ベイブ、ライク ザ ベイベー
















約束を反古にする人間は信用には足りない。
足りない、とは思うのだけれど―――。

ぐうとかすうとか寝息を立てながらブランケットに包まるリョーマを見下ろしながら、手塚は大息を吐いた。
今日は家に行く、と言ったのに約束の時間を過ぎても熟睡しているリョーマに、ではなく、約束を破られているのにそれ程苛立っていない自分の甘さに。
寧ろ、時間をどうにかこの部屋で潰してリョーマが起きるのを待とう、と、気遣ってしまう甘い自分が憎たらしい。


取り敢えず、リョーマが寝転がるベッドの縁に腰掛ける。増えた重量にベッドが耐えきれずにギシリとスプリングを鳴らし、その音にごろりとリョーマは寝返りを打った。
夢でも見ているのか、時々小さく振動する瞼が長く伸びた前髪の隙間から見える。

暇潰しの道具はベッドの足下に転がっているテニス雑誌でも事足りそうではあったけれど、手塚の関心は夢浅くなってきたらしい恋人の幼い寝顔へと向かった。
自分が変えられてしまったのは、他でもないこの少年のせい。

待っていようかとも思ったけれど、矢張り早くその閉じた眼を開いて欲しくて、僅かばかり寝汗で首筋に纏わりつく襟脚の髪を手に取って其所へと唇を落とす。
擽ったそうに眠ったままリョーマは身を捻った。いつも嵐の様に降って来るキスを擽ったがって、身を攀じるのは自分なのだが、形勢が逆転したその反応が楽しくて手塚は項から首の筋を辿って鎖骨の真中にある窪みまでを唇でなぞる。寝汗のせいでじわりと塩っぱい味がする。

気が付けば、上背を屈め、辿りやすい様にリョーマのパジャマのボタンのひとつふたつに手をかけていた。
暇潰し、と名目するには少しばかり楽し過ぎた。のめり込み過ぎた。
好き放題にされながらもリョーマは未だ眠ったまま。逃げたがる様にもぞもぞと小さく動きはするけれど。

一頻り愉しみ終わって、リョーマの首の麓に顔を埋めていた手塚は緩々と瞼を持ち上げた。
感触で楽しむ場合には視覚は無いに限る。むず痒そうに上げるリョーマの声は愉悦を誘ったので聴覚は開いていたけれど。

「……。………?」

うっすらと眼を視界を開きつつ、埋めていた顔を起こして、手塚は先程まで触れていたその場所が異様に赤くなっていることに気付く。
キスマーク、なんて可愛らしいものではない。と、言うか、手塚はただキスを滑らせて遊んでいただけに過ぎず、甘くすらも噛んだ覚えは無い。
ただ首許から胸元にかけて、赤い。ぽつぽつと浮かぶ小さい湿疹もそこここに見える。

過去、まだ幼い時分にそれを見た覚えがあって、よもや、と手塚が思った時、タイミングを計った様にリョーマ自身の腕がそこに不意に伸びて、ポリ、と小さく掻き、次の瞬間にはボリボリと仰々しく掻き毟り始めた。

赤くなった其所が更に赤味を増す。
リョーマの所作と、広がり色身を増す患部に、やはりな、と手塚は合点していた。

「…中学1年生にもなって汗疹とは………」

『らしい』な、とも思うけれど、ここまで広がる迄に放っておくだなんて信じられない。
大体、汗疹とは新陳代謝が過剰な赤子や幼児にポピュラーな筈で。皮膚の弱い人間も蔓延的にかかりやすいが、手塚が見て来たリョーマはどうもそんな繊細な人間には該当しない。

「ん……」

さして大声ではない手塚の独り言を耳聡く聞き取ったのか、一際大きくもぞりと身を動かしてリョーマは遂に覚醒した。
色々な要素から呆れた顔をして「おはよう」と告げる手塚に寝惚けた鼻にかかったのんびりした声でリョーマも「おはようございます」と返す。
家人でもない手塚が開眼一番に居ることに仰天するのは、汗疹で痒いらしい胸元を無意識に一掻きしてからだった。

「約束を反古にされかけたことはいい」
「ごめん…!すぐ着替えるから!」

怒っているつもりは無くとも、自分の手で膚蹴させたリョーマのパジャマの襟口からちらちらと覗く赤味にほとほとに呆れて手塚の眉間には皺が寄る。
わたわたと慌てた様子でブランケットを撥ね除けるリョーマの腕を掴んで、クローゼットへと向かおうとしていたリョーマの動きを止める。
その手塚の動作に、不思議そうにリョーマは首を傾げる。

リョーマの疑問への回答、とばかりに手塚はリョーマの胸元をトントン、と人差し指で小突いた。

「どうしてここまで放っておいた」
「え…? …………あ、これ?」

小突かれた箇所をリョーマも見下ろし、そこに広がる赤い膚を指差せば手塚が一つ大きく頷く。

「ここまでくると素人の応急処置では追い付かんぞ」
「…だって、医者に行く時間なかったし」

言い訳めいて唇を尖らせるリョーマに今度は手塚が首を傾げる。

「時間がない?」

そんなに多忙な人間だっただろうか。

「だって、平日は部活があるでしょ、土日はアンタと遊ぶし」

暇なんてないよ。と太々しい顔でリョーマは嘯く。
その間も、チクチクと痒みがあるのか、小さく掻き始めるものだから手塚はリョーマの手を捕った。

「掻くな」
「かゆいんだもん」
「更に酷くなるぞ」
「でも、かゆいー」

それが抑えきれない衝動だと云うことは判る。脳が無意識に手に掻かせてしまうものだ。
どうしようもないからと言おうが、幾ら上目遣いに可愛らしくねだってみようが、思いのままに掻かせたりはしないけれど。
ここばかりは甘くしてはいけない、と手塚は自戒する。
乳幼児がかかるようなものだと嘗めてかかってはいけない。皮膚科が取り扱っているのだから、汗疹と謂えどもきっと皮膚病の一種なのだろう。
病気は治す。そして病気は医者の分野だ。

「越前、それではこうしよう」

手を取り押さえられて、それでも意識は患部を掻き毟りたくて仕様がなくて、身をむずむずと揺らしつつも、目でリョーマは手塚の提案の内容の先を促す。

「今日は取り敢えずまずは皮膚科へ行く」
「えー。折角アンタと二人きりでいられるのにわざわざ病院行くの?」

不満、と顔に大きく書いて手塚を睨む。
予想通り過ぎるその反応に、直ぐさま用意していた対リョーマ用の餌を手塚は唇に乗せた。

「道中、掻かれては困るからな。今日一日、俺の左腕を貸してやるが?」
「え…?それって…」
「白昼堂々、腕を絡ませて街中を歩いてもいいと言っている」
「べ、べったりくっついちゃっても、いいの…?」

普段は人の目があるから、と手を繋ぐことは勿論、辺り一帯の恋人達が腕を組んで歩くことは手塚がいつも嫌う。
リョーマとしては、二人の仲を見せつけて歩きたい欲求も勿論あったし、今までにも何度も手塚へと打診してきたことだった。

その手塚が、
自ら、オーケーのサインをくれるなんて願っても無い事だった。

俄かには信じられず、怖ず怖ずと手塚を見上げて尋ねるリョーマに、

「ああ、構わん」

とサラリと手塚が言ってのけるものだから、


「医者行く!」

手塚が垂らした釣り針の餌には眼を輝かせた大物が掛かった。


















ベイブ、ライク ザ ベイビー
baby,like tha baby
愛しいあの子は赤ちゃんみたいだ!みたいな。意味で。ごにょ。
汗疹があって猫舌でコーヒー飲めなくて、でもピーマン食べられるみたいなそういう越前さんとかいいな、うへへ、とか思ってたら書き上がってました。
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