彼之聲
















誰もが一度は通る道。それは道標も無く、地図も与えられず、唐突に放り込まれるもの。

「部長、お待たせ」
「…え、越前…お前」

そう、それは声変わり。
越前リョーマ14歳、手塚国光16歳の冬のことだった。


手塚が高校へと進学してからというもの、放課後には必ず待ち合わせをしてそれから区営のテニスコートへ、というスケジュールがリョーマと手塚の中では日課となっていた。
帰り道でぶらぶらと繁華街を散策するよりは、こちらの方が余程二人にとって有意義な時間の過ごし方だった。
部は同じテニス部とは言え、中等部と高等部が同じ敷地で練習する機会は皆無だったからだ。

そうして、今日もいつもの場所で待ち合わせ、先に手塚が到着し、それから数分ほどしてリョーマが駆けて来た。
ここまではいつもの光景。

問題は、駆けて来て飛び出て来た声の低さだった。
幾許か視線の近くなった双眸を見下ろして、ただ手塚は呆気に取られた様子でいた。一方の見下ろされている側のリョーマはどこかバツが悪そうな顔で手塚を見上げる。

「この間から喉がいがいがするって言ってたじゃない…?」
「…てっきり、風邪だと思っていたが…」

性徴の前兆だったらしい。
昨日までのリョーマは、少年さを保ったままの低いか低くないか、で云えば低くはない方だった。それでもキンキンと声の張る他の同輩達に比べれば低いほうだったが。
それが、今日になって一変した。
僅かばかりの少年臭さは残るけれども、昨日迄に比べれば格段に低い。

そんなリョーマを恰も関心する様な視線で手塚はただ凝視していた。

「…変?」
「え?」
「声」

単語だけで会話するリョーマの唇は尖っていて、不貞腐れているようだった。
恐らく、クラスの連中から部活の仲間達、果てはきっと教師陣なんかにも今日一日たっぷりと揶われたのだろう。
誰しも必ず来るものだから、別段囃し立てるようなものではないと思うが。

「いや、別におかしくはない」

ふるり、と小さく手塚がかぶりを振ってみせれば、どこか安心した様に窄めていた唇をリョーマは笑顔に変えた。

「良かった。アンタに変とか言われたら立ち直れないかと思った」
「少しばかり、面食らっただけだ」

リョーマの発言に、大袈裟だな、と手塚は微笑んで、リョーマの髪を指で梳いた。
その指の感触をリョーマは気持ち良さそうに目を細めて受け止め、満足すると手塚の手を取って手の甲に口吻けた。
そして、それを合図に、目的地へと二人は足を進める。

道中。

「他人の声みたいで自分でもすごい変な感じがする。オレの声変わりで一番驚いたのは多分朝起きた時のオレ自身だよ」
「まあ、最初はな。誰しも違和感を感じるものだ」
「部長もそうだった?」

今更だが、リョーマが手塚の事を『部長』と呼ぶのは手塚が引退してから1年と少し経った今も変わらない。
引退当初こそ、手塚も事ある毎に注意を促したものだが、一向にリョーマからの呼び名は変わらなかった。
手塚自身も、今やリョーマが自分のことを『部長』と呼ぶのをほぼ容認してしまっている。

「声変わりをして一番に声を出した時はな。さっきみたいに面食らった覚えがある」
「へえ。声変わる前の部長の声も聞いてみたかったな」

きっと可愛かったんだろうね、と揶い笑いを浮かべるリョーマを冗談めかして手塚は小突いた。

「しかし…お前はまたがらりと変わったな」
「そう?」
「ああ」

小首を傾げるリョーマに、手塚はこくりと小さく頷いてみせれば、そうかな、と自問自答する様にリョーマは呟く。

「まだ変わりたてだからかもしれんが、少し掠れているせいかな。そう思うのは」
「ふうん。…。ねえ、」

何か、悪戯を閃いた様な底意地の悪そうな顔でリョーマは手塚の袖を引いて、その耳元へと口唇を寄せれば、手塚も心持ち身を傾けてくれる。

言葉の続きを発する前に、リョーマが一人ほくそ笑んだことを手塚は知らない。
そんな無防備な手塚の耳朶へと、

「くにみつ」

低音になった声を更に低く、そして甘美さも交えて、最後には耳裏にキスすら落とすという念の入れようで言葉を放った。

「………っ!」

すると、息を飲み、物凄い勢いで手塚が隣を歩くリョーマから距離を取った。
その顔は先程リョーマが言葉を注ぎ込んだ耳まで見事に深紅で染め上げられている。
想像以上の反応に、思わずリョーマは破顔してしまう。

「お、おま…おまえ、そういうことを、い、い、いきなりするな!」
「感じちゃった?」

どこか艶すら帯びた顔でリョーマが問えば、

「…っ!」
「……あ、れ?」

いつもは返してくる筈の勢いもそこには無く。只、片耳を塞いだまま視線をリョーマとは逆の方向へと逸らして俯く赤面の手塚がそこには居た。

「…えーと………?」
「………」
「否定とかは…無い、の?」
「…」
「部長?」

手塚の黙りに流石にリョーマも焦燥を覚え、顔を覗き込んでみれば、手塚の目の縁が涙で滲み出しているものだから、リョーマも言葉を失った。

「………」
「………………」

お互い、黙したまま茜色の帰路を辿る。
結局、その日のゲームはお互いに視線がかち合う度に狼狽えてしまって、まともな試合展開にならなかった。
そんな日は、この先の二人の戦いでも最初で最後となる。


















彼之聲。かのこえ。
声変わりリョマさん。
色っぽいだろうなあ色っぽいだろうなあ、と今から半端無く楽しみです。
声だけで着床可能な男!すごいなーっ!(笑
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