足し引き零関係
「ねえ、ここんとこヒントちょうだいよ」
数学の宿題ページを指してそう告げたリョーマに、手塚はきりりと眉を吊上げた。
「下さい、だろう?」
「なんで?ちょうだい、で別にいいじゃん」
何が悪いの、と心底悪びれた感はまるで無い様子。
ずれてもいないのに、手塚は眼鏡を人差し指で押し上げた。
「良くない」
きっぱりと手塚が続ければ、リョーマは釈然としない顔で「どうして」と即座に尋ねる。
リョーマからすれば、手塚が何にこだわっているのかわからない。自分の発言は日本語の文法としては成立していると思うし、特に解決の手立てを授けることに腹を立てている風でも無い。
釈然としないリョーマの風貌を逆に怪訝そうな様子で手塚は見下ろした。
「越前は今年何歳だ?」
そして突飛な質問を繰り出す。
13歳、と憮然とした顔で返すリョーマに続けて、俺は今年15だ、と既知なことを答えた。
そして、15ひく13は、と小学生でも充分に答えを導き出せる計算式を挙げる。
「……2?」
答えは明白なのだけれど、白々しい問いには不安が付き纏う。思わずリョーマの語尾は半分程音が上がるけれど、手塚は静かにひとつ頷いてみせるのみ。
そこから何も発言を続けようとしない手塚のせいで僅かに沈黙が落ちてしまい、堪らずリョーマは「それが?」と自ら口を開いた。
「解らないか?」
「解るわけないでしょ。何が言いたいのさ」
はあ、とわざとらしく手塚は溜息を零す。
理解不能すぎて、嘆息を吐きたいのはこちらの方だと手塚の様子にリョーマは少しばかり苛立つ。
溜息の後、リョーマが教科書とノートを広げている机上にゆったりと手塚は左手で頬杖を突き、指を二本立てた右手をリョーマの眼前に突き付けた。
アンニュイな様子でピースサインを繰り出す手塚、というのは見目的には相当可笑しいと思う。
「ふたつ、だ」
俺とお前の年の差は。
気怠気な声で手塚が漏らす。ぱちん、とリョーマは瞳を屡叩かせて、二本の指から瞼が半分程落ちかかった手塚の双眸に視線を向けた。
「だから?」
「…本当に解らん奴だな、お前は。年上に『頂戴』とはどういう了見だ。お前が2、3歳の乳幼児ならまだしも」
「ハイ?」
「だから、」
ヒントを下さい、だろう?
ピースサインもどきを脇に片付けて、手塚は片眉を上げて言った。
それまで、シャーペン片手に上目遣いで手塚を眺めていたリョーマだったけれど、不意に視線を机上に開けたノートへ落とす。
それから、何事か思案する様に頭を右に左に傾ける。頻りにそれを繰り返した後、顔を上げてじいっと手塚を見定めた。
リョーマの目はこれでもか、という程円くて大きい。奥の奥まで見透してきそうな威力のある眼力だけれど、今は説教の最中で。手塚もレンズの奥でリョーマに定めた視線を動かそうとしなかった。
先に目線を動かしたのは仕掛けてきたリョーマの方。
ふいっと手塚の頭上辺りに逃げる。
「正直さー……」
あんまり年の差を感じたことないんだよね。
飄々とリョーマはそう口にする。手塚は少しばかり首を傾げた。
「確かにアンタの方が背もでっかいし、口調もえらそうなんだけど、」
まさか、傍若無人の頂点に立つであろうこの少年から口振りが偉そうだと評価を貰う日が来るとは夢にも思わなかった。
非常に日本人らしい謙虚さを目一杯に内包するキャラクターだと思ってきていたのに。
手塚をよく知る不二や乾が聞けば腹を抱えて笑いそうなことを本気で思い描き乍らも、手塚はリョーマの発言に耳を傾ける。
「考えてることとかってきっと同じレベルだよ」
けろっと言うところからして何か重大な間違いがあるに違いない。手塚は強くそう願う。
見ているものと、それに関しての受け止め方がまるで違う気がしてならない。リョーマが思っているらしいことを手塚は考えたことが無い。レベルが同じ、だなんてとんでもない。
自分>越前、の図式は彼も何となく気取っているものだとばかり思っていた。テニスの腕前どうこう、頭の良さ云々というのでは無く、漠然とした立場の相対的な比較として。
けれど、至って従容として自分=手塚の図式を覆す気の無いらしいリョーマは手塚を見上げる。
「……では、越前」
「なあに?」
「お前、俺のことを君付けで呼べるか?」
「くん?」
「手塚君」
「ムリ」
真顔で即答だった。
ほらみろ、と内心で手塚だけが思う。
「あ、でも”手塚さん”も違和感ある。ムリムリムリ。手塚先輩、ってのもちょっと気持ち悪い」
だから、二人の関係はイコールでしか結ぶしかない、とリョーマは暗に示してみせる。
聡い手塚はその辺りもきちんと汲める。汲んでしまえるが為に、頭が痛くなった。
「じゃあ、お前は俺が部長職を退任した後、なんて呼ぶつもりなんだ」
決まってるでしょ、と実に朗らかな顔で前置きした後、避ける間は無い素早さで対面に座る手塚の額にキスをひとつ落とし、
「手塚」
と超至近距離でリョーマは告げたのだった。
足し引き零関係
個人的には毎度「手塚国光」とフルネーム呼びする越前さんにも萌ゆる。
手塚国光、明日ヒマしてる?的な。
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