ネームコード『 』
つい数分前のあの言葉を思い出して、大石部長代理は客席のベンチへと腰を下ろしてから間に宮崎へと電話をかけた。
もうすぐ関東大会の勝者を決する重要な試合が始まるというのに、我ながら不謹慎かもしれないと思いつつも。
暫くコール音が続いてから、先方は電話に出た。個人から個人宛の携帯電話の筈なのに、几帳面に自分の名を告げる。
「はい、手塚です」
向こうのディスプレイにはきちんとこちらの名が表示されているだろうに、ちっとも友達くさくない電話の出方。
その堅物振りが逆に懐かしくて、電話口でくすりと大石は笑った。
「もしもし、手塚か?大石だけど」
「ああ、大石か。どうしたんだ急に。今は立海大付属との試合の最中じゃないのか?」
「あ、ああもうすぐ始まるところだ、ちょっと、今、時間大丈夫かな?」
ひょっとすると病院の中か、はたまた何か用事をしていた最中かもしれない。そう思うところもあって、そして礼儀的に大石はそう尋ねれば、問題ない、とフラットな声音が返ってくる。
「なにか問題か?」
きっと、手塚が指しているのは『部員に』ということ。
しかし、大石が手塚に電話をかけたのは決して試合の開始を前にトラブルが起こったからだとか、そういう不穏な事象の報告ではなく。
相手には姿は見えない、と承知ながらも、つい大石はその場で首を横に振った。
「そうじゃないんだ。と、いうか、そんな大した事じゃないんだけど、ちょっと嬉しくて、つい」
「嬉しい…?」
「実はね、」
あの時の心嬉しい様を思い出して、ふふふ、と浮かれた様子で大石は電話口で笑う。
手塚からは先の見えない話に、きっと電話向こうの手塚は果てなと首を緩く傾げていることだろう。
「みんなから、大石部長って呼ばれちゃったんだ」
大石『部長代理』から『部長』という呼称へ。
手塚という絶対的な『部長』がメンバー全員の中にあるだろうに、皇帝と呼ばれる威厳ある王者のナンバー2に面と向かって宣戦布告をしてのけた大石への賞賛も込めて、呼んでくれた。
たったそれだけの事なのだけど、大石からしてみれば、『代理』が抜け落ちた事は酷く嬉しかった。
重大な試合の前に、自分の中でこのチームを優勝へと導こう、その助けとなろうと今まで以上に堅く想いを決めた瞬間だった。
それ程に大石にとっては感動的ですらあった場面を、
「そうか」
とだけ手塚は一蹴した。なんだか声音も少し低くなっていた気がする。
それを、大石は手塚の機嫌が悪くなった、とつい受け取った。
手塚も、本来ならばこの場に立っている筈で、本人もきっとそれを望んでいたであろうに。
『部長』という呼称と役職は、手塚にとってはプライドのひとつだったかもしれないのに。
つい一瞬前の大石の上機嫌さは消えた。
「あ…すまん、手塚。部長って呼ばれて浮かれてるなんて、本来の部長であるお前に話すべきじゃなかったな…。すまん、失言だった」
「いや…」
気にするな、とでも言っているかの様な手塚の返事は大石にとっては追い打ちにしかならなかった。
「本当にすまん。お前だって1日も早くこっちへ帰って来ようと努力してるのに。『部長』のお株を奪って喜んでるみたいだな、俺」
「いや、実際、今、お前に俺は青学のすべてを委ねているんだ。部長と呼ばれるのも当然だろう」
「…そ、それでも………」
手塚に対して申し訳なくなる想いを捨てきれなかった。
大石だとて、手塚の復帰を願っている一人でもあるのに。
尚も言い募ろうとした大石の言葉は、珍しく会話の途中を遮る手塚の声で消された。
「ところで、いらんことを聞くかもしれんが…」
「あ、ああ。なんだい?」
「『皆から』とお前は言ったが…」
やっぱり気にしてるんじゃないのか、手塚!?
幾ら自分が嬉しかったと言ってもやはりこの話題は手塚には振るべきではなかったのかもしれないと、酷く、酷く大石は後悔した。
それでも、気丈なフリをして、相槌を返す。
少しばかり躊躇うかの様に、間を置いて、意を決した様に手塚は大石へと尋ねた。
「越前も、お前の事を大石部長、と呼んだのか?」
やや死角からの質問に、一瞬、大石は戸惑う。けれど、答えを偽る必要は無かったし、自分から切り出した話題だけにはぐらかすのもどうかと思え、真実をありのまま伝えることにした。
「あ、ああ。越前も俺のことを大石部長って呼んでくれたよ」
表面上は何でもない様に装いながらも、大石の心臓は早鐘を打っていた。
ついさっき、この話題を振ってしまったことを既に後悔しているのだ。ひょっとして今答えたこの返事も現実の部長である手塚には返すべきでない答えだったのかもしれない。
そんな大石の不安を更に煽る様に、電話の向こうの手塚は押し黙った。
「……………」
「……」
電話の向こうからどこか怒りを感じるのは気のせいだと思いたい。
この沈黙は寡黙な手塚故の沈黙なのだと、大石は一人思いこむことにした。
けれど、
「大石…」
嫌な予感というもの程、得てして的を射るもので、
「な、なんだい?手塚…」
大石は安易に彼の怒りをかった。
「部長、だけで越前に呼ばれたらお前の勝ちだ…!」
ガチャンツーツーツー
「て、手塚ぁっ!?もしもしっ!?」
「てづか……?…あ、大石部長、もしかして部長から電話ッスか?オレにも代わって?」
「手塚ーーーーーーっっっ」
「ね、代わってくださいよ。大石部長。部長と喋りたいんスけど」
目の前を通ったリョーマが、くい、と『大石』部長の袖を引いた。
ネームコード『 』
コミックス23巻より。
すごい今更ネタで申し訳ない…。
部長オンリだけで呼ばれるのは手塚しかいないという主張。
ジェラシーハニーv俺は負けないっvv
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