seventh heaven.
あれは何ですか、と例文みたいな文法で、手塚の裾を引っ張り乍らリョーマが指し示し乍ら尋ねた先には、華奢な枝振りの笹がひとつ。
住宅街に埋もれた公民館の扉脇にひっそりと括りつけられているそれを見て、手塚も例文法調で「あれは笹です」と返した。
白々しい日本語を用いたやり取りのせいで、お互いに何とも言えない胡散臭い空気が漂った。
「なんであんなところに飾ってるの?」
本日7月7日。立てかけられた笹。その枝先にぶら下がるパステルカラーの短冊達。それらの意味を実は知らなかった訳では無い。
知ってはいたのだけれど、敢えてリョーマは尋ねていた。日本の風習であるそれに対して、帰国子女の自分が尋ねれば手塚は答えるだろうという算段があったものだから。手塚が教えてくれるということは、それだけ寡黙な彼から言葉を引きずり出せるということで。
そんなリョーマの目論み通り、手塚は一瞬だけ眉をぴんと張り、それからまた元の顔に戻った。
恐らく、生粋の日本生まれ日本育ちの手塚からすれば七夕の笹飾りなんてまるで珍しくなかったものだから、リョーマがどうしてそんなことを尋ねてきているのか怪訝になり、その後、リョーマが海の向こうで育ってきたのだ、という基本情報を思い出したり、というところかもしれない。
やや自分達とは距離があるところに頭をやや項垂れ乍ら突っ立っている笹を手塚は少しばかり眺め、リョーマの頭を二度三度、掌を弾ませて
「あれに願い事を書いた紙を吊るすとサンタが願いを叶えてくれるんだ」
と、平然な顔をして馬鹿みたいな冗談を吐いた。
ふぅん、と解ったのだか解っていないのだかよく判らない返事を手塚に遣り乍ら、リョーマは内心で腹を抱えて笑う。あまりに可笑しくない冗談なものだから、それが逆に可笑しい。しかも、こちらが笹達の正体を知らないと思っているものだから、さも本当のことの様にしれっと手塚が言って退ける様がそれを助長させた。
「じゃあ、オレも願い事書いて吊るそうっと。あ、丁度、あそこに紙とペンがある」
我ながら、演技かかった、且つ、説明的な台詞だなあ、と己にキナ臭さを感じつつも、手塚の傍を離れてリョーマは小走りに笹の元へと駆けた。
笹のすぐ脇には、小さな簡易机の上に数枚の紙が重しで留められて乗せられており、更にその隣にはサインペンが何本か空き瓶に突き刺さっている。その内の一枚、一本を取り出し、リョーマはどんな願い事を書こうかとふと考えた。
恋愛成就は一応、もうしているし、全国制覇は実力でするだろうから神頼みなんて今更する気にもならない。テストの点が上がって欲しいとも思わないし、お金が欲しいとも思わない。ゲームソフトもついこの間、目当てのものを買ったし、猫を含む家人は病気知らず。
そうやってリョーマがペンを握ったまま考え倦ねている内に、手塚もいつの間にかリョーマの隣に立っていた。
これと言った願い事が浮かばないのであれば、ここはいっそオーソドックスに。
そんな閃きが脳裏を過り、リョーマはいそいそと短冊にペン先を滑らせ、すぐに書き終わるとそれを手に笹へと短冊を吊るした。
自分が届く精一杯の高さまで。足裏の筋がぶちりと切れてしまいそうな程、背伸びをして。
願い事は天辺に近ければ近いほど叶う様な気がしたものだから。願いを叶えてくれるサンタが空から来るのか、将又アスファルトの舗道を歩いてここまでやってくれるか、どちらかは知らないけれど、クリスマスのサンタはトナカイが引く空飛ぶ雪車に乗ってやってくるのだから、七夕のサンタだって空からやってくるだろう。
サンタの目にすぐに留まる様に。リョーマは自分なりの最も高い位置に『世界征服』と書いた短冊を吊るした。
枝先に括られたパステルピンクの薄い紙片がぶらりと揺れる。そこに書かれた字面はすぐ近くに立っていた手塚の視程範囲内だった。
そして、手塚はやおらに短冊を一枚とボールペン一枚を取り出して、癖字が横行する現代若人には珍しい酷く流麗な、活字と寸分違わぬ字面で何かを書き、リョーマが短冊を吊るした場所よりももっと高い位置、笹の頂上に紙片から伸びた紐で以って縛り付けた。
パステルブルーに浮かぶ文字は、『世界平和』。
「……お前、知っていたな?」
「何を?」
眉間に縦皺を作る手塚と、裏腹ににこやかな笑みを浮かべるリョーマと。
二人の前で世界征服と世界平和は尚も小さな揺れを続けた。笹の枝は細くて、短冊ごときの重みでも揺れがまだ止まない。
「七夕を、だ」
「あれ?ばれた?」
「……世界征服は七夕の定番だ」
7月7日、日本という国では世界征服を企む少年が急増する。不穏な国。
seventh heaven
サンタが越派か塚派のどちらかか、で世界は征服されるか平和に包まれるか決まります。
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