能動と受動
















それに理由があるとするならば、自分達以外の人間が部室から外へと出て行ってしまったことかもしれない。ふと訪れた二人きりの瞬間が何故だか胸にぐっと詰まって、気が付けばリョーマは正面から手塚をその腕で包んでいた。
怪訝そうに手塚もそんなリョーマを見下ろすけれど、幸いにも見られている第三者の視線も気配も無いものだから、やんわりと抱き締め返した。

ほっこりとリョーマの胸にも手塚の胸にも、宿るものがあり、互いにそっと腕へと力を込めたその瞬間に、

「タオル忘れたー!」

大きな音でドアが開いて、慌てた顔の菊丸がすぐに覗いた。
開扉されたその音に、リョーマと手塚の体は堪らずびくりと大きく跳ね、揃って気まずそうに菊丸を見た。身を離すことを忘れたまま。

自分のロッカーへとドアを蹴破ったその調子のままで向かおうとしていた菊丸も、ドアを開いてすぐに飛び込んできた二人の光景に、思わず目を何度か屡叩いた。
そして、ええとー、と間延びした文句で言葉の間を繋ぎ、何故だか不思議そうに首をことりと傾げる。

「お前らさあ、それじゃ、どっちが抱き締めてんだかわかんなくない?」

部室内でひっそりと抱き合っていることになぞまるで言及せず、菊丸はそう言う。そういった秘密事は彼にとっては大きなことでは無かったらしい。
それよりも、彼が気になったのは、二人の抱き締めあったその状態。

「っていうか、二人して『抱き締めてる』側になってない?『抱き締められてる』側はどっちさ?」
「どっち……、って、」

秘め事が露見したことに対して意識が向かっていたせいで、応答するリョーマの声は戸惑っているかの様で。
そして、そんなリョーマが発した言葉の次には、狙ったかの様に同じタイミングで、「部長」と言うリョーマと、「越前」と答える手塚とが続き、その後に一拍の間を置いて、お互い喫驚した顔でまじまじと相手を見た。
隠れていた齟齬を今初めて知った、というその両者の顔色を見て、ほらやっぱり、と菊丸が二人の前で苦笑する。

菊丸からの視点で現況を語れば、どちらもが能動的な気配を纏っていた。能動と能動だけしかそこには無く、受動している人間が居ないのだ。それが抱擁シーンを目撃してイの一番に菊丸には気にかかっていて、思わず指摘しまった。
告白を仕掛けたのはリョーマからだと菊丸は聞き及んでいるから、リョーマとしては能動的に手塚を抱き締めているつもりなのだろうと思う。けれど、その手塚は手塚で、現状では埋まりようが無い体格差が故に、どうしても腕にすっぽりとリョーマが都合良く収まってしまうものだから、どうしても能動的な気分になってしまうのだろう。現に、今もやはりリョーマは第三者の目から見れば、抱き締められている側の様に見える。当事者である手塚ならば、この感は一際だろう。
ただ、素直にリョーマの方を受動的に抱擁されていると見られないのは、彼のその、手塚へのかぶりつき具合があるせい。

二人揃って、受動的になれないのは恐らく、今までどちらもが『男』として育ってきてしまった為。
受動的になる事に、どちらもが慣れていない。

「どっちかがさー、譲歩して女々しくなってやんないと」
「女々しく…って、んなの、オレは無理だし」
「俺だって無理だ」
「だーからー、そこを何とか譲歩しなよ、って言ってんの」

譲歩、と自らで言い乍らも、菊丸はこの二人にはそれは無理だろうなあ、と少し思っている。
揃いも揃って、頑な過ぎる二人なものだから。
菊丸のそんな思案を体現するかの様に、目の前の二人はまだお互いを抱き締めたまま、一方は目線を振り上げ、一方は振り下ろして、納得いかない顔で見合っている。

お陰で、だめだなこれは、と菊丸が己の考えを肯定するのに時間は数秒もかからなかった。
なので、提案という名の助言を彼等にひとつ与える。

「あのね、『抱きしめる』もいいかもしんないけど、『抱きしめられる』っていうのも、結構いいもんなんだよ?」

知ってる?と人差し指をピンと立てて、そう言えば、シンクロして不可解な表情を二人は見せた。
ゆらゆらと、左右に人差し指を菊丸は振る。

「いつも、大石に『抱きしめてもらってる』けど、すごい気持ちいいもん。そうだなー、俺としては、手塚にそれを味わってもらうのがいいと思うけど?」
「何故」

すぐ様、手塚が眉間に皺を寄せた顔で菊丸にそう尋ねてくる。
考え無しに発言した訳ではなかったから、菊丸も手塚のその問いに即座に口を開いた。

「だって、最初に抱きしめたのっておちびなんでしょ?だったら、手塚はそれに『応えて』やる側なんでないの?おちびは抱きしめ返されるのは期待してたかもしんないけど、抱きしめ『られる』つもりで抱き着いたんじゃないだろうしー」
「しかし……」

手塚は尚も渋い顔をして納得しようとしない。男としての面子だとかプライドなんかが邪魔をしてしまっているのだろうけれど、そこはそれ、男同士の付き合いならば割り切らなければ仕様がないと菊丸は身に染みて知ってしまっている。
パートナーとして、同性を選んでしまったからには、ちょっとばかり仕様がない。

「手塚は知りたくないの?『抱きしめられる』っていう気持ち良さ」
「……」

沈黙は肯定だと受け止めて良いだろう。言葉にして肯くのは妙なところで羞恥を感じる手塚としては憚られただろうから。
にん、と楽しそうに菊丸は笑った。

「一回、試してみ。俺って嘘は言わないから」

じゃね、とそのまま二人を残して外へと出て扉を閉めてしまってから、忘れ物をまた忘れたことに菊丸は気付いたけれど、今、恐らく、あの二人は譲歩について考え出した頃だろうから、しょうがない、とコートへとそのまま向かった。






日を追う毎に、手塚の性格が丸くなっていくのを体感して、菊丸はあの日の提案が功を奏したのだと一人、忍び笑った。

















能動と受動
手塚さんは受として納得したらしいです。
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