レッドリスト
あの花も、きっとこの人に似合うだろう。
まだ大人しく唇を吸われている手塚を、こっそりと盗み見乍らリョーマは夢想する。
星形をした青紫の彩りを持つ、日本のあの花に四辺を囲まれ、そこに凛と立つ彼を。足下に群れる花々よりも、誰よりも何よりも凛々しく。
「……っ!」
手塚がリョーマの胸へと腕を突っ張る。朱を差した顔を俄に顰める。
「まだだよ」
薄く唇を離してからリョーマはそう告げ、今度は1ミリも開かずに瞼を伏せた。
どこかへと押しやろうとしてくる手塚の手首を掴んで物理的な抵抗を押さえ込む。リョーマが掴んだ手首のすぐ上で、五指が何かを言いたげに各々が小さく動いた。
手の自由が無くなったと、触覚で知るや否や、手塚の腰が逃げる。それのせいで、リョーマの口唇は目標に辿り着くことなく空を切った。
「まだ、ダメ」
幾ら体が逃亡を要求しても、リョーマは手塚の手首を離しはしない。だから、手塚は後ろに退くばかり。
手首をこちらへと引き寄せて、少しだけ距離が詰まった手塚の顔を下から覗き込む様にしてリョーマはまた手塚にキスを施す。
与えられたそれを受け乍らも、まだ手塚の身は逃げようとする。
嫌だからでは無い。
嫌悪感が走るから、リョーマから逃げようとするのでは無く、体が知っている『この次』に対していつも手塚は消極的。
本能に支配されることを嫌う理性が手塚の体を逃がしているのかもしれない。普段はとても堅固な人だから。
そういった筋が通ったところもまた、リョーマが恋情を持った一因。
何に惹かれたかは、未だリョーマ自身も模索中だ。何しろ恋は落ちるものだから。
さてここからがリョーマの本領発揮。
「…っ、ふ」
僅かな隙間から手塚の喘ぐ声。最中の呼吸法はついこの間教えてあげたばかりなのに、もう少々覚えきらないらしい。
まだ可愛らしい領域なのだから、そんなに身構えなくともいいのに。こちらも急いてしまうではないか。
そんなにめくるめく次の舞台に期待を抱かれてしまうと。
硬いままの手塚の口唇の挟間を、リョーマはゆっくりと舌先で割り込む。ひとつの生き物の感触に手塚の肩が驚いた様にぴくりと跳ね、拘束から抜け出そうと両手が落ち着き無く蠢く。
顎をそう引かれてはこの先がし辛くて仕方が無い。番ったままの口吻で、リョーマは強引に手塚の顔を引き上げた。
然も苦しそうに、手塚が何かを短く呻く。
何てクラシックな人だろうと、手塚の赭い唇を咥えだしたリョーマはその声に思う。
今時の女は強かで逞しく、男からの口吻けにここまで抵抗の意は示さない。――勿論、本当に嫌な場合は別の話だけれど。
昨今の人々では持ち得ない古めかしさ。嫌よ嫌よも良いの内、なんてもう滅びた姿だと思っていた。
まさかその態度を肌で感じる日が来るとは、思っても見なかった。
手塚の口腔の熱さに少しばかり恍惚とし乍らリョーマは内心ほくそ笑む。侵入を折角果たした舌が、先の方から爛れていきそう。
唇で唇を食む。懐柔せんとばかりのその動きのひとつひとつに、手塚は背や肩を跳ねさせる。荒れた息が手塚の口から漏れ出る。逆に、指は逃惑う動作を止め、緊張した様に少しずつ拳に成っていく。
そんなに身構えてくれなくても、途中で止める様な残酷な真似はしたくても出来ないというのに。
舌で舌を持ち上げれば、手塚の全身が、わっと逃げる。逃げきれは、当たり前に出来ないのだけど。
退いた手塚の体に合わせて、リョーマは前に詰める。そのまま持ち上げたものを絡め合わせれば、リョーマの体温も一気に上昇した。
彼特有の甘さが火種。
時代錯誤も甚だしい単語だけれど、罪な人だと思う。こんなに虜にさせられるキスは何人もの人間を踏みしだいてきて初めてのこと。
手塚の唾液の味が口内に広がり出せば、少しずつリョーマも冷静さを忘れていく。
そしてそれに比例して、経験値の浅い手塚は更に逃げ腰を強める。持ち前の勝負強さはこの時だけは影を潜めていた。
手塚もリョーマに口内を蹂躙され始めると冷静さと理性が只の傍観者に成り果ててしまうから。
「ン…――っ ……ふ」
鼻を抜けていく声にならない声は、手塚か、リョーマのものか。
絶滅危惧II種。
ある日の図書室で、図鑑にそうあるのを見て、あの日キスの始まりに夢想した手塚を囲う花の危機をリョーマは知った。
そして、あの人も絶滅寸前のタイプだよな、と宙に手塚の姿を思い浮かべた。
あれ程古典的な人も、又、自分を熱くできる人間も、この地球上に手塚一人だけの様な気がして。
レッドリスト。
日本環境庁監修・作成の絶滅のおそれのある種のリスト。
桔梗も、それに含まれてるらしいです。そういえば、最近見ないなあ、と思いつつ、最近見ないなあ、と言えば初心塚ぐらいに甘酸っぱい人。
こないだ会社のトイレで堂々と彼氏が性病でうんちゃらかんちゃら慰謝料がどうのこうのと話してる女の子がいたので、最近ってああいうことおおっぴろげだよナーと思って。
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