クレバークレメンス
















「えーとね、1時半、とかどう?」

リョーマはデートの待ち合わせ時間をそう決めた。
昼も十二分に過ぎた時刻設定であるにも関わらず、つい「起きられるのか?」と手塚は暗い声で尋ね返してしまった。

「さすがに起きられるでしょ」

自分のことなのに、どうしてそう第三者観点な口調なのか少し気にかかる。それと、口振りからして、”高確率”であって”絶対”では無さそう、という部分も。
大丈夫なんだな?と念を押せば、大丈夫!とリョーマは伸びやかに答えてみせた。



信じて良いだろう、と思ったのに。

「…1時間経過」

手塚は手首に嵌めた時計に視線を落としてぽつりと漏らす。酷く重い声。
周囲は自分と同じく待ち合わせをする人間で賑わっていた。けれど、1時間前に此処で待ち合わせをしていた人間は今や手塚のみ。
時間が経つ毎に、後から来た人間の連れがやってきては手塚から待ち人仲間の顔馴染みを奪っていく。
今も、かれこれ10分程隣に立っていた女性が向こう側からやって来た友達らしき女性と連れ立ってこの場を後にした。

「帰るべきなんだろうな……」

しかし、帰っても特にやることが無い。今日は”リョーマと”と決めていたから、その他一切の雑事を全て終わらせたり調整してきたりして、完全に空にしてきた。
帰ってトレーニングの日として充てても良いのだけれど、万が一、立ち去った後にリョーマが此処へ到着すれば厄介なことになる。
自分から遅れた癖に「すっぽかした!」と彼は糾弾してくるものだから。

遅刻はいいが、反古はいけないらしい。
なんとも理解不能な子供の理屈。年長の手塚にはもう折れてやるしか道は無かったのだ。

何も悪事を働いていない人畜無害の時計を薮睨むのを止め、手塚はズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
無駄だとは知っているのだ。
既に待ち時間が30分を過ぎた頃から10分置きにかけているのだがまるで電話に出ない。
自宅の電話にもかけてはみたが、電話口に出た彼の母が言うにはかれこれ1時間前には家を出た、ということだった。

駄目元で、手塚は折畳式の携帯電話を開く。発信履歴には上から順にリョーマの名前しか表示されていない。
プップップ、と機械音が途切れ乍ら向こうの電話を呼び出すのが途切れれば、長いコール音が続く。1回、2回、3回、4回、5回、6回………………………10回鳴らしても矢張り相変わらずだった。

力無く手塚は通話終了のボタンを押し、閃きを呼ぶ様に携帯電話のアンテナを顎先に宛てがい視線を上げる。
手塚より背がぐんと高い人間なんて周囲にはまるでいないものだから、見上げれば街の電線や高いビルが視界に映り込んだ。何に視線を合わせるとでも無く、手塚は上を見続ける。
チカ、と頭の中で何かが光ったのを契機に、手塚は携帯電話の液晶画面に再び視線を落とし、アドレスデータの中から”乾”の名前を探し出した。
手塚が携帯電話を持っているのを目敏く見付けて、彼本人が直々に入力してくれた番号とアドレス。あまり活用した試しは無い。

リョーマにかけた時同様、短い機械音が続き長いコール音が始まって2回目で乾は出た。

「もしもし?」
「ああ、俺だ」
「休みの日に手塚から入電とは。珍しいこともあるもんだね」

挨拶もそこそこに、越前と一緒かい?と今日のことを漏らした覚えも無いのに彼は聞いてくる。要らぬ節介である。
フラットなままの声音でまだ姿を見せていないことを伝えれば、乾が電話口で苦笑を滲ませた。

「約束の時間は?」
「1時半だ」
「…もう1時間か。越前の遅刻癖にも困ったものだね。電話は?した?」
「した」
「自宅の方にも?」
「ああ。約束の時間の随分前に家は出たそうだ」
「あのワガママ王子は1時間もどこをほっつき歩いているのやら」

可笑しそうに彼はそう言う。声しか届かない電話なものだから、口振りはリアルに伝わってくる。

「それで?まさか、俺に越前探して来いって命令するんじゃないだろうね?」

ふ、と楽しそうに口元を綻ばせるのは手塚の番。

「その、まさかだ」
「おいおい手塚、俺にも休」

ブツン。
と抗議の声も碌に聞かず、手塚は電話を切った。
そして、乾からリダイヤルがかかってくる前に不二の名前を探し出して通話を始める。

プルルルルー

「なに?」

第一声がそれというのも如何なものか、と思いもするが、無駄な通話料と通話時間を嵩張らせたくなくて手塚は気に留めないよう努めた。
寧ろ、簡略な会話をいつも好んでいることだし。

「越前が家を出たにも関わらず、まだ到着しない」
「ふうん。そうなんだ。手塚も大変だね。どれくらい待ってるの?」
「もう1時間になる」

ぷぅっと電話口で不二は吹き出し、一頻り笑う声が電話の向こう側で響いた。
受話口で吹き出されると何とも不快なノイズ音がするせいで、手塚は電話機を少し耳から遠ざける。漏れ聞こえるくつくつとした不二の笑い声が大方収まってから、手塚はまた口を開いた。

「不二を見込んで頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「碌なことじゃなさそうだけど、一応聞いてあげるよ。何?」
「越前を探し出して連れてきて欲しい」

きっぱりと申し述べてみれば、電波の向こうで不二は、ふぅん?と試す様な声を漏らす。
そして苦笑を織り交ぜ乍らも、

「また骨が折れることを頼むね、君も」

と概ね了解した意思を見せた。ここまで来れば不二攻略も完全と言っていいけれど、念には念を込め、「不二にしか頼めないんだ」と結べば「そういうことなら」と快諾してくれた。
対乾の時とは違い、慇懃無礼な程に礼を述べて電話を切る。

青学データ網のツートップを押さえておけば、事はきっと何とかなる。
けれど、油断せずにいこう、が口癖だと周囲の人間に思われている様に手塚の中でもその思いがふつりと沸き、またアドレスデータの中から獲物を探し始めた。
画面をスクロールしている内に、ガチャ切りされた乾から電話がかかってきたが、電源ボタンをひとつ押して完全無視を決め込んでまたアドレスデータ内を彷徨う。

そうこうしている間にも、手塚と同じく人待ちをしていた隣の男子高校生の元にはお待ちかねの人物が現れ、そして街角へと消えていく。
目の前からも一人。少し離れたカフェは昼時を過ぎた頃もあってテラスまで人で埋まっている。

そんな中、熟考した挙げ句に白羽の矢を立てた名前のところで、手塚は通話ボタンを押す。

「ああ、大石か?俺だ」

事務連絡以外で滅多にかけてこない手塚からの電話に、大石は驚いた様な、けれどどこか嬉しそうな声で受話口に出た。
哀れな子羊として目星が付けられたことも知らず。

「実は、今日、越前と約束をしていたんだが、1時間経ってもまるで現れる気配が無くてな」
「1時間!?そんなに待ってるのかい!?」
「ああ。携帯にも家にも電話をかけたんだが掴まらないんだ。家はずっと前に出たらしいんだが」
「………考えたくは無いが、まさか、事故にでも遭っているんじゃ…」

電話口から聞こえる大石の声にすうっと影が差し、それを助長させようと手塚も沈んだ声音を出す。ショックを受けている様に一拍程わざと間を空けてから。

「……もし、そうだったら俺の責任だ」
「手塚……!そんなことは…!」
「いや。俺の責任なんだ。待ち合わせなんかせずに最初から俺がアイツを迎えにで行っていれば越前は事故になど…」

恰も、リョーマが事故に遭っていることが既成事実のよう。
声を段々に窄めていき、語尾を濁らせて。悲痛さを全面に押し出した形で。衝撃の事態に声を詰まらせている様に。
実際、遅刻を想定して手塚はリョーマの家まで迎えに行くことを提案したのだけれど、彼の方から「待ち合わせる、っていうシチュエーションがいいの」と不粋呼ばわりされた挙げ句に却下されたのだった。

聞く人間が聞けば、手塚の声色をなんてクサい芝居だと鼻で笑っただろう。
けれど、副部長の職に就いてから心配性が完全に板に付いた大石に聞かせれば、いつもは冷静な手塚が困惑している様にしか聞こえず、力強く電話口で手塚を励ました。

「手塚、大丈夫だ、越前はきっと無事だよ」
「…しかし……、大石、実際に越前が姿を見せないんだ。もう、此処で待って1時間も経つというのに……。………矢張り、事故か何か……」
「思い詰めるな、手塚。そうだ、俺が今から探しに出る!」
「いや、だが大石にも予定があるだろう?」

そこまでしてもらうのは申し訳ない。自分のことなのだから、と云う様なことを手塚が相変わらずの力無い声で告げれば、何を言ってるんだ!と大声で大石が打ち破る。

「越前は俺の後輩でもあるんだ。俺も心配なんだよ」
「しかし…………」
「頼む、俺にも手伝わせてくれ。このまま放っておくなんて軽薄な真似、俺にはできないんだ」
「……………………わかった」

声以外は何も伝わって来ない筈なのに、その一言で大石がパッと喜色に塗れたことが感じられた。
任せてくれ!と力強く大石が叫ぶその時、手塚がにんまりと笑みを浮かべていることも知らず。





その後、各々に合わせた攻略法を用いて青学テニス部員、剰え他校の部員――跡部や真田など主に操りやすそうな面々――に越前探索の命を与えたところ、ものの数分で越前リョーマは発見され、手塚の元へと送り届けられたのだった。

















クレバークレメンス
上に立つ人間は使役上手でもなければ。
越前さんは携帯を家に忘れて道に迷ってた、とか普通のノリでオケです。思い付かなかったわけじゃないデスヨー(うそくせー)
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