捉えて捕えて、囚える。
ポーカーフェイスを気取っていても、そこは矢張りまだ年若い少年のこと。
沸き立つ好奇心に煽られて、初めて散歩に連れ出された小型犬みたいにあちらへウロウロ、こちらへウロウロ。そうしているうちに、リョーマはいつの間にか手塚の視界から消えた。
姿は消えても、足音は遠くの方で聞こえる。それ故に、手塚は慌てた素振りを微塵も見せず、ゆったりとリョーマが早足で歩いていった道筋を辿った。
駆けていた足音が止まる。一挙手一投足が音だけで解ってしまう程、その場は閑静すぎた。
首都圏郊外にある某植物園。此所はそういう場所だ。しかも時間は閉館間近。手塚がここに来てからリョーマ以外の人間の姿を見たのは入り口でチケットの半券を切る中年の従業員のみ。
仕事終わりのこの時間に…、とばかり、彼は中学生二人組を実に疎ましそうに一瞥し、アイビーを絡ませたアーチ型の門を通した。
ここのチケットを寄越して来たのは不二だった。行き着けの観葉植物店で貰った余分だとか何だとか言って、部活終わりに手塚に2枚、渡した。
君達二人のセンスじゃそうそう行かない場所なんじゃない?
不二は含み笑いを持たせてそう言った。まあ、確かに二人のデートコースとしては初めてくる場所ではある。
そして、不二からチケットを貰ったその足で、つまりは午後も盛りを過ぎた部活終了後にリョーマと手塚は連れ立って此所へ辿り着いた。
辺りは緑一色。緑、と一口に云えども薄いものもあるし、黒に近いまでに濃いものもある。それらが作られた道の脇に整然と並ばされて、手塚の頭の上から目の高さから膝の高さまで、ありとあらゆる高さから顔を覗かせていた。
時には足下に明るい色で小振りの花が咲いていたり。
人影がまるでない事も相俟って、手塚としては結構な居心地の良さだ。人工物の匂いが丸で無いところもいい。
噎せ返るくらいに土や植物の匂い。普段暮らす都会の一角では味わえない。
帰ったら、また不二に尋ねてみようと思った。チケットをまだ余分に持っていないかどうか。
人を勾引す事は得意であろう彼だから、もし手元に無くともまた店の人間から貰ってきたりするだろう。
友人に対して、そうそう我侭なんて云わない性分だから、ひょっとしたら承諾してくれるだろう。
ぼんやりと手塚がそう思索に耽っていた頃だった。
それまで遠かった足音がこちらへと帰ってくる。数秒と経たないうちに、まだ小柄な彼の姿は見えてきた。
遠目にも窺える程、顔色が弾んでいる。何か、良い物でも見つけたのだろうか。
こちらへ向かってくるリョーマ。歩む速度を変えず、そのまま道を歩き続ける手塚。そんな二人だから、直ぐに手を繋げる距離まで辿り着いた。そしてリョーマは頬を上気させたまま手塚の手を取って、来た道へと踵を返した。
急いで駆け戻るリョーマに合わせて歩幅を早めつつ、手塚は何事かと静かに尋ねた。
「すっごいエロいもん見つけた」
前進を早足でしつつ、少しだけ振り返り乍らリョーマはそう告げた。口調が、実に楽しそうで、条件反射で手塚は肩を竦めた。
「こんな場所でか?」
「もう、アレだね。神様って変なとこスケベだよね」
あんな姿を植物にくれてやるなんてさ。
そう喋っている間に、俄に辺りは鬱蒼としてくる。脇に生えている木々の密度が増してきているのだ。天井はアクリルか何か知らないが、透明で、見上げただけで空が目に映り込んでいたが、その場所はアーケードの要領で緑達が上空を遮っていた。そのせいで暗い。
そしてその暗さに比例して、湿度が高まっている。6月の梅雨にも似た環境。温度も僅かばかり高いエリアらしく、蒸す感覚をリョーマに手を引かれ乍ら手塚は思った。
「何を見つけたんだ?」
湿原にも似たその場所をずんずん進み乍ら手塚が尋ねれば、タイミング良く、リョーマは立ち止まった。何かを発見した場所にやっと到着したらしい。
手塚を見上げ、まだ褪せない楽しそうな顔で薄笑いを浮かべてから、リョーマは目の前を指差した。
「Nepenthes」
植物の前に立てられた小さな黒い板の上に書かれた英単語をリョーマは綺麗な発音で告げた。そのすぐ横に『学名』と書いてある。
更にその上には和名が書いてはあるが、漢字二文字で書いてあった。リョーマにはこれは読めなかったのだろう。生粋の日本人中学一年生でも、きっと読めはしないだろうから、それも致し方ない。
不親切だな、と思いつつも、手塚は子供が読むには小難しいその漢字を発音してやる。
「ウツボカズラ」
靫葛、と立て札にはあった。手塚の言葉のすぐ後に、リョーマも同じ様に声に出す。
よく出来ました、と頭を撫でてやれば猫が気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らすような顔をした。
「それにしたって、失礼だろう」
「ん?」
撫でていた手を止め、頭の上から離してそう云えば、言葉の先を尋ね返すことで促し乍ら、円らな眸をくるりと上へと向けてくる。
先程、リョーマがそうした様に、手塚は繁茂する木々の隙間に咲く件の植物を指差した。
「こいつらが生きていく為には必要不可欠な形なんだ」
足下で佇む黒い由緒書きには、彼等自身も植物然と光合成はするが、ポピュラーな生育場所が湿地や荒地、岩場で必要な栄養分が摂れないこと、そしてその栄養を補足する為に虫をその垂れ下がった袋に誘い込んで食べるのだ、ということが白い活字で綴られていた。
それにしたってちょっとカワイソウな姿だよね。
そう言ったリョーマはくつくつと喉元で笑った。大して同情はしていないらしい。笑うリョーマとは対照的に、手塚は顔を顰めた。
「まあ、現代の観点から云えば、確かに卑猥な形ではあるが…」
頂きでぱかりと開いた口。縦に長く、真ん中で少しばかり緩やかに窪んでそして底の方でまた少し膨らんで。
ゴム製のあの避妊具に似ていると云えば似ている。勿論、リョーマがこれを見つつ喚起したのはそれだろう。
迂闊に、日常、主に土日や祝祭日に二人の間で使用していたりもするものだから、手塚だとて容易くそれを想像した。剰え、捕虫に使うであろうその袋状のものは表面に幾筋もの脈に似た細い凸面が走っていたりするものだから、始末に負えない。
昨晩のお前のモノみたいだな、と揶ってやろうとしたが、思い直して止めた。
昨日はベッドに勢いで傾れ込んでしまったせいで、そのまま裡に直接放り込まれていた。思えば、近頃そういう日が多い気がする。
「……来週はちゃんと着けてもらおうか」
「え?ごめん、なんて??」
ぽつりと予告も無く呟いた手塚の声を聞き逃したらしいリョーマがきょとんとした顔で手塚を振仰ぐが、手塚は喉元でくつりと笑うだけに留め、言い直してはやらなかった。
さあな。素っ気なくそれだけを返せば、怪訝そうにリョーマが顔を顰める。
まだ来週の逢瀬の約束も取り交わしていないのに、早まった考えが脳裏を飛ぶだなんて、己の構造も存外に簡単なものなのだな、と手塚は食虫植物の前から辞した。
リョーマが追ってくる足音を後ろに聞きつつ、彼等みたいに偶には蜜でも出して誑し込んで食い尽くしてやろうと思った。底意地の悪い手塚の貌が出ていることを、背中しか視界に入っていないリョーマは知らない。
さて罠にかけた幼気な少年は甘酸辛苦、どんな味がするかと、堪えきれずに手塚はこっそりと舌嘗めずった。
捉えて捕えて、囚える。
越前の運命や如何に…!?来週は手塚側主導権セックスらしいです。
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