inexperience
食い込んできた感触に、背筋がぞくりと嫌な音を立てるものだから、リョーマの肩を力任せに押しやった。目の前で、どうして肩を押さえ込まれているのか解らない、と云わんばかりに戸惑った顔をしてみせるリョーマのその顔を、血が滲み出しそうな程に強く唇を噛み締めて手塚は睨んだ。
「……どうして、噛むんだ」
「何を?…………って、ああ、舌?」
ぺろりとリョーマは自分の舌を唇の間から覗かせて手塚へと見せる。その瞬間に、手塚の顔が少しばかり、赤くなった気がした。眉間の皺がきつくなったのは、気のせいでは無かっただろう。
「…噛むな」
「どうして」
それは率直な疑問だった。ぶつけてみても、すぐには手塚から返答は戻らない。返ってくるべき答えの代わりに、ぎりりと奥歯を噛み締めたようだった。
リョーマの反応が気に入らないのか、それとも只、悔しいだけなのか。
「気持ち、悪いだろうが」
「気持ち悪い?どうして」
問いを重ねるリョーマの姿は、手塚には聞き分けの無い幼児の様にも見えて、酷く歯痒く感じられた。
最初の問いに、少々歯切れが悪かったけれど答えはしたのだから、それで納得してくれれば良いのに。
面相が更に険しくなるばかりで口を開こうとしない手塚を目の前にして、どうやら質問が宜しくないらしい、とリョーマも流石に気が付く。だから、質問の糸口を変えてみることにした。
何がどう気持ち悪いのか、という問いの方へと。
リョーマとの間に一定の距離を保つべく、肩から腕を退かせることもせず、何やら言い辛そうに緩々と口を開き始める。
「…背、が」
「背中が?」
「……。背、だけでは無いが、」
「うん」
訥々と言葉を紡ぐ手塚を急かすこともせず、彼に合わせてリョーマもゆったりと話を聞く。急いてしまえば、逆効果だろうから。
「悪寒が走るというか……」
「ぞく、ってするってこと?」
「まあ…そんな様な…」
ピン、とすぐにリョーマは気が付く。手塚の勘違いに。
気持ちの良い事と、気持ちの悪いことは紙一重。そこのところを手塚は踏み違えているのだと。知らなかったのならば、仕方が無いことなのだろうけれど。
本当に気持ちが悪いのならば、顔は紅潮せずに蒼白な色にでもなるだろうから。
「ね、部長」
自分以外の他人にその間違いを修正させるのはどうしたって許し難い。手塚が何も知らないのならば、教え込んでやるのは自分であって然るべきの筈。
そういうことをしても良い関係にまで、上り詰めているのだから。
けれど、きっと頭ごなしにそれは気持ち良くてそうなっているのだと言ったところで無駄だろうと思う。何せ手塚自身が気持ちが悪かったと信じ込んでいるし、気持ちの良いことをまるで知らないのだから、こちらの言い分を容易く信じてくれる筈も無い。
赤色を青という名称で勘違いしている人間が居たとすれば、真っ赤に熟れた林檎を指し示してこれは赤色なのだと言っても、その人間は青だと言って譲らないだろう。手塚の現況はつまり、そういうこと。
ならば徐々に慣らしてやるのが適策。
リョーマは話題を微妙に逸らした。
「部長の舌、ちょっと硬かったんだけど」
「かた、い?」
まだ赤味の残る顔で、手塚は眉を顰めてみせる。先の話題が決着していないにも関わらず、新たな話の矛先を向けられたことと、その話が少々突飛だったことものだから。
舌が硬いだ柔らかいだ、そんな話、誰ともしたことがない。
訝しがる手塚の腕に未だ押さえつけられ乍ら、そう、とリョーマはひとつ首を縦に下ろした。
「でも、ひょっとしたらオレの勘違いかもしんないんだけど。ちょっと噛んだら部長がすぐに突き放したからさ」
両脇に垂らしていた両腕を、リョーマは持ち上げ、押さえつける力を緩ませようともしない手塚の腕に掌を添えた。そしてにこりと手塚に向かって微笑んでみせる。
「ね、もう一回確かめさせて?」
「…い、」
「い?」
「いや、だ…っ」
「痛くしないから」
大丈夫だよ。少しだけだから。そう宥めてみても、手塚は一向に承諾しようとはしない。
頑固な手塚に、内心で仕様がないな、と呟いて、リョーマは思考をまた少し改める。今、リョーマの中では数字的なふたつの年の差なんて意味の無いものでしか無かった。
手がかかる、と辟易しなくもない。
「じゃあ、部長がオレの舌、噛んでみて?」
ぴくりと手塚の片眉が思わず跳ねる。リョーマはまたにこりと穏やかに微笑みを見せた。
「それなら怖くないでしょ?」
「しかし……」
色々と抵抗がある上、それがどういう結果を齎すのかてんで解らない。
けれど、手塚が是とも否とも答える前に、リョーマは朱い舌を早速、口内からべろりと出してみせた。体内の一部である血色豊かな赤い色のせいで、渋る気持ちとは裏腹に手塚の脈は俄に速くなり、思わず息を飲み込んだ。
性欲が働いた、というよりは、食欲が働いたという方がきっと的確だっただろう。
美味そうだと思えるには、リョーマの舌は魅惑的な色をしてい過ぎた。
加えて、こちらの準備は万全だとばかりにリョーマが目蓋を伏せてしまうものだから、恐る恐る、手塚は唇を薄く開いては顔を次第に近付けていき、差し出されているリョーマの舌先を上歯と下歯の歯列でゆったりと挟んだ。噛む、というよりも挟むという言い回しが当て嵌まる程度に、まるで力が込もってはいなかった。
じわりじわりと上下の歯先に力を込めていくと、不意に鼻から抜ける上擦った声がリョーマの口元から漏れてくるものだから、思わず手塚は口を離す。
舌上から退いていった感覚に、リョーマも伏せていた目蓋を緩々と開く。
目を開いて一番に飛び込んでくるのは、やっと腕を離して、戸惑った顔で真正面に佇む手塚の姿。それを一目見て、リョーマは目を細めて笑みを浮かべた。
「気持ちいい、よ?」
「…え?」
「部長が言うみたいに、気持ち悪くない。ぞくってするけど、なんか…、」
うーん、と小さく唸って、首を左にことりと傾げ、気持ちいい、とリョーマは繰り返した。
「部長のも、ひょっとしたら勘違いじゃない?」
「……しかし…」
「だって、オレは気持ち良かったんだもの。ねえ、部長」
呼びかけて、そっとリョーマは手塚の頬へと指を滑らせた。過敏に跳ねてみせる手塚の反応はなかなかに快い。
「もう1回、確かめてみようよ」
気持ちがいいのか悪いのか。
言い様、リョーマは顔を近付けていき、そして手塚もリョーマが掲げた思案の結論を探りたく思ったのか、唇の隙間からほんの少しの舌先をはみ出させてそのままリョーマに従うのだった。
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そして手塚の調教は進む。
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