ヒアゼア
















「すごいはねてるよ」

髪、と。待ち合わせ場所に腹が立つ程ゆっくりとやって来たリョーマに開口一番そう指摘された。
思わず、リョーマが指差した己の毛先をぎゅっと摘んで手塚は押し黙った。

起きたてなのか、目がどう見ても半分程しか開いていないリョーマは手塚の見ている前で遠慮無く大きな欠伸をひとつかました。

「それ、寝癖?」

そういうリョーマも前髪に少し寝癖の名残めいた妙な撥ねがある。充分視界に入るだろうに、リョーマはまるで気付いていない様で。
それはそれは平然と手塚の髪を指差した。

毛先を握り締めたまま、手塚はそれまでリョーマからの指摘をぶつけられるだけだったのだけれど、ここへ来て漸く口を開いた。
リョーマの遅刻を叱責するのもどこかへと忘れ、視線を彷徨わせ乍ら。

「…は、母が」
「彩菜さんが?」

突飛に出てきた彼の母親である名前を聞き咎めて、リョーマはそこで手塚を遮った。
そしてその直ぐ後に自分で気付く。後に手塚が何と続けようとしたのか。

「彩菜さんがやったの?そのハネ」

躊躇いがちに手塚はひとつ頷いてみせる。そうすれば、リョーマは何処か好奇心を滲ませて「ふぅん」と小さな声を漏らした。

「たまにはおめかししていきなさい?って」
「…まあ、概ねそんなことを」
「折角のデートなんだし?」
「そこまでは言われていない」
「……どうだか」

すっと視線を逃がして発言する辺り、そのままの台詞でも言われたのかもしれない。
そこのところは、手塚の尊厳保護、ということで詮索は止すとして。

微睡みの欠片が残る瞼を2、3度パチパチと忙しく開閉し、眠気を遠いお空に追いやって。
リョーマはじろじろと手塚の髪を眺めては、そのまま彼の周りをぐるりと一周した。そんなリョーマを手塚は身を引いてなんとも不審な眼差しで見下ろした。

きっちり360度回って、もう一度同じ場所に立つとリョーマは顎の辺りに手を遣って思案顔を作った。
ことりと彼の首が傾げられるのが手塚には却って謎で、似た様な動作で手塚も首を傾げた。

「何か変か?」
「んー……彩菜さんも頑張ってくれたとは思うんだけどさあ…ちょっと微妙?」

ううん、と短く唸ってリョーマが渋い顔をするものだから、手塚の左胸はぎくりと弾んだ。
頭ごなしに不似合いだと言われている訳では無いのだけれど、かと言って褒めちぎってくれる訳でもない。寧ろ、リョーマの顔色や口調からは似合いか不似合いかの極端で分ければ不似合いだと告げられている様なものだった。
めぼしい何かを期待していた訳では無いが、きっと彼の反応は芳しいものだと思っていなかったと言えば嘘になる。

脳裏で勝手に描いていた反応とギャップのあるリョーマのそれに少なからず手塚は落胆の気持ちを覚えた。

手塚としては極々僅かなショックだと思っていたのだけれど、一際良く手塚を見ているリョーマの癖なのか、彼から悄然とした気配を感じ取ったらしく口の端を上げ眉尻を下げて苦笑した。

「ちょっと、そこ座って」

そう言う声はどこか優しげで。
手塚は言われるまま、すぐ傍にあった段差に腰掛けた。手塚の背丈でも充分に腰掛け、足を伸ばせる程度の窮屈ではない場所。
二人の直ぐ前では洪水の様な人の群れが右へ左へと蠢いている。そう、今は休日の昼下がり。

夏も過ぎ去ったというのに、まだまだ暑い。
照りつける太陽を見上げようとして手塚が顔を上げれば、

「あ、ちょっと、動かないで」

いつの間にか隣に陣取ったリョーマがそう言う。
動くなと言われたばかりにも関わらず、手塚がふいとそちらを見遣れば、座る段差に両膝で立ったリョーマが何やらしていた。
彼の顔は頭上にあるのか、手塚の視界では肩の辺りまでがやっとで。

「越前?」
「直してあげてるの。だから、動かないで?」
「…あ、ああ」

そんなに修繕したくなる程、自分は変な髪型をしているのかと思うと何だか情けなくなった。
母が何をどうやっていたか鏡も無い状況で施されたものだから詳しくは知らない。どこからか引っ張り出してきた背の低い円筒形のプラスチック容器から中身を取り出しては手に伸ばし指に伸ばして何かしていた、くらいしか手塚は認識していない。

『国光ももう15歳なんだから』
『たまにはこういうのもいいんじゃない?』
『だって、デートでしょ?おめかししなきゃ』

母は息子の髪に触り乍ら楽しそうに言ったものだった。どこか鼻歌交じりに。彼女の小さい頃の夢が美容師だったと聞いた覚えは無いけれど、彼女も妙齢を過ぎたとは言え女性で。こういったことは基本的に好きなのだろう。
日頃はひとつに纏めてばかりだけれど、一度、冠婚葬祭となるとあれよあれよと綺麗に髪を纏めてみせる。
女性は、いつまで経っても女性を捨てきれはしないのだ。

どこか鼻歌交じりに。
それはリョーマも同じだった。頭の直ぐ上でリョーマの指が動く気配と一緒に彼の覚束無い鼻歌が小さく聞こえる。
手塚は知らないメロディーラインだったり、動くなと言われたままなものだから、リョーマの鼻歌をぼんやりと聞いていた。

「…そういえば、越前」
「なあに?」

すぐ傍でまだリョーマはもぞもぞと手塚の髪を弄っている。

「どこがどう微妙なんだ?」

ふと湧いた疑問を手持ち無沙汰がてらぶつけてみた。
正直、手塚は流行り事には疎いものだから、髪型の善し悪しなんて丸で解らない。清潔感があればいいんじゃないかと思っている節がある。
遊び心をまだまだ知らない。

ああ、とリョーマも気付いた様に声を上げ、少しだけ鼻歌の続きを歌った。

「ハネが足りない…っていうか、思いきれてない感じ?オレもあんまり髪の毛とかいじらないけど、さすがに部長のは中途半端だなー、って思って」
「もっと目一杯に撥ねさせればいいのか?」

どんな髪型になっていたのかはしっかりと見てはいないのだけれど。
精々、道すがらに映った窓や車のボディで一瞥したに過ぎない。

「んー…そういうわけでもないんだけどー…」
「珍しく歯切れが悪いな」
「だって、多分の推測なんだけど、」

部長、途中で手を加えたでしょう?
試す様にリョーマがそう訊いてくるものだから、反射的にぎくりと手塚の身が跳ねた。
やっぱり、と言わんばかりにリョーマは暫く手塚を頭上から眺め、彼が図星を当てられて居心地悪くしている一部始終を目撃した。

「全部、推測の域を出ないけど、慣れない髪型なもんだから、元に戻そうとして手クシでといたりとか」

律儀な程、びくりと身を揺すっては反応する手塚は愛らしくもある。
こんな状況下でも顔色はポーカーフェイスなのだろうか。

「似合わないんじゃないだろうか、でテグシして、やっぱりたまには違う髪型も、って思って毛先摘んだり指で巻いたりしてみたり、とか?」
「……え、越前、まさかお前、見―――」
「見ちゃあいませんヨ」

ぜぇんぶ想像。
そう言ってリョーマは手塚の顔の前でにっこりと笑ってみせた。突如下りてきたリョーマの顔に、手塚はどこへ焦点を定めたらいいものかと暫く視線を右往左往させた。
手塚の戸惑いをものともせず、繁華街で群れる人の往来は止まることがない。

「好きな人には出来る限りのイイトコ見せたいよね」

そんなイジラシイところもスキ、と頬にキスを与えた後、リョーマは「できあがり」と乗り上がっていた段差を下りた。

















ヒアゼア。Here There
デート前夜は一人ファッションショーとかしてる手塚もおもしろい。
わたしももれなくやるクチです。相手が男女問わず。
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