hate
「近寄らないでよ。オレ、アンタの事、嫌いなんだ」
その日はよく、晴れた休日で。そして、その晴れていることを理由に、朝から家に押しかけてきた宍戸と忍足によって、跡部は繁華街へと連れ出された。
どこか目的地がある訳ではなく、ただふらふらと3人は街を散策するに尽きた。そんな意味も無い事に連れ回される跡部は始終、渋い顔をしていたけれど。
もっと、有意義な時間の使い方があるんじゃないかと、目の前の二人に思う。
関東大会で敗れて、つい先日、中学最後の戦いを終えてしまったというのに、酷く明るい声をして、友人の二人組はショーウィンドウに並んだスニーカーを眺め乍ら、ああだこうだと話に華を咲かせている。
大型のショッピングモールでの一幕。
「あっ!ちょお、跡部、どこ行くねん」
「そこのベンチで座ってる」
二人から、何も言わずに背を向けて歩き出しながら、跡部はゆったりと手を挙げてみせる。そんな跡部を見送りつつ、忍足は眉尻を下げた。
折角、連れ立ってきているのに、一人別行動を勝手に始めるなんて、実に傲岸不遜な跡部らしいけれど、友達の立場としては、少し切ない。
「なんでやねんなー。一緒に店ん中見て回ろうや」
「興味ねえんだよ」
肩越しに少しだけ振り返って視線を寄越したきり、跡部は振り返らずに目的地へと直進した。忍足と宍戸は揃って肩を竦めてみせる。
女王様は、身勝手で気分屋だと相場が決まっているから、実に手を焼く。
ベンチにどかりと腰を下ろしてから気付いたことなのだけれど、隣のベンチによく見知った顔が座っていた。
白いキャップに吊り上がった猫の様な大きな目。身体ばかりはまだ小さい癖に、態度だけは無駄にでかい2つ年下の少年。
跡部が飲んだことも無い、毒々しい紫の炭酸飲料の缶を喉へ傾けながら、彼はぼんやりと遠くを眺めていた。
跡部は下ろしたばかりの腰を上げて、嬉々とした顔で少年の隣へと座り直した。
突然に現れた隣人に、円らな双眸が白い前鍔の向こうでくるりと上を向いた。
「よぉ。越前じゃねえか。奇遇だな、こんなとこでよ」
そう上機嫌に声をかけた跡部に、会釈をするでもなく、返事をするでもなく、リョーマは表情を変えずに、アルミ缶から口を離した。そして途端に、ぷい、と視線が逸らされるものだから、跡部の眉間には怪訝そうに小さな縦皺が寄った。
「おいおい、随分な挨拶じゃねえか。この俺様がわざわざ声をかけてやったって言うのによ?」
向こうを向いたリョーマの顔を覗き込む様に、跡部は身を屈めるが、跡部の顔が視界に入ると即座にリョーマは体ごとそっぽを向いた。
「…お前、何様のつもりだ?」
ただ声をかけた以外に、跡部はこれと言ったちょっかいも出していない。だと言うのに、リョーマは取り付く島も無く、一言として応答を返してこない。
これには、流石の跡部も機嫌を損なった。彼が二つ年下だから、宿敵である手塚が目をかけていた逸材だから、と、こうも彼なりにフレンドリーに声をかけてみたというのに、無愛想にも程がある。
「おい。おいこら」
「……………」
「…お前、いい加減にしねえと、温厚な俺様と言えど、キレるぞ?」
「…………………」
跡部の言葉など、聞こえていないとばかりに、遠くを見詰めたまま、リョーマはこくこくとジュースを飲んだ。口を離して、ぼうっとしてみたりして。
跡部の存在そのものが、ここには無い、とでも言っている風にリョーマは振舞った。
「…青学は挨拶もまともにできねえ、ってか?」
「…………」
「…てめえ、ホンットにいい加減にしろよ?手塚にチクるぞ?」
「……アンタの、」
はあっと、跡部からは顔の見えないリョーマは溜息を重々しく吐き出した。
刃物に似た、鋭い目線が長く伸びた前髪の隙間から覗く。
「アンタの声で、部長の名前を呼ぶな」
「アーン?」
「それから、こっち座んな。近寄んなよ。オレ、アンタの事、嫌いなんだよ」
リョーマの眸が細められる。銃で狙いすましてくる様な、こちらを射抜いてくる目線。紛れも無い嫌悪感がそこにはあって、思わず跡部はたじろいだ。それは常に余裕と優越さで満ちあふれている彼らしくない所作。
冷や汗だろうか、何か、冷たいものが背筋を落ちた。限りなく、殺気に近い何かがリョーマの目と言わず、全身から放たれていた。
瞬時に乾いてしまいそうになる、喉へ、唾液を送り込んだ。ごくりと、思わぬ程大きな音でそれは音を立てた。
「き、嫌いたあ、言うじゃねえか」
「………」
ふいっと、先程の凶器は向こうを向く。体が緊張から解かれた感覚を味わった。自分が、この自分が射竦められていただなんて、彼自身が一番信じたくない事実だろう。
「やけに突っかかってくるじゃねえの」
「突っかかってきてるのはアンタでしょ?話しかけないでよ」
「随分とまあ、嫌われたもんだな」
「嫌いだってさっき言った」
憤然としたまま、リョーマは跡部の顔の影も見ずに低い声で返事を寄越してくる。酷く、聞き取り辛い。
「…まさかとは思うけどよ、手塚との一戦の事で怒ってんなら、お門違いだぜ?」
つい先日の関東大会。手塚と、跡部との、激戦と名を冠するに相応しい一戦。互いに、自分の為、そして仲間の為にと、凌ぎ合いを続けた、あの戦いは跡部の記憶の中でも鮮烈に光を放っている。
その試合の最中に、爆弾であった肘を庇って、手塚の肩が壊れた。コート上で手塚があげた声にならない悲鳴も、未だ、跡部の耳の中に残っている。そして、きっとリョーマの耳の中でも、未だにあの音は反芻し続けているのだろう。
あの音どころか、きっとあの試合の手塚の全てを、この小さな少年はその体の至るところに留まらせているに違いない。これは、あれの事が好きらしいから。
「あれは、俺と、アイツとの真剣試合だ。最終的には手塚の肩は壊れたが、だからと言って、アイツは俺様の事を恨んだりはしてねえ筈だぜ?」
壊れても尚、と望んだのは手塚本人なのだから。そして、リョーマも止めはしなかった。寧ろ、きちんと勝負を着けて来い、と煽っていた様に、場所を置いたベンチからその様を眺めていた跡部には映っていた。
だから、手塚の肩を壊した張本人だから、と、リョーマが自分の事を嫌悪しているのではない、と、跡部は推測していた。否、高を括っていた。
つい先程、目にしたばかりの殺気染みた双眸が不意にこちらを向く。
「……おいおい、マジかよ。お前はそんな小せえ器の男じゃないと思ってたんだがな…。俺様の見込み違いか?」
「勝手に勘違いでもなんでもしておいたら?部長が今、居ないのは、確実にアンタのせいなんだから」
「だからだなあ…!」
あの一戦は、恨むとか憎いとか思うような類の試合ではない。れっきとした真っ向勝負。あれこそが戦いだったと、跡部は痛感している。
思わず、立ち上がりかけた跡部よりも先に、リョーマはすっくと腰を上げた。視線の高さが逆転して、ただでさえ険阻な目が、更に強みを増す。変わらぬ低い声音で、リョーマは口を開いた。
「あの人が、あれのせいでいつかラケットを手放したら、お前の腕、捩じ切ってやる」
「おい、お前、逆恨みも程々に…っ」
「手放させない」
緩慢な動作で、リョーマは跡部に正面を向ける。色の無い、歳不相応な、見据えられた人間に恐怖感を募らせるような双眸。
そんな目を湛え乍ら、リョーマは前後の会話からは噛み合っていない一言の先を続けた。跡部はただ、言葉も無く、リョーマを見上げるのみ。
「手放させないよ、オレが。あの人の手からラケットを。あの人の足からコートを。あの人の目から、オレ自身をね」
ずっとあそこに縫い止めたままにしてやる。
ただそれきりを言い残して、別れの挨拶をすることも無く、リョーマはその場を去った。残された跡部は瞠った目で去っていくリョーマの背を見送った。
酸素を、次の瞬間にして漸く、摂り込んだ。立ち込めた緊張感のせいで、貧血にも似た、目眩が沸き起る。体にも脳にも、酸欠が起こっているかの様な。
ふうっと、跡部は吐息した。吐き出さないと、次の酸素が摂り込めない。
「だから、子供は嫌いなんだ。自己完結しやがって」
今度会ったら、怯まずに何が言いたかったのか、問い質してやろう。事の全てが解らないのは気分が悪い。むしゃくしゃする。
あんな子供の自己完結ならば、尚一層のこと。
子供のそれが、一時のことであることを、まだ子供である筈の跡部は気付けない。
hate
『嫌う』。直球に、率直に。
憎んだっていいと思うさ。どれだけ崇高な試合だろうと、恨むなら恨めば良いさ。
未だに、原作者があそこで手塚を負かした意味がよくわかってません。2004年秋現在。
読みが、足りないんでしょうねえ、きっとねえ……。同人でも跡部系は読んだことないですからのうー……。
故に、あの一戦は未だに手探り中です。
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