ホームメイド
「ひどい、ひどいよ…」
噂の新居を訪れた不二は、出迎えた手塚の肩越しにちらりと見えた室内の様子に目を疑った後、酷くショックを受けたらしく顔を手で覆っては、譫言の様に「ひどい、ひどすぎる」と繰り返した。
目の前でその打ち拉がれる様子を見せつけられる家主たる手塚は只々渋い顔を濃くしていくだけ。
「……いいから、上がれ」
「正直、上がりたくないなあ…越前は?」
「買い出しに出ている」
「僕、今日来る時間、事前に伝えておいたよね?」
「1分の狂いも無く来やがって……」
「そりゃ来るっていうの。来て当然でしょ?……な・の・に」
靴を脱ぎ、室内に一歩を踏み落とすと同時。不二は堪えきれない溜息を手塚の顔を一瞥してから室内へと遠慮無しにぶちまけた。
そして、ツイ、と人差し指を立てた手を上げ、
「掃除はできてない、」
室内の床に散乱する雑誌や小物達の群れに向かって指し示し、
「食事の片付けはできてない、」
ダイニングのほぼ中央にある机上の皿やグラス、茶碗を指し、
「洗濯物は放りっぱなし」
部屋の窓辺近くに乾ききってはいる洗濯物を詰め込んだままの籠を指差した。一応、シャツの幾つかは畳まれて籠の傍らに積んではあるのだけれど、籠に詰め込まれたままの洗濯量の方が格段に多い。
不二がひとつひとつ指し示していく中、手塚はこの小姑めが、と言わんばかりの不機嫌そうな顔で玄関の天井隅を見詰めていた。
尤も、小姑レベルでも無くとも気付ける失点ではあるのだけれど。
部屋を一望どころか一瞥すれば到らない点がふたつ以上は平気で見つかる。手塚とリョーマの新居と仇された一室はそれ程、燦々たる有り様のままで不二を迎えた。
「客人が来るっていうのに、この片付いて無さはどういうことなのかな?」
しかも”僕”が来る、っていうのに。
振り返ったその笑顔が今日はとびきりに怖い。
「…不二、話せば解り合える」
「へえ?じゃあ、話してもらおうじゃないの?手 塚 サ ン ?」
うっわーこいつまじこえー。
そんな胸中を抱える手塚が語るには、昨晩。夕食の後。
先に夕食を終えた手塚が席を立ち、事前に取り込んであった洗濯物をひとつひとつ畳んでいた時のこと。
ああそういえば不二が来ると言っていたのは明日だったと思い出し、
「越前、明日不二が――」
この後、部屋を片付けておこう、とその後に続ける筈だった。
けれど、続けようと顔を上げたその矢先、リョーマは頬杖を突き、箸を咥えたままで手塚だけに視線を一点集中させていた。
その視線が有するあまりの強さに手塚の手は気圧される様にぴたりと止まった。
「不二先輩が、何?」
視線は緩めぬまま、リョーマが口を開いたことで、はた、と手塚も我に返る。
手もしゃきしゃきと動き出した。視線はついリョーマから逃げる様に己の手元へと移る。
「…越前、箸」
「ん」
「……それから、食事中に頬杖を突くな」
「ん。で?不二先輩が何?」
「明日、不二が来るから寝るまでに部屋の掃除を…」
「そういうの、」
いいよね、と話の腰はぐきりと折られた。自ずから話題の先を促した癖に。
「…いい、というのは不二が来ることが、か?」
話の腰を折られたばかりか、リョーマが指し示すところの意味もよく解せない。
だから、もう一度顔を上げて手塚はそう尋ねるのだけれど、相変わらず手塚ばかりを見詰めたままのリョーマはにこりと人好きのする笑みを浮かべ、わざわざ指摘したばかりの頬杖を食卓に突いた。
「そうやって洗濯物畳んでるアンタの姿、が。なんか無性に癒されるんですけど」
「…あの、」
「はい?」
「よく理解できない」
よく理解できないのは、リョーマの言葉以外にもあって。
それはちりちりと灼け付く様に熱が集まり始める自分の目尻の辺りだとか。ついリョーマの顔を直視できずに床へと逃げる自分の目線の方向性だとか。
「んー……、なんていうかな、こう…”オレの家の人”感?」
「…まだ少し、判り難い……」
「じゃあ、こう言えば解る?ムラムラする」
「…ッ、ば、」
馬鹿かお前。手塚の口からはそう叫び出される筈だった。
けれど、手塚がそう発するより早く、リョーマは勢い良く席を立って手塚へと一直線にダイブ。
飛びついてきたリョーマの体重と、それに足された加速分の重量とで、リョーマを受け止めつつも手塚は後ろに倒れ込むしか道が無かった。
それこそ、リョーマの思うツボで。
早速、幾度も幾度も塞ぎ出したリョーマの口が離れた一瞬の隙に両手を差し込み、一旦リョーマの動きを止め、
「だから、明日は不二が来るから――」
そう抑制にかかるのだけれど、リョーマは口唇を受け止められた手を己の手でやんわりと退けさせ、その外した手先にすらキスを落とし、笑みを浮かべて、
「お片付けしなきゃ、でしょ?」
言葉とは裏腹に手塚の唇を攫い、そのまま行為を続行した。
当然、リョーマは朝は遅いし、手塚もその晩に限って執拗に攻め立てられたせいなのか目を覚ましたのは不二が到着を予定していた時刻の1時間前で。
急いでリョーマを起こし、風呂場に放り込み、その間にその場の片付けだけは済ませて、風呂から出てきたリョーマに財布を握らせて近くのスーパーまで走らせ、自分もシャワーを浴びて、さあ颯々と片付けよう、と思った矢先に無情にも室内に響くドアベル。
「…それで、さっきから手塚は洗い立ての匂いをぷんぷん漂わせてる、ってわけだね」
「……そういうわけだ」
「………………。はあ」
この部屋に来て二度目の溜息をその場に落とし、不二は苦笑いで顔を上げた。
「流されんなよ」
表情ばかりは穏やかなのに。ギャップをさらりとやってのけてしまうその性格は、今、彼がしている職業よりも役者の方がずっと向いているんじゃないのかと手塚は思ったり。
不意に、キッ、と背後のドアが小さく鳴いて開いた。
「っていうか、こんな玄関先で我が家のヒメゴトを堂々と話さないでくれませんかね?」
「やあ越前。元気そうで何より」
「不二先輩もお変わりないみたいで」
「そうでも無いよ。髪の色とか今年の新色にしてみたんだ。似合う?」
「大層、お似合い、デスヨ」
「どうも。さて、と。じゃあ、越前、それと手塚」
ちゃきちゃき片付けてもらえるかな?
数年来変わらぬどころか凄みを増した笑みを浮かべる彼は、リョーマの手から買い物袋を奪った。
ホームメイド
嘘も方便って言う言葉を手塚の脳髄に誰か擦り込んでやってください。
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