#ffbdb3
「ももいろ…」
手塚の顔を繁々と眺めた後、菊丸はぽつりと放心する様に力無くそう漏らした。
呟かれたその一言を耳聡く聞き取った手塚は菊丸を振り返った。明朗快活な彼がするには珍しい、ぽかんとした間抜けな顔がそこにはあった。
「桃色?」
訝し気に手塚がそう言葉を反復させて尋ねれば、
「おちびもそう思うよねー?」
体を前に倒し、彼の位置からは隣の手塚を挟んだ向こう側に座るリョーマに視線を向けて菊丸はそう同意を求めた。
雨の日、ミーティング終わりの部室にて。ばらばらと席を立つメンバーの中、菊丸、手塚、リョーマの3人だけがまだ席に腰を下ろしていた。
普段ならば、矢鱈に長くて小難しいミーティングが終われば颯々と席を立ってしまう菊丸が未だこの場に居る事は珍しい。
ミーティングの最中から、ちらちら顔を見られていた感触が手塚にはあったが、隣席ということで偶々視界に入ってしまうだけだろうとしか思っていなかった。
それで言えば、手塚だとてもう一方の隣席のリョーマの顔がミーティングの最中に見えたし、時として目だって合った。――――リョーマの場合は意図的に手塚を見ていたのだけれど。
色気の無い会議よりも色気の有る手塚国光。幼い彼の思考回路と嗜好は偏に簡素で欲望に忠実なだけだ。
まあ、とにかく、そういう理論なのだろうと特に気にもしていなかった事の方が杞憂であったらしい。
敢えて、菊丸は手塚を見ていたらしかった。
彼曰く、
「手塚って、最近モモイロモモイロしてない?」
頬杖の上に乗せた目を凝らすようにきゅっと細める。まるで手塚の向こう側に霞む何かでも見定めようとするかの様に。
一体、何が見えているのだろうかと思いこそすれ、言葉に出す程には気にかからない。
此処に集っている連中は揃いも揃って飛躍的な考え方ばかりを持っているせいで、ひとつひとつ気にして相手にしていてはかなり疲れる、ということを3年目の付き合いにして手塚は漸く悟っていた。
そうか、と短くだけ返せば、その返事では不満らしい。ぷう、と頬が膨らんだ。
「絶対、桃色!なんかうすーく桃色!」
「そうか」
「3年までは無色だったのにさ、何なの、最近なんかあった?」
最近、と言われても特別に手塚の記憶に思い当たる節はない。
『最近』の範囲を中学3年生に進級してからだとすれば、心境の変化はひとつだけあるけれど。
ちらり、と手塚は菊丸とは別の隣席の人物を見遣る。
菊丸と同じ様に、ぶす、とつまらなさそうな幼い顔。きっと、ミーティングも終わって後は帰宅するだけだから、早く帰りたいのだろうけれど菊丸の話が終わらないことには手塚が解放されないということに焦れているのだろう。
顔は正面を向いたまま、両手で頬杖を付いていた。
『コレ』が入学してきた事ぐらいしか、手塚の心境の変化の因子は手塚本人には思い当たらない。
それまでは順風満帆、とはいかずとも実に平穏な毎日だったのだ。
平穏すぎて退屈を覚える程に。
平和だった毎日はこの少年との出逢いで全てが粉砕されたと言っていい。辺り一面、全てが綺麗に吹き飛んだ。
おかげで、始まり出した中学最後の年はやけに心弾む瞬間が多い。
しかし、多大なる恩恵を齎してくれた『コレ』のせいで、桃色と批難されているのだろうかと、いつもは白いキャップで隠されている旋毛から鼻先までをじろじろと不躾なくらいに眺めれば、その視線に気付いたらしいくるりとした愛らしい双眸がこちらに向いた。
カチリ、と音はせずとも視線は双方向。
顔を支えていた手を外側だけの手にして、正面だった体の向きを心持ち手塚の方へと変えて不敵な笑みの形でリョーマの口元が弧を描く。
「な、あ、に?」
誘うように細められた目、薄く開閉する唇に顔が熱を持つのを耐えきれそうになくて、手塚は菊丸へと視線を戻した。
その瞬間に背後で可笑しそうにくすりと笑う声が聞こえたけれど、敢えて聞かないフリ、で。
「ねーねー、なんかあったでしょ?手塚が桃色なんてあり得ないんだもん、絶対なんかワケがあるに違いないに決まってるの!」
どうしてそう決めつけるのか。どうして自分が桃色というのは『あり得ない』のだろうか。実際、今、彼の目には桃色に自分が見えているのだろうに。
『あり得て』いるのだというのに。
「…別に、何も」
「ウッソだーぁ」
その通り。嘘八百だ。
自分に何を言わせたいのかは知らないけれど、この場で「越前と出逢ったからだろうか」なんてきっぱりと言い退けられる程、手塚の肝は据わっていなかった。
二つ年下の少年と恋仲だなんて、当の手塚だとて漸く自覚し始めたばかりだというのに。
好きだと言われてオレの恋人になってと言われて受諾して、1週間と少ししか経っていない。
その受諾の返事だって、考えを纏めて自分の想いを整理して、更にそこに追い打ちをリョーマ本人からかけられて、やっと、自分も彼の事が好きらしいと気付くという、随分と遠回りな道程を経て打ち出したもの。
こういった面での経験値の低さを我ながら気恥ずかしく思える。
しかし、それで自分が桃色、という点に関しては矢張り手塚の思考では追い付かなかったけれど。
手塚の答えに菊丸は煮え切らず、菊丸の思考回路に手塚が追い付けずにいれば、
「英二、まだ帰らないのか?」
くるり、と菊丸が、視線だけで手塚がその声に振り返る。
リョーマはさっさと帰りたい、とまた両手で付いた頬杖に顎を埋めて、ぼんやりとしていた。
「大石」
「俺はもう帰るけど、どうする?」
「………う〜〜…っ」
ちらり、と大石から手塚へと菊丸は視線を動かす。
手塚からの判然とした桃色の正体を聞き出したい思いはあれども…――、
「俺も帰るーっ」
結局、ぴょん、と跳ねる様にして椅子から立ち上がり、足下に置いておいた鞄を手に持って。
そのまま、一直線に出口へと向かうかと思われたが、去り際に、手塚を振り返った。
「いつか絶対突き止めてやる!」
「…そうか」
「覚えてろーっ」
ヒーロー番組の悪役宜しく、な科白を吐いて、ばたばたと菊丸は駆け出て行った。
その後を、ゆっくりと大石が出て行く。
「じゃあな、手塚。それに越前も。また明日」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「おつかれさまっしたー」
パタリ。
静かにドアは閉じられた。
「さて、俺達もそろそろ…」
「ねえ」
そろそろ帰ろうか、と椅子を立ち上がりかけた手塚の袖をクン、とリョーマが引いた。
「英二先輩ってめちゃくちゃ目いいんじゃないの?ひょっとして」
何やら面白がっているような顔つき。
言われて、手塚はぼんやりと思い出し、動態視力は優れている、という様なことを返せば、そうじゃないよと笑われた。
「そういう意味じゃなくて」
「どういう意味だ?」
「見抜くの上手いね、って言ってるの。俺達の関係ってばらした覚えとかって無いんでしょ?」
問われて、手塚は少しばかり考えて、
「…ああ」
「オレもわざわざ言った覚えもないし。それで部長が『桃色』に見えるだなんて、やっぱ、目、いい」
「そうなのか?」
その『桃色に見える』という感覚がどうも手塚には解せない。
人が何色かに染まって見えた経験など無いし、今の自分だって肌は肌色、髪も日本人的な色味をしているし、精々、唇ぐらいしか桃色に該当する様な箇所はない。
どこをどう見て、『桃色』なのか。
手塚は思考を巡らせつつ、小首を緩やかに傾げた。
くすり、と眼下で笑い声がまた漏れる。
「ピンクじゃなくて桃色ってとこがアンタらしいよねえ。それまでは英二先輩が言うには無色透明だったんでしょ?部長って」
「?」
「恋は人を変えるんだねえ…」
「は?」
しみじみと言われて、手塚の顔は引き攣った様に歪む手塚の顔をリョーマはゆっくりと見上げて、にんまりと笑顔を作った後、
「帰ろっか」
そう言って手塚の手を握った。
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htmlタグでの16進数。こんな色ですよ。桃色。
越前愛に染まって行く手塚途中経過。
菊ちゃんは色んな意味で目いいのが理想です。直感がいいというか。
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