すきの質量
















茜色に染まる校舎をバックに、手塚は帰宅の為、バス停の前にて立ち止まる。
行きも帰りもバス通学。どちらも通学、通勤、と同じ目的の人々でごった返すので正直骨が折れる。

だから、時々リョーマがごねて一緒に帰ろう、という時は実は気が休まっている。
表では、しょうがないな、という顔をしつつも。内心では目の前のリョーマよりももっと笑顔で喜んでいるのだ。

この時も、心の裡ではまたリョーマが駄々をこねださないかと思案してみるが、一向に隣に立つリョーマがそれを切り出す気配はない。
リョーマなりにも毎日の我侭は流石に自重はするのだ。我侭ばかりではいつか嫌われる、だなんて一丁前に考えているのかもしれない。

バスが到着するまではあと3分。
二人の間の話題は取り留めもない会話だったが、それなりに弾んだ。

この瞬間を手塚も楽しいと思うし、リョーマも楽しいと思う。
学校で二人が会えるのは朝練と部活の時間。運が良ければ昼休みなどの休み時間。
学年が違うというだけで、恋人としては相当フラストレーションの毎日を強いられている。

特にリョーマの方は常日頃の鬱憤が多く溜まっているのか、休みに会えば文字通り一日中引っ付いて回る。
手塚が根を上げるぐらいにそれこそ所構わずに。


遠くにバスが見えてきた。
楽しい時間も終わりか、と手塚は小さく溜息。その手をリョーマは握った。

「おい、越前…」
「さよならの時くらい、いいでしょ。ね、バイバイのキスは?なし?」
「なし、だ。まったく…」

困って、ふう、と眉を顰めて息を吐き出せば、拗ねる様にリョーマは唇を尖らせる。

バスがもう停留所まで来そうなところまで近付いていて、リョーマは名残惜しそうに手を離す。

「偶にはアンタから好きって言ってくれないと、誰かに持ってかれるかもよ?」
「それは…ありえないな」
「わかんないよ?ちゃんと好きって言ってくれる子の方がオレの好みかもしれないし?」
「ふん、お前が俺から逃げられないことぐらい、重々承知だ」

キイッと甲高いブレーキの音をさせて手塚の前にバスが停まった。

「俺がお前から逃げられないのと同じだ。それじゃあな」

開かれた扉に乗り込みつつ、手塚はひらひらと手を振ってみせた。
リョーマも無言で手を振り返す。その頬が朱色に染まっているように見えたのは茜空のせいか。

バスは今日も手塚を連れて行った。











翌日。
まだ太陽も空から帰らぬ、昼過ぎ。

ざっざっとリョーマは箒を鳴らしていた。只今、掃除の時間中。
中庭に面した渡り廊下は掃けども掃けども小さな砂がどうしても残る。

(もう、こんなもんでいいか…キリないし)

どうせまた風で舞い上がった砂ですぐに汚れるのだ。今のこの努力だとて無駄な気さえする。

手を止めて、リョーマは廊下の上に架かる屋根から顔をひょっこりと出した。真上には真っ青の空。天気は良好だ。
掃除の時間が終われば部活。
手塚の顔を青い空に思い出して、ついついリョーマの口角が上がった。

(早く会いたいな…)
「あの、越前君…」

不意に声をかけられて、視線を空から戻す。目の前にはいつそこに居たのか、掃除が同じ班の女生徒が立っていた。
かろうじて名前は覚えているが、印象としては薄い。

「なに?」

リョーマにとっては至って普通に返したつもりだが、彼女には苛立たしげに言われた様に感じたのか、びくりと肩を震わせた。

「ちょっと、話があるんだけど…」

少しばかり俯きがちに、絞り出す様に告げられるこの事態はかれこれ何度も経験がある。
またか、と内心思う。

「ここじゃ、なんだから…ちょっと、あっちまでいいかな?」
「光栄だね。じゃ、行こっか」

リョーマの言葉に、ぱっと輝いた顔で彼女は面を上げた。

嘘も方便。
心の中でべろりと舌を出して、リョーマは彼女の後に従って足を踏み出した。







一方、その頃、手塚はクラスのゴミ箱を片手に中庭を過っていた。
重くはないのだが、正直疲れる。
周りに人がいないのを良い事に、ずるずるとゴミ箱は大地に引き摺らせながら持ち運ぶ。
誰か人が来たら、さっと持ち上げて。

手塚だって楽がしたい時もある。

あと少しで中庭を抜けるか、という時、よく耳にする単語が飛び込んできた。

「越前君…あの、わたしね」

声のする方を振り返れば、庭木を挟んで向こう側にリョーマと見知らぬ女生徒。
何事か、だなんて雰囲気からすれば一目瞭然である。

大方、これから女生徒の方から告白でもするのだろう。

「越前君が好きなの」

ほら見ろ。やっぱりな。
リョーマ達を見ながら、当然の事態に憮然とする。
知らぬうちに足を止めて事の成り行きを見ていることにはこの時手塚は気付いていただろうか。

判りきっているならば、そのまま足を止めなければ良いのに。

「へえ」

どこか相手を小馬鹿にしたようなリョーマの声。
相手の女の子はすっかり下を向いて顔を真っ赤にさせているというのに。

「今、オレって恋人がいるんだけど、」
「え…」

愕然とした顔で未だ赤くしたままの顔を彼女は上げる。

「それでも好き?オレのこと」

試すような物言い。
見守る手塚の脈が早くなりだした。

リョーマからの問いに彼女はこくこくと何度も首を縦に振る。
OKして欲しければそこで引き下がるわけにはいかないのだろう。あちらも中々に必死だ。

「今の越前君の彼女より、きっとあたしの方が越前君の事が好き…!」
「ふうん、すごい自信だね」

決して彼女を否定しようとしないその光景に、手塚の心臓がどくりと嫌な音を立てた。

『偶にはアンタから好きって言ってくれないと、誰かに持ってかれるかもよ?』

不意に、昨日のリョーマの言葉が蘇る。
思いもしたくない幻想を振払う様に、手塚は2、3度、かぶりを振った。

「毎日、オレに好きって言える?」
「も、もちろん…!あたし、あたし、本当に越前君の事、好きだから!」
「ふうん」

リョーマの口角が不敵に持ち上がる。
普段は人をなめた様にしか見えないそんな顔でも、彼女にとっては肯定的に取られた。ぱあっと彼女の顔が喜色で満たされて行く。

『ちゃんと好きって言ってくれる子の方がオレの好みかもしれないし?』

再び頭の中で響き出したリョーマの言葉に、知らず、手にしていたゴミ箱を放り出して、手塚の足は後方に向けて駆け出していた。

「!  部長!?」

駆け出した際に枝でも踏んだか、庭木を揺らしたか。リョーマも相手の女生徒もこちらを向く。

「っちょ!待って!」

手塚の後を追って、リョーマも駆け出した。
残された女生徒の方はというと、突然の出来事に何が起きたのか判らず、呆然とその場に立ち尽くしてリョーマと手塚を見送った。





「っこの!逃げんな!」

走り始めて十数秒、猛烈な勢いで逃げようとする手塚の腕を漸く捕まえた。
掴まれた腕で振払おうと藻掻く手塚の足を払って、リョーマはその場に手塚を半ば強引に押し倒した。

手塚もリョーマも、全速疾走の後のせいで息が荒い。

手塚に馬乗りになったまま、逃げられないようにリョーマは手塚の両の腕を絡め取った。

「なんで、あんなとこに居たの…いや、それはいいや、別に見られて困るもんでもないし…えと、あれだ、そう、なんで逃げたの」
「…俺が知るか」

完全に組み敷かれながらもぷい、と手塚は真上のリョーマからぷいと顔を背けた。
何がどうなってこんなに手塚の雰囲気が悪いのだか、リョーマにはとんとわからない。

「知るか、って、アンタが勝手に逃げたんじゃん……いつから、あそこにいたの?」
「お前が告白されたところからだ」
「ほぼ頭からじゃん…」

ふううう、と腹の底から大きく大きく溜息。聞かれていたとしても、痛くも痒くもないけれど。

「手」
「ん?」

ぽつりと零された言葉に、項垂れていた顔を上げる。
まだ、手塚はこちらを向いてはくれない。

「離せ、逃げないから」
「やだ。この体勢気分いいし」

手塚の方が身長もあるし、きっと力も強い。背筋も腹筋も必要以上についているのだから、本気で起き上がろうとすればリョーマなど簡単に振り落とす。
それだけに、手塚を組み敷いているこの状況、というのはリョーマにとっては楽しい以外の何者でもないのだ。

悔しそうに手塚は奥歯を噛んで、動こうと身を捩る。

「逃がさないったら。折角捕まえたのに」

掴んだ手に少しばかり力を入れれば、手塚が眉を顰める。

「…っ」
「ねえ、ひょっとしてヤキモチ?」
「そんなわけ…あるかっ」

耳まで真っ赤にして、背けていた顔を漸く上げる。
こちらを睨むように開かれた瞳に、リョーマはごくりと唾を飲み込んだ。

「なんで、アンタそんな泣きそうな顔してんの…」
「…!」

今にも零れ落ちそうな程に手塚の瞳は涙で濡れそぼっていて。
そんな顔を見られるのが嫌なのか、腕で顔を隠そうとリョーマの下で蠢くがリョーマは決して手塚の腕を離さない。
寧ろ、先刻よりも掴む力を増した。

「お前が…っ」
「オレが?」
「昨日、あんな事を、言うから…っ」
「昨日?」

昨日の手塚との会話を思い出してみるが、いまいちリョーマにはピンと来ない。
腹上で何度か首を傾げてみるリョーマに苛立たしげに背後から膝で蹴りを食らわす。やはり動こうと思えば動けるのだ。
手塚も、どこかでこの状況を楽しんでいる、のかもしれない。飽く迄可能性として。

「ちゃんと好きと言える奴の方がいいんだろう!?」
「あ、ああ、あの事…!」
「俺より、さっきの彼女の方がいいんだろう?どうせ俺は毎日お前に好きだなんて言えないからな」

興奮したせいか、手塚の瞳に膜を貼る様にくっついていた涙が思わず目尻がぽろりと落ちた。
思わず、リョーマは手塚を拘束していた手を解いて、それをそっと親指で拾った。

「あのね…」
「なんだ」
「ちょっと、落ち着いて」

一方の手を離しても手塚が逃げる素振りを見せないので、リョーマはもう一方の手も解く。
解放されたことを気配で知り、手塚は憮然とした顔のままゆっくりと身を起こした。

「まずね、オレがアンタよりさっきの子を選ぶなんてありえないし、」
「だが…」
「いいから。最後まで聞く。わかった?」

ずい、っと立てた人さし指を眼前に突き付ける。
何か言いたいことがあるのだろう、納得いかない顔ながらも、手塚は押し黙った。

「昨日のは、普通にジョーク。本気でなんて、一言も言ってない」
「…」
「アンタに好きって言ってほしいのは…本当だけど」

リョーマの頬は少し赤い。

「アンタだって昨日言ってたでしょ?オレはアンタから逃げられないって」
「それは、そうだが…」
「どうしてそのアンタが今日になってあの言葉に不安を覚えるのか、オレの方が聞きたいよ」
「お前が…」
「またオレのせい?」
「…」
「はい、黙らない!黙ってちゃ解んないでしょ?」
「お前が、今にも首を縦に振りそうだったから…」
「あのね、部長」

語尾を濁し、視線を逸らせようとする手塚にリョーマは詰め寄る。
言い訳は女々しいと思っているのだ。手塚も。
先刻、不意打ちとはいえ、涙を零してしまったのも相当手塚にとってはダメージなのだろう。

見た事もないくらいに気落ちしている手塚は新鮮と云えば新鮮だった。

「毎日毎日、好きだって言ってくれなくていいから。そんなに言葉を安売りしなくていいよ」

刹那、リョーマの腕が伸びて手塚を抱き竦めた。
手塚も、恐る恐るリョーマの背に腕を回す。

「ちょっとしか言ってくれない、アンタの『好き』の言葉の方が好きなんだから。昨日、オレちゃんと言ったでしょ?」
「…?」

リョーマの腕の中で手塚が小首を傾げれば、小さくリョーマは笑ってその口を手塚の耳許まで寄せた。

「『偶には』って。毎日だなんて、誰も言ってないデショ?わかった?」

若干の沈黙の後、手塚は弱くではあるがこくりと頷いた。

「わかったら、ほら、立つ。もうすぐ部活の時間なんじゃない?行こ、部長」

ぱっと手塚に回していた腕を解いて、リョーマは立ち上がる。
自分の先刻までの女々しさをまだ気にしているのか、手塚は足を投げ出したままで見下ろしてくるリョーマの視線から逃げた。

「遅刻したらグラウンド10周、でしょ?ほら、早く」

目の前に掌を差し出され、躊躇の後に手塚はそれを取って立ち上がった。
リョーマの背後で燦然と光る太陽が泣き後の目に少し痛かった。











「あ」
「なに?」
「ゴミ箱を中庭に放ってきた」
「え」
「今から捨てに行って教室に戻って部室へとなると…遅刻だな、完全に」
「うっそお!」




















すきの質量。
逃げんな!って言って腕を掴む越前さんがこの話のベストオブもえでございます。

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