GOD PRESENT THE FAREWELL FOR LOVER
「……ちょ…っ、耳はいいよ…!」
ぶるんと大きく振って逃げようとするリョーマの頭はすぐにタオルを持った手塚の手に捕まった。
タオル越しにがっしりと掴まれてしまって、それ以上リョーマに逃げることは叶わない。
捕らえられたままじたばたと暴れて抵抗っぷりを見せつけるけれど、まるで手塚の意に介すものではなかった。
「頭ぐらいちゃんと拭け」
「髪はいいんだって!別にどんだけ拭かれたても!でも、」
丁度リョーマが言い放つのと同じタイミングで、つ、と手塚の指が撫でた。
リョーマの耳の裏を。
「kghfkdlhふぁlけjrはkdfっj;ldk!」
頭にタオルを被せられたまま声にならない声をあげてリョーマは仰け反り、その声と反応に手塚の方が大きく驚く。そしてその一瞬の隙にリョーマは壁際まで勢い良く逃げた。
片耳を押さえつつ。
息をぜいぜいと荒げて。
「………」
「……………」
つい、距離を保ったまま手塚はぽかんとリョーマのその様子を眺めてしまう。
一体何事が起きたのだろうか、と考えてしまって。
対するリョーマも何故か言葉を持たぬまま、壁に貼り付いて手塚を注視。人見知りをする猫が見知らぬ人間に触られて激しく喫驚する姿に似ている。脱兎の如く逃げ出した後に威嚇。リョーマの場合はただでさえ大きな目を更に大きく見開いて手塚を見ることが威嚇と化していた。
「越前…」
「いいっつってんのに!」
なんで触るの!
リョーマはそう金切り声をあげた。
相変わらず、耳を押さえたまま。肩を怒らせたまま。新しい変化としては目が涙目になっていることか。
「…何がどうなってどうなんだ……?」
「日本人なんだから日本語くらい喋れば!?」
リョーマが変わらぬ強い調子で指摘するそれは手塚自身も思う。
けれど、脳から送られた指令のままに口を開いたらそう出て来たのだから仕方が無い。二人揃っていい具合に錯乱しているらしいことが自然と知れた。
ふ、と手塚が冷静を取り戻す為に息を吐き出すの仕草が、リョーマには呆れて漏らされた嘆息の様に見えて思わず吃と手塚を睨む。
「なんで髪拭くついでに耳の裏まで拭く必要があるんですかッ!?」
「何故と言われても…。特に意識してやったことではないし…」
手塚に悪びれる風は無い。なにせ、言葉通りに悪意を持って臨んだことでは無かったし、”濡れたリョーマの髪を拭く”という作業の中でごく自然に行ってしまっただけなものだから。
第一、風呂上がり一番に「拭いて」と頼んできたのはリョーマの方。
耳の裏は拭くなと注文を受けた覚えは無い。
「何故ついでで訊けば、どうしてそんなに怒る?」
先程、息を吐き出したのが効いたのか、随分と錯乱は遠ざかっている。逃げたリョーマの方へ踏み込んでいかないのも、偏に『近付いたらより逃げる』とリョーマの解けていない錯乱さを慮ってのこと。
彼は今もどん詰まりの壁際でじりじりと後退を続けている。
「どうして、って、普通イヤに決まってんじゃん。耳の裏触られるなんて」
ふ、と手塚は宙を眺めてリョーマが言うことをリアルに少し考えてみるが、
「そうか?」
ことん、と不思議そうな顔で首を傾げた。
幼少期、両親に風呂上がりを拭いてもらっていた時も自然とされていた覚えもある。
恐らく、今自分で耳朶の裏を撫でてみたところでリョーマの様な過敏な反応は顕われないと思う。
一方のリョーマの方は、手塚から返ってきた答えで歪に表情を変えた。
眉間に皺を寄せ、目を細めて。険相ここに極まれり、と云った感じだ。
「ゾワッ!てしないの!?」
「…別に………しないな」
「うそっ」
「こんな場面で嘘を吐いても事態は好転せんだろうが…………、」
と、いうか、
「お前は身の毛が弥立つのか?」
現在進行形で視線の先には身の毛を弥立たせている少年がいるのに、手塚の目は正常か節穴か。
「よだつに決まってんでしょ!」
「………」
吠えるリョーマの台詞を一人冷静の上に立つ手塚はその場でじっくりと熟考し、そして口角を嬉しそうに上げた。
意地の悪さが垣間見えるその笑顔を前にして、漸くリョーマは己の失言にはたと気付く。
「日頃、弱点を見せないお前がなあ」
にやにや。
ひとたび我に立ち返ったリョーマの中では嫌な予感が嵐の様に渦巻き始める。
今、手塚がしている様な仕草、声色、そして雰囲気を自分が優位の時にこれでもかと繰り出していることが脳裏を幾度も掠める。
体中を縛っていた悪寒めくものが、一瞬にして冷や汗に代わり、背中で一筋流れた。
「耳の裏ひとつ触るだけでその反応とは…」
それまで一歩として動かず一定距離を維持していた手塚が、不意にじわじわと摺り足で間隙を埋めて来始める。
リョーマはと云えばもう部屋の最果てである壁際で。後退を試みるも、ただ背中が壁に圧されるばかり。
「ちょ……、部長、落ち着いて話し合おう?話し合えば解り合えることっていっぱいあると思うんだ、オレ」
「お前だけ俺の弱い部分を知っている、というのは常々理不尽なことだと思っていたんだ」
そう。日々、リョーマだけがこちらの体を開拓し、酷く多感になる部分を見つけては有意義に活用されていくのを歯痒く感じていた。
守りに徹する自分なんて、自分であって自分では無い。なにか優勢を掴める切っ掛けは無いものかと事ある毎にリョーマを観察していた。けれど、見つけられなくて。
それが、
こんなひょんなことで見つけられるなんて。
神様からの贈り物かな、と一度もお目にかかったことの無い程の晴れ晴れしい笑顔で告げた手塚の顔は、もう後が無いリョーマの鼻先にあった。
GOD PRESENT THE FAREWELL FOR LOVER
ぼんやりとこのお題を練っていれば、「耳はいいよ」の後に「耳は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。そうは思わないかい?手塚国光くん」と続けさせようとするわたしがおりました。
それに続けさせるなら「耳はいい”ね”」にしないと不完全ですが。
中学生当時のわたしの唯一の特技は渚カヲルのセリフを一字一句間違えず第一声から君に逢えて嬉しかったよまで何も見ずに言えることでしたとさ。
あとがき、本筋と何も関係ねえ…!
あ、もちろん、これくらいで越前さんがやられるタマではないです。レッツ返り討ち。
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