだから。
「で、親父がアンタは体のラインがキレイだからぴたっとしたマーメイドタイプのがいいだろうって言い出して―――」
訪問する度に、一体どういう目で見られていたのだろうか。
「あのドレスならやっぱりベールじゃなくてマリアベールでしょ?あ、マリアベールってわかる?宗教画のマリアが頭にかぶってる、こう、目の前にレースとか付いてないやつね。サイドがひらひらしてるやつ」
美術の教科書か、社会科の教科書で見たような見ていないような。
これはもう、真面目に取り合わない方が良い、と手塚の脳は決断を下した。我が事とは思わず、ただ休日の恋人親子の会話報告として捉えた方が良い、と。
「そういうニートな感じなら、やっぱりブーケも合わせるべきだと思うから、家族全員一致の意見で、2、3本のカラーがいいんじゃないかなって話になったってワケ」
「そうか、それは良かったな」
飽く迄、他人事としての投げやりな返事。
カナリヤイエローの垂直に立つ花を空いた手で弄うていた手塚だったけれど、次に続いた越前家一同の行動報告を耳にするや否や、ぱたりと純白のカラーを足下に落とした。
「盛り上がった話ついでに、もうドレスとブーケの予約しちゃった」
5年後用に、と更に述べた幼い恋人はどこか照れている風にも見えた。
台風一家と嫁候補
正しくは台風一過ですが。敢えて一家で。
カラーから、わたしはどうしてもマリアベールとマーメイドタイプのウェディングドレスを想像するです。
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