The hanging washing
足音も慌ただし気に外界へと駆けていく息子の後を南次郎は追った。
ばたばたばたばたばたばたばた。
そう長くも無い廊下を親子揃って全力疾走。
「リョーマ、どこ行くんだ?」
「部長んち」
ばたばたばたばたばたばたばたばたばた。
「今日、部活休みなんだろう!?折角の日曜をわざわざ男友達のとこに遊びに行く気か?さっみしい奴だなあ」
「別に。オレが何しようと勝手じゃん」
「それにしたってよう、今日は風もきついんだぜ?止めとけ止めとけ」
スライディングする様に、玄関へと滑り込んで脇に立つ実父を視界に入れないように懸命に努力しつつ、リョーマはさっさと靴を履いた。
今日の天候は南次郎が言うように多少風がある。けれど、台風だとか警報や注意報が出る程の風では無くて、せいぜい窓辺に干した洗濯物が制止することなく揺らめく程度。
だから、風が強いから、と諌められても外出しない理由には到底該当する訳は無く、
「晴れてるからいい」
無表情に父親にはそう告げて、リョーマは外へと駆けていった。
30分の遅刻。押し慣れたベルを押せば、ドアの向こうでいつものベルが遠くに聞こえる。
いつもなら、大抵は彼の母親が笑顔で出迎えてくれる。
けれど、
「あれ?」
ベルがエコーを残して消えた後、暫く待ってみても一向に扉が開かれる気配はない。
母親が不在だとしても、何もこの家には彼女一人が住んでいるわけではない。
第一、今日、ここへくる事は当の本人にも事前にきちんと伝えてあるのだから、母親が出迎えに来ずとも、手塚本人が出ていい筈だ。
試しに、リョーマはもう一度ベルを鳴らしてみた。
ひょっとすると室内に響くベルが聞こえなかったのかもしれない。
「んー………??」
けれど、ドアは開くどころか、出迎えに誰かがやってくる気配も無い。
ドア越しで小さくとは云え、ベルの音がリョーマにも聞こえているのだからベルの故障、ということもない。
おかしい、とリョーマは手塚家の玄関先で首を捻った。
ばたばた。
不可解な顔をしてその場に佇むリョーマの耳に、小さな音が聞こえる。
音がする方へと、ゆっくりとリョーマは視線を向けた。
室内で誰かがこっちにやってくる音、ではなく…
「…?」
何か、布の様なものがはためく音。
壁伝いにずっと左へ行ったところから。
その幽かな音に何か誘われるものがあって、そちらへとリョーマは爪先を向けた。
ばたばた。ぱたぱた。
リョーマが行き着いたのはこの都会の一角では物珍しくも思える緑豊かな庭。
そのほぼ中心で、風で煽られてさんざめくシーツやタオルの群れの中にリョーマは漸く目的の人物がもぞもぞと動く姿を発見した。
やっと見つけた、と思わず頬が緩む。
「部長」
真っ白のシーツを物干竿に干す手塚へとリョーマは笑顔で近付いた。
リョーマならば背伸びか、下手をすれば何かの台でも足下に置かなければ届きそうにも無い竿へ、長身の彼は淡々とした様子でシーツを一枚干していた。
リョーマの声に、手塚は手を止めて、ゆっくりと振り返る。
「越前。いつ来た?」
「ついさっき。ごめんね、寝坊しちゃった」
「そのお陰で俺は今、母の手伝いの最中だ」
悪びれた様子もなく詫びるリョーマを小憎たらしそうに手塚は見下ろす。
「彩菜さんは?今日いないの?」
「少し前に出かけた」
「ふぅん」
何だか不満そうな声がリョーマからあがる。
彩菜の出迎えは、ここへ来るリョーマの楽しみのひとつでもあったから。恋人の母親を、この少年は自分の母親並みに慕っていた。
手塚の母親だから、だとかそういう理由ではなく、偏に、『いい性格』をした彩菜の人徳に依り得るものだろう。
「で?」
「で、とは?」
「なんで洗濯物干してんの?」
「だから…。言っただろう。母の手伝いの最中だと」
「オレのせいで――、だっけ?それもどういうこと?」
会話の合間に、風が一陣過ぎる。それのせいで、手塚の干しかけのシーツを含め、辺り一面を囲うようにして干された白い布全てがぶわりと風にたなびく。
風で煽られて、浮いた干しかけのシーツを反射的に手塚は手で押さえる。視線がリョーマから逃げる。
「お前が時間を暫く過ぎてもちっとも来ないものだから、母から命令が下ったんだ」
「あー……」
何となく、その様が想像できて、こくこく、とリョーマは小さく何度か頷いた。
それから、ピン、と指を一本立てて、声を1オクターブ高くして、
「国光、母さんちょっと出かけてくるから、これ干しておいてくれる?」
と、笑顔で言ってみた。
「…越前」
「越前君が来ないと貴方も暇デショ?…って、こんなトコ?」
「それは…母の真似のつもりか?」
だとしたらちっとも似ていない。ただ笑って声を高くしているだけだ。
まあ、本人もいわゆるお巫戯けのつもりなのだろうけれど。
呆れた様子を精一杯体内から漏らす手塚の顔から物干竿へと視線を傾け、唸る様にしてリョーマは口を開いた。
「まあ、この高さならアンタが適役だろうしねえ…」
手塚の首の辺りを水平に走る鈍色のブルーの物干竿相手では、彩菜の身長では少し難儀するだろうし、それならば長躯の息子に頼んだ方が仕事が早いだろう。しかも洗いたてのシーツにバスタオルだなんて水分を吸っていてきっと重い。ここもやはり、体力のある息子の方が適役だ。
リョーマが思うに、自分の遅刻はただの後付けの理由なのだろう。
竿からまた手塚へとリョーマは視線を動かす。
彼はまたシーツを干す手を動かしていた。その間も、ふわふわと吹き過ぎていく風に玩ばれて白い群れはリズムも様々にひらひらと、又はばたばたと音を立てる。
視線はまた手塚の指先を伝って竿に掛かる物達へ。
舞う様に蠢くそれらはリョーマの頭の上でたなびいていて、しかも前後左右でそれが行われるものだから、まだまだ背の低いリョーマの視線から広がる世界は圧巻を孕んだ白一色だ。
まるで、やさしく激しい白い海。
快晴の春空にとても好く映えた。
ぼうっ、と見蕩れる様に頭上を見上げるリョーマの隣で、手塚は忙しなく手を動かす。
風で煽られる度に竿に干すシーツの端がひらひらと捲れて、作業は若干難航していた。
そのせいで、手塚の苛立ちは『増した』。
ふわふわと舞い続ける白い海を漂いながら、
「ねーえ、部長」
ふと手塚の名を呼べば、短く、なんだ、とただその一言だけが返ってくる。
ぶわりと一際強い風に煽られて、また手塚の手元のシーツが子供に遊ばれるブランコの様に大きく反り返った。
どうも、ここに来た時からリョーマは気にかかることがあるのだ。綺麗に晴れた青空と洗剤の香りが仄かに香る洗濯物と、それらに囲まれているのに手塚が酷く不機嫌そうなこと。
勿論、作業をしている身としては楽しめないものなのかもしれないが、普段の手塚ならば鮮やかなこの光景を前に不機嫌なままでいるということはリョーマの経験上おかしい。
多少の労働だとは云え、そんな事に不平不満を覚える人ではないし、母親の手伝いだからと厭うような神経もきっと持ち合わせていない。
なのに、
「なんで怒ってんの?」
「怒ってなどいない」
「ほら、その言い方が怒ってるんじゃん」
それから、リョーマは自分の眉間を差し示してみせて、
「ちょっと皺寄ってるし」
「怒ってない」
「怒ってないにしてもさ、すごい不機嫌そうなんだけど?」
「普通だ」
どこが、と愈々リョーマは苦笑した。
そんなリョーマの隣で、漸くシーツを竿に干し終わった手塚がパン、とシーツを張る。
「では、逆に尋ねるが、どうして俺が機嫌が悪いんだとお前は思うんだ?」
「え?んー……そうだな………」
くるくると思考を巡らす。実は、もうひょっとして、という結論は出ているのだけれど。
わざと、長い間考えるように、うーん、と唸ってみせる。
見目にも明らかに、隣の手塚が焦れ出していた。その様を、時々、ちらりとリョーマは横目で盗み見る。
「うーん……なんでかな?」
「…お前、実は解ってるだろう」
「あれ?ばれた?」
「やにさがってるぞ、顔が」
むすりとする手塚に、可愛らしく年相応にえへへと微笑んでやってから、足の裏を精いっぱいに伸ばして、ゆったりとリョーマは手塚の首に腕を絡めた。
彼の欲しいものはお見通し。
不機嫌そうだった手塚の顔に朱が淡く差す。
首に腕を絡められて、さも渋々といった様子で手塚は正面をリョーマに向けた。それから身をゆっくりと屈めてやって、
通り過ぎるは春の強い風。
それにたなびかれて、辺り一面の白は大きく舞を披露してみせると共に、口唇を寄せ合うふたりを隠した。
The hanging washing。
たなびく洗濯物。
9日から、悶々と、そりゃあ悶々ととあるリョ塚イラを拝見してたものをノベライズ。
らんららーん。
ご本人はベタだとおっしゃってましたがわたしのストライクゾーンど真ん中でした。
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