冬のリップサービス
裂傷が走る唇の端が痛くて、ぺろりとそこを舌先で舐めれば、途端に頭上から咎める声が降ってくる。
そんな彼を、リョーマは恨めしそうに眸だけで見上げた。
「誰のせいだと思ってんの?」
「冬のせいだな。何しろ、空気が乾燥し易い」
リョーマの観点から言わせれば、とんとお門違いの事を言って、手塚は何やら自分のポケットを探り、取り出したプラスチック製と思われる短躯な円筒の形をしたものをリョーマへと差し出した。
使え、と短く命じられて、差し出されるそれを受け取りつつ、リョーマは眉を俄に顰めてみせた。
「どうして、この場面ですんなりとリップが出て来るワケ?」
まるで見計らったかの様にタイミング良く。女子の常備品ともいえる小道具が手塚のポケットから出て来るのか。
キャップを開けて、中身を繰り出せばそこに使った跡は見られなくて、リョーマは増々、不審を募らせた。じっとりと、睨む様に手塚を見上げる。
視線の先に居る手塚はリョーマから目を既に離し、机上に広げられた参考書へと向かっていた。
こちらを向かない顔の中にある唇が解け、馴染んだ声が出て来る。
「今朝、母から貰ったところなんだ」
見たところ、手塚の唇は荒れてはいなさそうだったから、どうして、とリョーマが問いを重ねれば、薄く手塚が口元を開いて見せた。
「唇の少し奥が、」
歯列に限りなく近い唇の赭い部分を、奥から生える手塚の舌がぴたりと指し示した。
リョーマも、そこへと視線を向けたのとほぼ同時に、手塚は「荒れているらしい」と言葉を続ける。注視してみれば、確かに、少しばかり薄皮が剥けているのが目に飛び込んだ。
「痛くは無いの?」
「痛くは無いな」
「オレのは痛いんですけど」
「だから、」
使えと言っている。
レンズの向こうにある黒目が、ちらりとリョーマの掌中にある円筒形の医薬品を一瞥した。リョーマも手元を見下ろし、筒の奥に潜む白い固形物を見留めた。
手塚の視線はまた机上に返る。そのまま、リョーマが先端を更に繰り出して、言い付け通りに使ってみせるのだと思った。
けれど。
彼はコトリと手塚の参考書の脇にそれを置き、机に両手を突いて上肢を伸び上がらせた。
動いた彼の気配に手塚が視線を上げ直せば、間近に迫った彼の顔がそこには大きく在って。ぱちり、と驚きから湧いた瞬きをひとつしているうちに、ちゅう、と音を立てて口吻けられた。
すぐに顔を離した彼は、自分がしたい様に振舞った筈なのにまだ不愉快そうな顔をしていて、手塚がもう一瞬きしている間に、二つ目のキスをその唇に落とした。
「勉強なんかにかまけて、最近キスしてくれないからアンタはそうなってるんだし、オレはこうなってるの」
解ってる?
口端の切れたリョーマからの久しぶりのキスは仄かに血の味がして、それが何だか妙に痛々しくて、手塚は浅く瞼を下ろし、ゆったりとリョーマに唇を与えてやった。
そのまま、リョーマが体重をかけて床へと押し倒してくるものだから、触れ終わった口で手塚は「上限1時間」と告げる。
「中学三年生は期末考査で忙しいんだ」
なんて素っ気ないことを言う口だろうかと、正直苛々する気持ちを覚え乍ら、リョーマは手塚を塞いだ。
冬のリップサービス。
リップサービスがお世辞、的な意味だということは存じておりますよ。勿論、わざとですよ。
さてここで問題です。越前は1時間で何発いれられるか。
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