S.P.S(stone.paper.scissors)
















ベッドの上に仰向けで寝転んでいたリョーマが突如として身を起こしたのは、天井へと向けて伸ばしていた足の指を開いたり閉じたりを頻りに繰り返した後だった。
足がシーツの上にぱたりと落ちる音を聞いて、何をするとでもなく茫洋と隣に俯せに寝転んでいた手塚が視線だけを少し上げ、顔を持ち上げて肩越しに後ろを振り返ればシーツに投げ出していた素足へと腹這いに躙り寄っていくリョーマの後ろ姿が見えた。
小さな尻をぷりぷりと振って近付いていくその様は何やら非常に楽しそうで。

嫌な予感を胸が占めていくのを、薄らと手塚は感じていた。
リョーマの上機嫌が何か素晴らしい出来事を齎した覚えが一切無かったものだから。

「越前……」
「あれ?起きてたの?寝てるんだと思ってた」
「いや…ずっと起きているんだが……」
「ああそう」
「越前」
「なに?」
「いや…何か?と聞きたいのは俺の方なんだが」

会話を交わしている間にリョーマは手塚の足へと辿り着き、生返事を手塚へと発し乍らリョーマは手塚の右足の親指を左へとぐいと引っ張った。
途端、手塚の顔が不審に顰められる。

「越前さん?」
「ハーイ?手塚さん、何か?」
「いやあの、いきなり何なんですかね?」
「んー……ほら、アンタって体カタイじゃない?」

前屈ごときも腹くっ付かないし。
大層、柔軟ができるリョーマとしては容易いこと。けれど手塚にとっては少々困難なこと。

手塚の顔も見ず、ただ足の指だけを眺めてリョーマは親指の他に人差し指や小指をぐりぐりと回しては右に左にと傾ける。

「体がカタイと足の指もそうそう開かないかなあ、って」

どう?とやっと手塚を振り返る。
暇なら何か他のもので遊べば良いのに、目の前のこの子供はどうしてこちらの足指なんかに白羽の矢を立てたりしたのだろう。
考え付くのは精々、動き出す直前に足指を開いたり閉じたりしていたこと。あそこに端を発していると思ってまず間違いない気がする。

「…別に、足の指が開かないからと言って、不便なことは何もないだろう」

手の指と違って、何かを握ることも日常生活ではそうそう無いのだし。
けれど、リョーマは手塚の親指を摘んだまま、不服そうに口を尖らせた。

「でも開かないと、インジャンでグーしか出せないじゃん」

そして手塚の足下で尻を着いたまま、リョーマはシーツの上でくるりと旋回し、手塚の眼前へと自分の右足を突き出してみせ、指を内側に折り畳んだり、五指の間それぞれを開いたりした。
器用だなと感嘆するくらい、リョーマの五指はそれぞれ左右に開く。
けれど素直に褒めてやれる程、大したことでは無い、というか、やはりそうやって足の指が開いたところで利益が無い気がして仕様がない。
手塚の足は精々、コートを駆ける時と、リョーマと二人でベッド上に居る時にシーツを足の裏で擦るくらいしか使わない。後は、日常生活で歩行をする時と。そのくらい。

「足でじゃんけんをする機会もそうそう無…――」

ふと、そう返してから直前のリョーマが発した言葉に違和感を覚え、口元へと手を遣った。

「お前、インジャンて…――」

今まで15年間を生きてきて、その単語はなかなか耳にしたことはない。それが関西特有の言い回しなことは辛うじて何かの際に聞いた覚えがある。
それを関西どころかまるで方向が逆のアメリカから帰ってきたリョーマが知っている筈は無いだろうと思う。

「……」

不意に、とある人物の顔が思い浮かぶ。
自分の周囲に関西出身の人間がその者しか居なかったのだけれど、そこから考え付いた発想は手塚自身にもなかなかに突飛で。
第一、アレと目の前のコレとには接点は無かった筈だけれど。

「お前、まさか忍足から何か教わったか…?」
「ん?誰?オシタリって」

忘れられているらしい。
ではまた別の人間から由来しているのだろうか。

「関東ではインジャンとは言わないぞ?じゃんけん、だ」
「じゃんけん?ふうん? 違うものなの?」
「内容としては同じだな。インジャンは日本の西方での訛りだ」
「ああ、ナマり。そっか、それで何か言葉が変だったんだ、あの人」

あの人?と手塚は首を傾げた。
突き出されていた足はもう、手塚の脇腹に近いシーツの上へと墜落してだらりと伸びている。
また開いたり閉じたりを繰り返すその爪先へと視線を落とし乍ら楽しそうにリョーマは口を開いた。

「この間、休みの日にナンパされてさあ」
「お前が?」
「オレが。なんか、丸い眼鏡かけたちょっと髪の長い男に」

こっちの背がちょっと低いからってナメてるよねその態度、と不愉快そうに表情を変えた。
丸眼鏡にやや長い髪。先程挙げた人物と、外見的な特徴が重なる。

「こっちの名前知ってるし、危ない人だと思って逃げようとしたんだけど――」

直接の対決は無かったとは言えど、試合会場で会っているのだから、向こうがリョーマの名前を知っていて当然だろう。ああ、やはり忍足だな、と確信を得ると共にあっさりと忘れられている辺り、哀情を覚えてやらないでもない。

しかも人様の彼氏をナンパとはいい根性をしている。

「ファンタおごってくれるって言うし、まあ、じゃあちょっとだけって思ってコンビニ前で立ち話したの」
「…ああ、そうか」

その時に言葉を教えられたのだろう。
一体、何を話してそういった単語が出てきたのかは知らないけれど。

「あのさ、」

不意にリョーマは手塚の背にぱたりと伸しかかり、また視線をシーツへと戻した手塚の顔を肩越しに覗き込んだ。
声をかけられて、手塚もまた顔を振り返らせる。ぱちりと目が合った。
少々、不安そうな目の色。

「浮気じゃないからね?」

ずっしりと背中にはリョーマが重い。そして要らぬ気遣いもずっしりと。

リョーマが懸念する様なことなど、何も考えてはいないというのに。それとも、わざわざ言及する辺りが怪しいと睨むべきなのだろうか。
けれど、リョーマに声をかけた人物は自分も知っているし、アレにも相手がいることも手塚は知っている。本当に、ただ見知った顔がいたから声をかけた、というだけなのだろう。
意外と人好きな性格をしている彼だから、そんなこともあるに違いなかった。

「ただちょっとおごってもらっただけ。本当だよ?」
「どうだろうな…?」

意地悪な台詞選びは故意。

「いやいや、信じてみようよ」
「そうだな………では、じゃんけんでお前が勝ったら」

信じてみようか。
リョーマを背中に乗せたまま、ベッドの上で体の上下を反転し、リョーマの後頭部を然して力も入れずに蹴った。

手塚は足ではグーしか出せない。本人も対戦相手もそれを知っている。
足の指が開かないことも、中々に不便らしいと手塚は思った。こんな提示の仕方は、信じるに決まっていると明言しているようなものだったものだから。




















足の指
足じゃんけん。滋賀ではインジャンて言いません。関西ですけどじゃんけん。
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