モーニングビュー
















足下がふわふわする。視界がいつもよりも狭い。
どこに立っているのだか解らない場所で、目の前には凛と立つあの人。
たおやかに、なおやかな声で呼ばれる。

「          」

凄く嬉しい気持ちでいっぱいのまま、スウ、と意識が持ち上がって、オレは目を覚ました。



「…………」

枕に埋もれる格好でパチリと目を覚ませば、正面には見慣れた目覚まし時計。けたたましいベルの音が鳴るのは、あと数分後。

我ながら変な事もあるものだ、と思いつつ、リョーマは目覚まし時計の頭を叩いておいた。
これで今日はあのやかましい音を聞かなくて済む。
もぞもぞと布団から這い出て、クローゼットに向かって、夜着を脱ぎ捨てて黒いスラックスを履いて、白いシャツを羽織って、ボタンをひとつずつ留めていって、

ふと、

「あの人、何て言ったんだろう…?」

直前まで見ていた夢の内容が気にかかった。













「越前」

いつもより、かなりの余裕をもって正門を潜ろうとしていた時、後ろから声をかけられてリョーマは顔だけ振り返った。
中学3年だというのに、まだ声変わりをしていない様なふわりとした声。
第二次性徴も個人差があると聞くし、この人はまだなんだろうと思うけれど、もしこれで声変わりをしているとするならば、性徴前はどれだけ甲高い声をしていたのだろうと思う。

「おはようございます、不二先輩」
「今日は随分早いんだね。珍しいなあ、万年遅刻の君がこんな時刻に登校してくるなんて。今日は雪でも降るのかな」

初夏に足を突っ込みかけている晴れ渡った空を見上げ乍ら、リョーマからすればどこか裏のありそうなにこやかな笑顔で不二は楽しそうにそう言った。

「曇りぐらいにはなるんじゃないッスか?」
「あれ、自覚あるんだ。自分の行動が青天の霹靂だってこと」
「天気予報で晴れ時々曇りって言ってましたから」

こうして揶揄われることは予測済み。
朝食に下りていった階下でも既に母親と父親から揶揄われたこともあるが。

いつも早く起きろ遅刻するなと言うくせに、対応してみせれば揶揄ってくるというのは、結局自分にどうして欲しいのだろう。周りの人達は。








「越前!?」

オハヨゴザイマス。
無愛想な挨拶と共にリョーマが扉を開ければ、中に居た大石が酷く驚嘆した声でリョーマを見た。

この人がひょっとすると一番失礼かもしれない。

「ど、どうしたんだ!?どこか悪いのか!?」
「別に。いたって健康ですけど」

目をこれ以上ないくらいに丸くして、自分の額とリョーマの額との温度差を掌で計ってみたりして、ワザとなんだか無意識なんだか、少し判じ兼ねる。
どこかの誰かさんに似て、この人も天然の素質があるらしい。

「おーいし!おちびだって偶には早く起きる日もあるって!そこまで心配したら逆に失礼だって!」

終いにはリョーマの腕の関節を緩く折り曲げてみたりする大石の間に、菊丸が割って入る。

「おちびもちゃんと大丈夫だって言わないとダメでしょ!」
「最初に言ったんスけど…」

聞き入れてくれなかったのだけれど。

「まあ、大石の気持ちも解らなくはないがな。越前が練習時刻の30分前に部室に到着するなんて今日はきっと槍でも降るんだろう」

リョーマ達から少し離れたところで乾がらしくない非科学的な発言を漏らす。
槍が降ってきた日なんてリョーマは見たことがない。当たり前だけれど。

「今日は午後から曇りッスよ」

菊丸の仲裁のおかげで自由になった体をロッカーに向けて、呆れ気味にリョーマは乾へと言葉を投げた。
今日は後何回、この天気予報の受け売りを口にしないといけないのだろうか。








「越前…?」

ユニフォームにも着替えて、ベンチで靴紐を結び直していたリョーマの背に、自分の名を呼ぶ声が飛んで来る。
ガチャリと扉の開く音がしたから、たった今入ってきた部員なのだろう。いつもはこの時間には居ない筈の自分が居ることが俄には信じられない、そういう声色だ。

「オハヨーゴザイマス、桃先輩」
「お前、ホントに先に家出てたんだなー…てっきり今日はエイプリルフールかと思ったぜ。家迎えに言ったら『リョーマは先に行きました』って言われるからよ」
「はぁ…スンマセン」

どうして謝らなければならないのか、と少し思う。まあ、無駄足を踏ませた分を詫びているということにすればいいが。
誰か一人くらいは褒めてくれないのだろうか。どちらかといえば美挙だと思うというのに。

「いや、まあ、いいんだけどよ。別に先に行ってても。今日は雨でも降るんじゃねえかとは思うけどな」

ひひひ、と卑らしく笑う桃城に、本日四度目のセリフを叩き付け、白いキャップを被ってメタルレッドのラケットを掴んで、リョーマはコートへと向かった。

「今日は午後から曇るらしいですよ」








「越前」

コートには数人の部員がもう出ていて、ネットを張り出したりボールの入ったバスケットを運び出したりしていた。
そんな中、リョーマに一番に声をかけたのは手塚だった。

「おはよ、部長」

小さく駆けて手塚の元へと走り寄る。
夢の中同様、凛と立つ姿勢のいいその姿は明度の高い空の背景にとても綺麗に映える。

「おはよう」
「今日はちゃんと『おはよう』、デショ?」

どうせ、この人も他の部員同様に自分が今この時刻に此処にいる事を揶揄するのだろう。常に遅刻について云々言うのは手塚なのだろうから。
敢えてリョーマは自分からその話題を振った。

けれど、

「?」
「へ?」

手塚は不思議そうな顔で小首を傾げた。

「オレが遅刻もしないでこんなに早く来てるのって珍しいでしょ?って言いたかったんだけど…」

てっきり、皮肉のひとつでも浴びせてくるだろうかと思っていたというのに。
尚も不思議がる手塚の方がリョーマには不思議だった。

「珍しがらないなんて、アンタどっか悪いんじゃないの?」
「失礼な事を言うな、お前も」

遂にはそんな感想まで覚えるリョーマに、手塚は小さく笑った。

「だって、普段オレって遅刻ばっかりしてるじゃん。他の人らには散々からかわれたし」

てっきり、アンタもそうだと思ったんだけど。
リョーマが言い募ればやっと手塚もリョーマの先述した言葉の意味を理解したらしい。ああ、そういうことか、と漏らした。

「いつも遅れてくるから俺はお前に小言を言うんだ。定刻通りに来たのなら、敢えて揶揄かう必要はないだろう?この時間に来いといつも口を酸っぱくして言っているんだからな」
「まあ、そりゃそうだけど…」

何だか虚を突かれた感じだ。手応えが無い、と言うか。
正論を前に、リョーマは不服そうに口を尖らせるが、直後にある事を思い出して、試す様な視線で手塚を見上げた。

「ねえ、どうして今日はちゃんと来られたと思う?」
「寧ろ、どうしていつも遅れるんだ?お前は」
「そんなのオレが聞きたいよ。ね、今日はどうしてだと思う?」

本人が知らずに、誰がいつもの遅刻の原因を知っているのだろうか。まあ、偏に自律がなってないのだろうと手塚は勝手に結論付けるが。

取り敢えず、恋人からの問いに一応頭を巡らせてみる。が、手塚が答えのひとつを見つけるよりも早く、リョーマが嬉々として口を開いた。

「アンタが起こしてくれたんだよ」
「俺はお前を起こした覚えはないが?」
「夢に出てきてくれたの。そしたらもうパッチリ目が覚めちゃった」
「…お前、結構安いんだな…」
「オレは高価いよ?何言ってんの?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな…」

自分一人が目覚めの前に出てくるだけで人並みに起きられるならば、幾らでも出てやるのに、と手塚がこの時思ったことは手塚だけの秘密だった。





















モーニングビュー。
…すごくヤマもオチもイミもないベタな話を書いてしまったような…ガクブル。
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