逃げかけた魚が大きいと気付いたならば捕まえ直せ
















「あれ、違うの?」

ベンチの上に立ったことですっかり同じ目線になったリョーマが手塚の至近距離で不思議そうに首を傾げた。
越前と名のつく小さな生物と、手塚と名のつく大きな生物。それは、その二人を残して無人と化している放課後の部室での出来事だった。
この二人だけが残ることはそうそう無い。今迄は少なくともなかった。
そんな、稀なタイミングで。つい先程、リョーマの方から押し付ける様に事前の了解も何もなくくっつけられた唇同士は離れた。

リョーマは目の前で不思議がるけれど、首を傾げるのは手塚も同じ。寧ろ、リョーマ以上に訝しがる手塚の眉はくっきりと顰められている。

「違うも何も、お前は何がしたい?」
「何、って、部長ってオレのことが好きでしょ?」

頓珍漢なことを告げられて手塚は上擦る声で「は?」そう返した。

「だから、違うの?って訊いたの。何かきょとんとしてるから」
「いや、越前、違うも何も、」

それは先程と同じ言葉文句だったけれど、敢えて手塚はそれを反復した。そして続けた。
その根拠はどこからだ、と。

てっきり、誰かに吹き込まれたか何かだと手塚は思っていたのに、傾げた首を元に戻して、

「インスピレーション」

リョーマは飄々とそう言って退ける。また、手塚は顔を顰めた。そういうものは、根拠と言ってはいけない。

「違うんだ?」

ぴょんと飛び跳ねる様にベンチから飛び下りて、再びリョーマは手塚へ尋ねた。
今迄と違うものを探すのならば、それは精々リョーマと手塚の間に生まれた身長故に高低差。それ以外は、腑に落ちないらしい手塚の顔色も、リョーマの嘯く口調も、まるで変わりは無かった。

「そういった特殊な性癖を俺は別に批難はしないが――」
「違うんだよね?」
「少々、薮から棒過ぎや――」
「だから、違うんでしょ?そういう顔するってことは」

変わらなかった風景の中で唯一、リョーマの表情が変わった。
ポーカーフェイスと呼ぶには冷ややか過ぎる、色も抑揚も無い顔付。ぎくりとした妙な気持ちをリョーマのその顔に手塚は覚えた。
12歳が持ち得る表情じゃない。

「違う、な」

正誤性で言えば、当然手塚の返答はそちらにしかならない。
確かに目をかけてはいるし、人として好き嫌いの篩にかけるなら好きの方を選ぶのだけれど、リョーマが今持ち出してきているのは「恋愛」に於ける好き嫌いで。

手塚の中で、越前リョーマは特別な後輩ではあるけれど、恋人とはまるでかけ離れた場所にいる。
第一、リョーマがこうして行動に移してくる今の今まで、手塚はそんな目でリョーマを見た覚えは無かった。だから正直、今の状況には困惑の一途を先程から辿っている。

小戯れた創意工夫を用いてまで唇を合わせて気持ちを確かめにくるなんて、今迄、どういう目で見ていたのだろうかと。
さぞや想いを募らせてきたのだろうと、嘘偽りは無いとは言え、自分の発言に手塚が申し訳なさを感じていたのはリョーマが次に口を開く迄のこと。

リョーマの口先は、

「じゃあいいや」

粗暴めいて聞こえる調子でそう言葉を紡いだ。
思わず、手塚はリョーマへと尋ね返していた。

「じゃあいい、とは…?」
「言葉のままッスけど?」

目に見えて困惑する手塚を置いて、リョーマは不審そうに片眉を吊上げた。
そして続けた。部長がオレのことを好きじゃないんならもういい、と。

「もういい?」
「だから。別にいいんスよ。部長がオレのこと好きそうだったから、キスしてみただけで」

違うならいい。
簡単な邦文の筈なのに、手塚には今一つ理解が及ばなかった。リョーマの使う日本語が飛躍し過ぎているのだと思った。

瞬きひとつもしないで頭上から手塚がただ見下ろしているものだから、リョーマは増々不審がっては眉を顰めた。

「好いてもらってるんなら応えてあげないと悪いでしょ?オレも今はフリーだし、部長は嫌いなタイプじゃないし」
「越前、お前、好いてもらってるだとか、応えてあげないとだとか、悪いだとか……」

何様のつもりだ?と続けようとした言葉はリョーマに遮られて咽喉元で燻ったまま消えた。

「だから、もういいんだって。部長はオレのこと好きじゃないわけでしょ?それなら明日からもいつも通りの『部長とルーキー』の関係ッスよ」

絶句した。絶句するしか無かった。もう何と説き伏せればいいのか判らない。
そもそも、発端はリョーマの身勝手な当てずっぽうでしかなくて。手塚には完全に非が無い。寧ろ、被害者。

なのに加害者はさも自分は悪くない、関係ないとばかりに淡々とした態度を貫くばかりで、どうにもこうにも手塚はやりきれない。
せめて何か一言、苦情のひとつでもぶつけてやろうと思ったその矢先、「それじゃ」と急にリョーマは踵を返す。
そして、けろりとした空気を纏って部室のドアの方へと向かって行って――、

「…?」

ドアノブに手をかけようとしたその時、ゆっくりと振り返った。
突如、背後から肩を掴まれたものだから、振り返らざるを得ない。

「部長?」

まだ何か用?と恰も最初から最後まで手塚の用事で今に至っているのだと言わんばかりの横柄な態度で手塚を見上げた。
見上げられても、まだ何かと尋ねられても、手塚の方が戸惑ってしまう。

ただ何となく、「もういい」と繰り返された後に、これ以上無い程の勿体なさをリョーマの背中に感じた。そして気付けば身体が突き動かされている現況だ。

リョーマからの怪訝な視線を一身に受けつつ、手塚はその場を凌ぐ言葉を懸命に探して脳内を駆ずり回る。

「せ、責任」
「責任?」

駆け回った時間が短いとは言え、言うに事欠いてこの台詞とは自分はどういう人間なのか。
一瞬、手塚は自らを疑ったけれど、声になって外へ出た言葉はエディタソフトと違ってデリートが効かない。

「せめて責任をとれ」

俺の唇は安くない、と宣う自分の台詞は古めかしい上に安っぽかった。
けれど手塚はキスの代償に、日曜のデートをリョーマから勝ち取ったのだった。

















逃げかけた魚が大きいと気付いたならば捕まえ直せ
集約させてみたらタイトル長ぇ。
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