君との境界線
















これからは世間様からは一人の大人として見られるのだから、より一層、自分の行動に責任を持ちなさいね、と20歳を迎えたその初秋の日に、手塚は母親から告げられた。
今までは何かに付け、両親が責任をとっていてくれたことも、今日この日から自己責任となる。世間からの対応が変わる。
許されることが増えるのと比例して、多少動き辛くなることはしょうがない。

なにしろ、成人。
仮に罪でも犯せば、実名が世間に知れ渡る。今迄は守ってもらえて当たり前だった事実がその日を境になくなるのだ。



たった1日で変わってしまうなんて、なんといい加減なシステムだろうかと、リョーマとの待ち合わせ場所に向かう手塚はぼんやりと鰯雲を眺め乍ら思った。
年下の恋人は、普段は外の国に居るが、今日、10月7日は必ず帰ってくる。忙しいのならば無理をしなくてもいいと前に言ったが、彼は出逢った頃から変わらぬ大きな瞳をきゅっと吊上げて、この日の為にオレの1年はあるのだからとのたまった。
自分を祝う為だけに全ての予定を差し置いてやって来てくれるのは、彼の周囲の人間達に詫びたい気持ちもあったが、それ以上にこの上なく喜びに満ちた気持ちでいっぱいだった。







広い広いエアポート。其所に手塚は辿り着いた。
平日の昼間、ということも合って、人はまばら。そんな中、ベンチにゆっくりと腰掛けて彼を待つ。
1秒がいやに長く感じられた。再会はいつぶりだろうか。

チクタクと時計の針が進む中、漸く待望の飛行機が到着したアナウンスが館内に響く。
あと少し。あと少ししたら向こうからきっとリョーマはやってくる。
けれど、あと数秒がどうしても待ちきれなくて、手塚はベンチを後にした。



「久しぶり」

まばらな人波の中から、駆け寄って来てリョーマは笑顔で手塚にそう告げた。
電話やメールはしょっちゅうだったけれど、こうして対面するのはリョーマが口にした様に本当に久しぶりだ。
思わず抱き締めたくなる欲求をぐっと堪えて、手塚も少しだけ笑った。

「元気そうで何よりだ」
「うん、アンタも。前に会った時より見違えちゃってびっくりした」

冗談めいた口振りのそれは会う度のリョーマの常套句。それでも、彼は本気でそう思っているらしくて、二度目に言われた時に吹き出したら酷く不思議そうな顔をして首を捻っていた。
会う度に、どんどん綺麗で格好よくなるね、アンタは、とリョーマは幸せそうな顔で言う。

それからまたふわりと笑って、

「誕生日おめでとう」

祝福の言葉を手塚に告げた。
どうしても、畏まられてそう言われると照れが手塚の中に生まれる。

「…ありがとう」

少し目許に朱を差しつつも、手塚がそう返せばリョーマは手塚の手を取って出口へと歩き出した。







「日本も変わらないね」

窓から眼下を見下ろしつつ、リョーマはそう言った。

とあるホテルの一室。今日のリョーマの寝床でもある。
どうせ実家のあるところに帰ってきたのだから、実家へ帰ればいいのに、決まってリョーマはこうしてわざわざ宿泊施設を利用する。
親父の顔が見たくない、とリョーマは言い訳をするけれど。それが本心なのかどうなのか、強ち外れているわけでもなさそうで、手塚は何とも判然としない。
何にしろ、リョーマと二人で居られればどこでもいい。リョーマが自分の傍に居てくれる事が手塚にとっての毎年最高の誕生日プレゼントだ。
この日だけは特別、とリョーマが考えていてくれることも嬉しい。

「1年じゃあそんなに変わりようがないだろう」
スイートルームとはいかずとも、洒落た造りの一室。そこに据えられた、数人は掛けられるであろうソファに手塚は腰掛け、窓の外を眺めるリョーマにそう言葉を返した。

二人きりでのんびりと過ごす時間。
生まれ育った国だけに、今更、外には目新しい様なものはなくて、毎年リョーマに今日はどうしたい?と聞かれる度に二人で過ごせればそれでいいと手塚が答えた結果だ。
外界のざわめいた都会の喧噪も無く、静かに二人で。ある意味、最大の贅沢かもしれない。

「アンタは1年だけでもちゃんと変わるのにね」
「…そんなに変わったか?」
「少しずつだけどね。大人の顔になってきてる」

そう言って、まだ少年の顔をした恋人は窓から離れて手塚の隣に腰を下ろした。

「それにしても、遂にアンタも二十歳なんだねえ…」

妙に感慨深い顔をして、まじまじと手塚の顔をリョーマは見詰めた。

「そうだな。これからは何事も自己責任だと母に言われた」
「ああ、そっか。色々大変な事も増えるんだよね。できる事も増えるけど。…あ、そうだ、できる事って言えば…」

不意に何かを思い出したらしく、リョーマはソファを立って持って来た荷物を手に戻って来た。
所詮、一泊用の荷物だけに小さなボストンバック一つ。身軽なものだな、と手塚はいつも思う。

「これ」

ごそごそと鞄の中を漁って、リョーマが取り出したのは金のラベルが貼られた黒い大振りの瓶。
どこかで見た事があると思ったら、聞いた事のある高価なアルコールだった。実物を見たのは今日が初めてだ。

「二十歳と言えば酒でしょ?しかも誕生日と来たらこれしか無いよね」

楽しそうな口振りで、リョーマは颯々と瓶の栓を抜いた。鞄の中から箱に入れられたグラスすら出されて、用意周到だな、と手塚は呆れた。

「俺は二十歳だとしても、お前はまだ17だろう」

細身のグラスに黄金色のその液を注ぐリョーマに向かって言えば、固い事言わないの、と一蹴された。
あっと言う間に、八分目辺りまで注がれたグラスを手渡された。昨日までは世間的に飲む事は禁じられていたもの。今日からは、コレは手塚には許されるものなのだ。

「HappyBirthday」

ネイティブな発音でそう告げられ、チン、とグラス同士を合わせられる。
昨日までは禁じられていたもの。今日からは許可がおりたもの。突如に、許されたものだと思っても、根幹の部分で生真面目なところがある手塚は手の中のものに躊躇いを少しばかり覚えた。
そんな手塚の隣で、リョーマはグラスを傾け出す。グラスから滑ってリョーマの喉へと落ちていくその様を見て、手塚はハタと気が付いた。

自分は成人で、相手は未成年であること。
成人の監視の下で、少年が未だ禁じられていることを仕出かしている事実。

これからは自分の行動に責任を。不意に母親の言葉が過って、手塚は思わずグラスを傾けるリョーマの腕を掴んで、制した。



生真面目過ぎたのが仇となった。

「越前。未成年の飲酒はいけない」
「は?」

なにをとても真面目な顔をしてこの人は言っているのだろうか、と、刹那、リョーマの目は点になった。
これは手塚への祝いの酒だというのに。一緒に分ち合わなくてどうするのか。

「そうだ。俺だけが成人で、お前はまだ未成年なんだ…」
「え、ええと…何事?」

何が何だかさっぱり解らないでいるリョーマを放って、手塚は次第に思考の渦に巻き込まれていった。
もっと、彼の頭が柔軟だったならば、この後の悲劇は無かったであろう。

「そうだ。それだけじゃないお前が未成年で俺が成人ということは、お前との性交渉は犯罪になる…!」
「は、はあ!?ちょ、ちょっと、なんなの?急に」

焦った様子の手塚に感染するように、リョーマも焦燥しだして、手にしていたグラスを一度目の前のテーブルの上へと置いた。

「これからは自己責任なんだ…」
「ちょっと。待ってってば」

譫言の様に呟く手塚の肩を掴んだ。

「性交渉は犯罪、って、なに、まさか、今日シないつもりなの…!?」

久しぶりの再会なのに、と言外に含ませて真剣な顔でリョーマは質した。
そんなリョーマの目を何かの意志を秘めた双眸で手塚は真っ直ぐに見詰め返す。

「確か、青少年育成条例では18歳以下の者との猥褻行為は禁止だった筈だ」

リョーマは誕生日が来ていないので、まだ17歳。

「ちょ、猥褻行為って何それ。別に合意だったら問題ないんじゃないの…!?」

リョーマの予定では、『今晩』が無いということは一番あり得ない。
酷く、リョーマは焦った。

「第一、手出すのはアンタじゃなくてオレからなんだし…!」
「お前が良くても俺が良くない」

お前は俺に臭い飯を食わせるつもりか?と遂にはぎろりと睨んでくる。

「え、でも、通報しようがないじゃん」

ここには二人しか居ないのだから。明らかになりようなど無い筈だ。
だがしかし、相手は矢張り過剰に生真面目だったのだ。

「いや、こういう事は意識の問題だろう。お前が俺より誕生日が早ければな…」

そうすれば18歳で、違法では無かったのに、と手塚は肩を落とす。
自分だって、『今晩』を期待していただろうに。そうしたいのならばすればいいのに、とリョーマは焦れた。

けれど、そんなリョーマを置いて、手塚は颯々と結論づけた。

「と、言うわけだ。後2か月待て」
「信っじらんない…本気?」
「本気だ」

確固たる意志が目の奥に窺えて、手塚の肩を未だ掴んだまま、リョーマは項垂れた。
真面目で頑固。なんという扱い難い性分に生まれたものか。

「…別に、オレのこと嫌になった、とかじゃないよね?」
「そんなことあるわけないだろう」

けろりとそう答える目の前のこの人がちょっとわからなくなる。
二か月も、待てるかどうか、リョーマには甚だ自信などなかった。

まさかこの歳になって、今更清い関係を2か月持つことになろうとは思ってもみなかった。




















君との境界線。
大人か未成年か。今更過ぎだろう、手塚よ…
こういう面では手塚はむしろ法などかなぐり捨てると思いますけど。自分の欲求にとても素直な子だと思ってま、す、よ。にこり。
越前を弄ぶのは割と楽しいです。

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