オールウェイズ ナチュラル
「うわぁ…」
やっちゃったな、と思って手塚が瞼をこうして上げるのは、この部屋に住み始めて何度目になることか。
瞼を起こす前は確かにそこにあった高い青天が、今やすっかり橙色一色で染められている。
手塚の感覚では目を閉じていたのはほんの僅かな時間であった筈なのだけれど。体感時間と現実世界との間には大きな落差があったらしく。
時計の針は180度と少し、動いてしまっていた。
それだけの時間が経ったというのに――、
「…痺れたりしないのか、こいつは………」
自分の背中にしっかりと回された腕はわざわざ触って確かめてみるまでも無く、感触で充分に察せられる。
その腕は、手塚が迂闊な眠りに引きずり込まれるよりも前――つまりは6時間以上も前――から回され、手塚の自由をずっと奪っていた生ける拘束具。容易く腕の主を明かしてしまえば、越前家の嫡男坊。
よく食べ、よく眠って数年を経た少年は当然にすくすくと健やかに育ち、間もなく未成年を卒業する年頃にまでなっていた。
快食快眠の癖は未だ抜けきらず。寧ろ、今の方が昔よりも拍車がかかった様に、もりもりとよく食べ、只管に動き回り、昏々と死んだ様に眠る。
それだけ伸び盛りな暮らしをしている割に、彼の体躯が巨大になったかと言えば決してそうでは無く。
手塚との目の高さは若干近くなったとは言え、追い抜かすことは終ぞ叶わず。彼はまだまだ小柄な猛獣として世界に名を馳せている。
そんな風にまだ体躯が小さな彼と変わらず長躯な手塚、という組み合わせなものだから、リョーマが絡まる図は、藤棚に藤の蔓が絡まるあの様に酷く似ている。
両腕を手塚の背に回し、交差させ、両足を手塚の膝裏に回し、交差させ。頭は手塚の肩に置いて。
今、正に、ベッドの上でその様を露呈していた。背中と足と雁字搦めにされて手塚が動かせるのは精々、手足の指先程度。
しまった、と思っても最早後の祭り。
もりもりと今日の昼食もよく食べ、そのまま食後の食卓でうつらうつらと船を漕ぎ始めたリョーマに手を貸して部屋まで連れていってやったのが諸悪の根源。
ベッドに運び込んでやるまでは良かったのだけれど、そのまま戻ろうとした手塚の手をリョーマは掴んで引き止めた。何せ、夢路に足を下ろし始めた人間の行動なものだから、それはもう意識してやった行動では無く、どちらかと言えば本能に近い。
そんな本能的な行動に捕まって、一度は手塚もリョーマの腕を解いた。後にしてきたキッチンには、後片付けが終わりきっていないシンクも待っているし、それ以外にも何やかんやと手塚がするべき用事達が雁首揃えて今か今かと手塚の戻りを待っている。
リョーマが眠ってしまうものだから、それら一切の用事を手塚がしてしまわないことには家が片付かない。
なのに、
「…………」
ドアの方へと歩いていく手塚の足を、わざわざベッドから這い出たリョーマがひしと掴む。
「…越前。離しなさい」
振り返り、ほとほと呆れ果てた調子でそう言っても、相手は所詮身の丈半分は夢の世界に入りこんでいる人間。
聞こえているのか、言葉の意味を理解しているのか。――答えはどちらもNOだったろう。
最早、人語とは思えない何かをリョーマは床の上でぼそぼそと呟き、手塚の足首を握る手に力を込めた。
「離しなさい」
「ごふんらけー」
「そう言って離してもらった試しがない」
「ごふんらけらからー」
何故にそうまで縋付かれるのか、手塚としてはてんで理由は謎のままだ。
放っておいたってどうせ眠れるだろうに。
いつだったか、目覚めのリョーマにそう愚痴を零したこともあるのだけれど、彼は至って飄々とした様子で「そんなの知らない」と冤罪を主張したものだった。
だから、
「ごふんー」
今、足下にしがみついているこの生物は本能の塊みたいなものなのだろう。
傍にいて欲しいという思いが本能ならば、つい気も緩んでしまうというもので。
溜息混じりな相槌で、随分と長い"5分"を手塚は食らわされるのだ。
次からは騙されないように。
リョーマに全身で絡み付かれたまま。リョーマの匂いを鼻先に感じつつ手塚がもう今生で何度目になるかわからない誓いを誰へとでもなく立てていれば、肩に埋められていた猫毛を生やした頭がもぞりと動き、半分は閉じたままの目が手塚の目と交錯してそのまま数秒間静止した。
「うっわあ………」
如何にも己の過ちに気付いたと言わんばかりの顔色。
するすると手塚の体から、覚醒したリョーマの手足は自然と解けていく。
「もしかしなくても、オレ、またやっちゃった?」
「その通り、だ」
「じゃあ、もしかしなくても、家のことって……」
「一 切 終わっていないな」
食器は食卓に残されたまま、洗濯物は干されたまま、無くなったシャンプーは買い足されないまま。部屋の隅には埃が残されたまま。二人で行く筈だったカフェの席は別の人間が座ったまま。
その他諸々の不味い都合を思い浮かべて、リョーマの顔色は悪びれたものに僅か傾くのだけれど、
「じゃ、これからお手伝いしますか」
けろりとそう言っては身を起こし、何とも納得のいかなそうな顔をしつつも手を差出す手塚の手を取ってはその指先にちょんと小さなキスを落とす。
こうして騙し騙されするのも日常の出来事。
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恐らく、サイト内を探せばこれとよく似た話が転がってるんじゃないかと思う程、既視感に襲われつつ。
もう、ネタ被ってるとかは愚問なのでそっとしといてやって頂けると幸い。
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