Just an our day
















手に食い込むスーパーの袋が痛くて、把っ手の部分を左手から右手に持ち替えた。
母に頼まれた買い物の2月の帰り道。予想以上の買い物の量で、右側にふらふらと歩道を進んでいれば、視界の端に入り込んできた華やぎの店。

この店は一年中カラフルだな、と思いつつ、ふとリョーマは花屋の軒先で足を止めた。

オレンジのバラ。薄黄や真っ赤なガーベラ。まだ周囲では見かけない時期尚早な淡いピンク色のチューリップ。
リョーマが知っているのはそれらのポピュラーな花の名前程度。その脇に並ぶ、幾重もの花弁で纏われた花達の名前は知らなかった。
物珍しそうに花屋の軒先をうろうろとしていれば、形はよく見知った花が綺麗にラッピングされて奥のガラスケースに鎮座しているのを見つけた。その花弁が桃色のそれならば、よく知っているけれど、あんな色をした彼女は知らない。

好奇心だけに突き動かされて、リョーマは花屋の奥へと入って行った。そして、件の花束を凝っと見詰めて、やっぱりコスモスの形だと思った。
けれど秋の空を背景に流れる様に咲く普遍的なピンクのコスモスとは違って、その花束は茶色だった。違うものなんだろうか、とリョーマが首を傾げれば、御丁寧にも、花束が置かれた下に値札も兼ねて名前が書かれていた。

「チョコレートコスモス…?」

成る程、この茶色は確かにチョコレート色と言っても過言では無い。よくよく見れば、チョコレートでコーティングされたコスモスに見えないこともない。生憎と、それを見て胃は空腹を訴えてきたりはしないけれど。
飽く迄『めいて』いるだけ。

更に奥では花屋の店員が何か作業をしていた。店に入ってきたリョーマに一瞥はくれたけれど、愛想たっぷりのいらっしゃいませ、は無く。
おかげで、リョーマは繁々とそれを観察できた。

「あ、そっか…」

店の中は様々なピンク色の花が溢れているのにコスモスのピンクは置いていなくて。だというのに、どうしてこのチョコレート色をしたコスモスが置いてあるのだろうか、とリョーマは少し頭を悩ませたけれど、ふと、とあることを思い出した。
今日、という日。2月14日という日。
日本では好意を持つ相手にチョコを渡す近代発祥の伝統的な日だということを。

リョーマにその情報を教えたのは父である南次郎だ。けれど、アメリカでの本来のバレンタインを教えてくれたのは母である倫子。
小さな頃から、母親に花を貰う日だと、リョーマの頭の中には刷り込まれている。そして、リョーマからも母へ花を。そういう日だった。今迄ずっと。

今日がバレンタインデーだという事に気付けば、連鎖的に他のことにも気付く。
買い物を頼んできた倫子が明らかに買い物量よりも若干多い金額を渡してきたことだとか、この花屋が道中にあるスーパーにわざわざ行くよう頼んだことだとか。
その全てが母親からの催促だったらしいこととか。

可愛いなあ、とそんな母親の企みにリョーマは少しだけ吹き出した。
そして、折角今年は日本でこの日を迎えているのだから、日本のバレンタインにちなんで、この花を買って行こうと思い付く。ついで、というと大変失礼な上に相手に拗ねられてしまいそうだけれど、母親の分と合わせて、あの恋人の分も。
アレだって男なのだから、貰う側がいいだろう。勿論、こちらも貰う側がいいから、献上しつつ強請る予定だ。

ぐるりとリョーマは店内を見渡した。
目の前に花束はあるけれど、流石に花束を買っていける程のお釣りはズボンのポケットの中には無い。切り花で売ってはいないかと、目的のチョコレート色を探した。

けれど、何故だかそれは見つからなくて。ひょっとしたら時期が時期だけに、切り花達は売り切れてしまったのかもしれない。時刻も、もう夕刻から晩に変わるような、花屋の閉店間際であったことだし。
しょうがない、と内心で溜息を落として、已む無くリョーマはまだ奥で何やらごそごそと作業をしていた店員に声をかけた。

この花束を崩して切り花で売ってくれ、と云う様な事を率直に相手に告げれば、それはもう束でしか売らないから、と素っ気ない返事がやってきた。なんてサービス精神の欠けた店だろうかと、リョーマは黙考した。
黙っていれば、吊り上がりの目はどうしても不機嫌そうに見えてしまう。リョーマの前で店員は困った様に顔を顰めた。

「今度は何をやらかしたんだ」
「何もしてないよ。ただ単品で花を売ってって言ってるのに聞いてくれないの」
「アレはああいう売り物なんだろう。諦めて他の花にしてはどうだ?」
「やだよ。折角、おあつらえ向きなのにさ」
「花束毎買える金は持ってないのか?」
「だって、オレ、買い物の帰りだよ?バレンタインだってこともさっき思い出したし――……って……………わあああァああっッ!?」

実に自然な流れの会話だったけれど、唐突に湧いて降ってきた声。
仰天、という言葉の字面通り、リョーマは隣に手塚、目の前に花屋の店員を置いて尻餅を盛大に着き、天を仰いだ。
コンクリートの床に振り下ろされた買い物の品が嫌な音を立てる。
さっきまでは影も無かった筈の手塚が訝しんだ顔で、そんなリョーマに手を貸してやった。

「部長…っ!?」
「いや、部長はもう退役したが。今はしがない受験生の一人だ」
「や、つか、アンタ、いつから…っ」
「つい先程かな。どこかの後輩が店の方にメンチ切って立っていたものだから」
「………びっくりするでしょ…シンシュツキバツなんだから…」
「神出鬼没、と言いたいのか?」

それはすまなかったな、とちっとも悪びれた顔もせず、手塚はリョーマの手を引いてやる。やっと、リョーマも体勢を立て直せた。臀部をぱたぱたと払っていれば、助け起こし終わって用済の筈の手をまだ握ったままで手塚はリョーマからガラスケースへと視線を動かした。

「3000円か…」

そう小さく零してから何やらポケットを探り、手塚は値札と同じだけの紙幣を困った顔のままの店員に差し出した。
あれをひとつ、と言い加え、あの暗い灰黄赤色の花束を指差し乍ら。

手塚の発言に、ぽかんとリョーマが口を開けている間に、現金な花屋は明朗に返事を寄越してあっさりとガラスケースの中から花束を持ってきた。
そして、手塚はそれを受け取るとそのままリョーマに渡した。

「あの、部長…?」
「丁度良かった。お前は甘いものはガツガツ食べないだろう?」
「え、いや、あの……?」
「チョコレートコスモス、とは確かにお誂え向きだな」

重い荷物で塞がっている手で無理矢理花束を持ち乍ら、リョーマは戸惑い顔。もう片方の手は手塚とまだ繋がったままだ。
店員はもう奥へと引っ込んでまた作業を再開している。ハサミの音がするから、明日の仕込みでもしているのかもしれない。

「今日は、バレンタインだろう。チョコレート代わりだ」

突然の頂き物に案じ顔をしているリョーマにさらりと手塚が告げても、彼はまだ逡巡している様子。
そのまま、暫くの間、無言で手塚を凝視し、手塚もそんな視線を鷹揚に受け止め乍ら黙った。
花屋の前を何台もの自転車や幾人もの歩行者が通り過ぎた頃に、何かの結論に達したらしいリョーマは花束の中から一本を抜き取って、手塚に差出し返した。

「じゃあ、オレからも、ハッピーバレンタイン。部長」
「もう部長は退役したんだがな…」
「じゃあ、ハッピーバレンタイン、国光?」
「言い慣れない呼び方をするな」

声が震えてるぞ、と揶揄しつつも、手塚は嬉しそうにリョーマからのバレンタインチョコを受け取る。
揶う手塚の手の温度が少しだけ熱くなったのを、リョーマは繋いだ手から感じた。

二人の鼻先を、花香とはまた違った甘い香りが擽った。


















Just an our day
やりつやられつつ。もちつーもたれつー、よろ しーくネー@黄金ペア(ミュ この二人だって黄金ペアだ。あそこまで熟年夫婦じゃないですが。黄金がアレといえばホイ、と差し出すのに対して、こちらはアレと言ったらちゃんと何を差してるのか言いなさいって怒られるくらいが丁度良いです。敬語で叱る国光、敬語で叱られるリョーマさん。

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