テンプティングハザード
















珍しい事がその日、突如として起こった。
まだまだ日の高い初夏、というよりは盛夏に片足を浸けかけた未だ明るい夕方。いつもなら、ユニフォームから学生服への着替えが終わっても何かと居残る青学テニス部の連中がこぞって帰っていったのだ。

決して、皆で協定を結んで早く帰った、だとかそういう理由ではなく、個々に急ぎの用事があるらしかった。
手塚が着替えを終え、部誌をいつもの様に簡素なテーブルの上に開いた頃には全員が帰っていた。
否、
全員というのは嘘だ。手塚以外に、もう一人、越前リョーマが残っていた。

部活の終了の号令の後に偶然近くを通りかかった担当教諭に捕まって小言を垂れられていたとかで、黙々と手塚がペンを走らせる最中、まだリョーマは黙々と着替えていた。
室内には二人だけ。
室内には自分の着替えの衣擦れの音と硬質なペン先が紙の上をゆったりと歩く音だけ。
室外からは、まだまだ高度のある夕焼けの太陽の日差し。




時々、逡巡するかの様に止まったり、かと思えば早くなったりするペンの音を聞きつつ、他愛無い日常の会話の様にリョーマは口を開いた。

「そういえば、部室で、ってシたことなかったよね?」

『シ』の部分に妙なアクセントを置いて告げたリョーマを振り返る事もなく、手塚は続きを書き記しつつ返事をした。

「何がだ?」

根幹に馬鹿な部分が間違いなくある。この男は。
もしも、その言葉が確信犯であるならば、彼へのそんな雑言などはとんでもない話だが。寧ろ末恐ろしい。

前者なのか後者なのか、見定める様にリョーマは逆に手塚へと問い返した。

「何だと思う?」
「知るか」
「愉しいコト」

ひとつふたつと羽織った学生服のボタンを留めつつ、言葉通りにとても愉しそうな口調でリョーマは答えた。
傍から見れば、今日起こった良い出来事でも話しているように見えるのだろうか。
決して、手塚にもリョーマにも『そういう』感じは滲み出てはいなかった。どちらかと云えばただ淡々と会話は進められていた。

「なんだ、それは」
「なんでしょうネー?」

嫌な感じ。ウソ臭いカタコトの外国人の様に喋ってみせる。
そんなリョーマにやっと手塚は面を上げて、ただ一言、

「何をするか知らんが、先に書き終わらせろ」

やはり、根幹、いや、もっと奥に烏滸な部分があるのだろう。
見方を変えれば無垢ともとれる、恋人の返答にリョーマはにこりと笑った。
















「…っ、それ、で…っ」
「ん?」
「どう、して、こうなる…っ!」

終わったぞ、と手塚がリョーマに声をかけ、返ってきた言葉はイタダキマスだった。
その言葉の真意を理解しかねて、怪訝そうに眉を顰める手塚の隙をついて、先刻まで手塚が部誌を書き記す為に向かっていた決して丈夫とは云えない机の上へとリョーマは手塚を押し倒した。
小さいばかりの躯の癖に、厭に小器用なのだ。これを小器用と評していいかどうかは知らないけれど。

所詮、狭い部室で場所など取りようの無い、元は学校の備品だろうと思われるその机の対角線を描く様に手塚は倒された。対角線が四角形の中で一番長い辺だということを狙ってそこへ倒したのか、はたまた只の偶然なのか、それは犯人であるリョーマにしか判らない。

突然視界がぐるりと回ったことに、手塚が目を白黒させているうちに、リョーマはその唇へと軽く吸い付いて、それからペロリと舐め上げた。
手塚が一言も発せずにいれば、一端の男の顔でリョーマは初めての場所で緊張してるの?と手塚を揶揄った。

手塚が漸く言葉を発せたのは、リョーマから仕掛けられた濃厚なキスの後、気付けば行為に慣れた、否、慣らされた躯が反応を示した後だった。
もはや、条件反射なのか、キスの最中に手塚の両腕は机に完全に乗り上げて四つん這いになっているリョーマの背に回されていた。

かかってこい、とばかり体勢の癖に、冒頭の台詞が手塚の口からは突いて出た。
躯と心はどうやら行為に対しては別々に反応しているらしい。
素直な躯の反応の方がリョーマにとっては好い。

「どうも、こうも、無いと思わない?」
「…っふ、」

リョーマの掌は既に彼の手に依って開かれた手塚の襟許から中へと侵入していた。
手の平のサイズこそ、リョーマの方が小さいのに、指は白樺の枝の様に細くて長い手塚の指より随分と雄々しい。
小さい頃からテニスをしているせいか、同い年の部活仲間達にあるようなテニス胼胝めいたものは無い。
第二次性徴途中らしく、完全に男の手ではないその未完成な節榑立った指先が逆に手塚をじわじわと煽っていた。

手塚は、この指にしか肌を凪がれたことが無かったことも、粟吹く一因かもしれなかった。


撫でる、というよりは何かを探すかのように肌の上を這い回られる。
その感触が耐えられないくらいに、享楽的なのだ。堪えようとしてもどうしても薄く開いてしまう唇の稜線の向こうから吐息にも似た声が出ていってしまう。

「利用できる場所は利用できるうちに使っとかないと。勿体ないでしょ?」
「なにが…勿体ない、だ…このケダモノめ…」

ケダモノ、ね。
苦笑を噛殺すように、くつりと喉でだけ笑って、リョーマは手塚の耳孔のすぐ傍へと唇を埋めた。迫って来られて半ば反射的に手塚は瞼を深く瞑る。
ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立てて、押し当てられた唇は髪の中へと潜り込んで行く。

「思えば、こんな明るいトコでやるのも初めてじゃない?」
「知…るかっ」
「アンタの顔とか肌とか、よく見えて絶景かも。こんなに綺麗に染まるんだね、アンタの肌って」

聴覚のすぐ近くで云われているせいか、いつもよりぞくりぞくりと手塚の背を何かが這って行く。
いつも、何かが背で蠢いている気がするのだが、その正体を手塚はまだ知らなかった。

ただぞくりと今回も背を上っていっただけだ。
そのまま脳まで到達されて、いつも少しずつ世界が白くなっていっていく気がする。

「ホント綺麗。アンタと出会ったぐらいに咲いてた桜もこんな色してなかったっけ?」

美味しそう。
綺麗。
可愛い。

まるで譫言の様に呟き乍ら、リョーマの唇は手塚の輪郭を下降して次第に首筋へと滑走していく。
先程まで肌を擦っていたもう一つの手は滑っていくリョーマの唇の行く先を開拓していくように、手塚のシャツのボタンを音もなく外していく。

「……んんっ」

口唇が辿った場所の面積が増して行く度に、むずがる様に机上で手塚は躯をごそごそと動かす。
熱が、どこかへと集中して行っているのだろうか。満悦そうにリョーマは口角をにやりと擡げた。

「華奢だね…アンタ。いつもは触るばっかりでよくわかんなかったけど。すごく細い…」

ちゃんと食ってるの?と茶化す様にリョーマは云う。
もう、手塚には煩いとか黙れとか気丈な事を明瞭に言えるだけの自我は残ってはいなかった。
返事の代わりに嬌声が漏れる。
全てを開けきったリョーマの手がまた肌の上を彷徨い出したせい。

「今にも手折れそう。腰だとか…………、………」
「えちぜん?」

ピタリとリョーマの手も饒舌だった言葉も不意に止んだ。
性急にけしかけてきて、また性急に押し留まったリョーマに不審そうに手塚は寝かせていた頭を持ち上げる。
どこか鼻にかかったような声でリョーマの名を呼んだ。何かの余韻は残っているらしい。

ずれた眼鏡を押し上げて、自分の腹に馬乗りになっているリョーマの顔を見る。
日がまだまだ高い明るい室内のせいで、目を凝らさずともその顔色は窺えた。

放心したかのように、ぽかんと唇を弛緩させたリョーマの顔が見えた。
終いにはへたりこんで、手塚の下腹部辺りに腰を下ろした。

「越前?」

幾許か落ち着いて名を再び呼び、手塚は身を起こす。柔軟性に欠けると謂われても、腹筋はきちんと鍛え上げているのだ。
…話が横に逸れた。
「越前」
「なんで……こんな……」

烈火の如く、とはこの事を指すのだろうか、というほど急激にリョーマの顔は火照っていった。
訳がわからないのは手塚ただ一人。

不審は憤りへと少しずつナリを変えた。
何かを一人で完結させて、一人で勝手に羞恥を覚えているのだ。腹上の小さな獣は。

「お前、意味が判らん」
「だって…だってさ、」

むすっと、目許を険しくさせ端的に告げた手塚の顔もまともに見られないのか、リョーマは遂に両手ですっかり赤くなった自身の顔を覆った。

「こんなに……………、細かったなんて…思わなかったんだもん…」
「は?」
「確かに、普段から飛びついてたりとかもしたけど………、オレの想像ではもう少し…幅があるっていうか、ここまで細いなんて思ってなかったんだもん………」
「…お前、この期に及んで何を」

言っているんだ、と手塚は続けた。

肉体同士を繋げる行為は今日が初めてと云うわけではない。
手塚の躯はリョーマの手にすっぽり収まるように徐々にカスタマイズされてきていて、今、リョーマが必死に視界には入れようとしない自分の腰だって、何度も撫でられ時には舌で伝われて、云えば、幾度と無くリョーマは触ってきた場所なのだ。
それを、
それを、いつもより明るい場所で、明確に視線に捉えたからと云って、どうしてこの恋人は今更紅顔しているのだろうか。

「だって!女の腰だってもうちょっとあるでしょ!?」
「知るか!第一、着替えの時にだって見ていただろう!」
「それとこれとは状況が違うじゃん!つか、着替えの時間って実は結構一緒じゃない時多いし!」
「朝はお前が遅れて来たり、帰りは他の奴らとくっちゃべってるからだろうが!」

喧々囂々。
先程までの糖分濃度の高い雰囲気はどこへ姿を晦ましたものか、どちらも半ば本気で口角泡を飛ばした。

次第に、なんだか訳がわからなくなってくる。富に手塚がそうだった。
自分の腰の細い太い見た見てないと何と言う馬鹿な事を云い合っているのだろうかと。

根元深くに馬鹿を所有する少年は、それでもお互いの馬鹿さ加減に気付いた。

「第一、ここまで勝手に剥いたくせに、どう責任を取るんだ!」
「それはオレも後悔してるって!せめて下から剥いてけば、中のシャツの丈で腰だって隠れたのにさ!」
「そういう問題か!」
「そういう問題だよ!!第一、半裸にカッターシャツっていう方が燃えるじゃない!男として!どうして気付かなかったのか、叱ってやりたいよ!自分自身を!」
「お前が始なければこんな結末にはならなかったんだぞ!?」
「ノってきたのは部長じゃん!キスだけで腕なんか絡めてきちゃってさ!」
「だ、誰が絡めた!誰が!どこに!」
「部長が!オレの背中に!」
「覚えていないな!」
「逃げる気!?」
「人聞きの悪いことを言うな!覚えていないことを覚えていないと公言することのどこが敵前逃亡だ!」
「敵!?敵ってオレのこと!?大好きな恋人じゃなかったの!?」
「ああ、好きさ!好きだが、今は敵だ!」
「…………………」
「な、なんだ、急に押し黙って……」

不意に真顔に変じたリョーマに、何かの危険をピンと感じ取って、手塚は後退さろうとした。
が、
その腹の上には小さいとは言え、人、しかも日頃鍛えに鍛えている我が部のルーキーが乗ったままなのだ。手塚の行動は無為に終わった。
ただ、リョーマを腹に乗せたまま、藻掻いた様な形になったばかりだ。

「………今、」
「今、なんだ」
「今…――――、オレのこと、好きって言ってくれたよね?」
「は!?」
「言ったよね!?」
「言ってな………――」

いや、言ったのだ。流石に勢いに任せて言ったとは言えど、数分も前の出来事ではない。僅か数秒、本当についさっき、自分の口から告げた。
それを忘れた、と言ったら、若年性痴呆の疑いで医者にでも通った方がいいかもしれない。

手塚は、途中で切ったまま、その先の言葉を失していた。
その手塚のすぐ目の前でにこり、と唐突にリョーマは微笑んだ。

「わかってたけど、言ってもらえるとすごい嬉しい。アンタせがんでも中々言ってくれないのに」
「いや、今のは………」
「また言葉のアヤ、とか言う気?オレのこと好きじゃないの?」

じりじり、と腹から胸へとリョーマは臀部を摺らせて上ってくる。
幾ら腹筋を鍛えていても、人一人に胸まで上られて、手塚はまた背面全てを机に預ける形になった。
その顔を、リョーマは覗き込む。

「好き、だよね?」
「………ぁ、」

ああ、と続けようとしても、その先は続かなかった。
変なところで自尊心が高いのか、ただの照れ屋なのか。
手塚自身も自分があまりよくわからない。

けれど、手塚が何と答えようとしたのか、全てお見通しなのか、とっておきに満面にリョーマは笑った。

「嬉しい。ちゃんと、その気持ちに応えられるように、オレも頑張るからね」
「は…?」

頑張る、とは何を。

「ちゃんと、部長の裸、明るいとこで見ても動じないようにするから、」


何だか、嫌な予感がした。



「また明るいとこでセックスしようね」

上機嫌にそう言って、手塚の鼻先へとキスが落ちた。






















テンプティングハザード。
誘惑的な障害物。
手塚の腰の細さ、というか体重の軽さネタを今更に使いたかっただけです。すごく今更な感が。
しかし、身近に170センチ強で体重50kg台の男の知人とかおりますが、とんでもないですよ。とんでもなく細いですよ。細い、つか、お前何者!?みたいな。
すごく、すごく、そんな細い男の腰とぺったんこなケツは触りたくなる欲求でいっぱいです。(待って)男子高校生のぺったんこなケツになよなよスラックスとかね、すごい胸キュン度が高いです。

えちが、へたれ、なのかな…中途で終わらせたし。そしてこの手塚の乙女度はわたし的にはすごく高い…。娼婦ならリョーマが止まったところで躊躇無く卑らしく誘うだろうと思われます。
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