蕗櫻
こんにちはと言ったら帰れと即座に言われた。ひどい言い様である。
折角、昼過ぎで部活動が終わったから、と、一度帰宅して汗塗れの体にシャワーを浴びて、すっかりすっきりした顔で手塚家を訪れてみれば、彼の母親が出て来た。
リョーマの顔を見るなり、手塚の母はさっさと家に上げ、手塚は自室に居ると告げてリビングへと消えた。
決して粗雑な扱いではない。この家に通い過ぎているのでこちらに対して遠慮や垣根が無くなってきているのだ。
随分と仲良くなってしまったものだと急に思う。
将来的に見積もれば、それはきっとプラスに動くことなのだろうけれど。
母親の言葉に従順なまでに従って、手塚の私室の扉へと立ち、ドアの影から顔を半分程覗かせるようにして、リョーマは言った。
冒頭に戻る。
「帰れって、なにそれ」
部屋の中から聞こえた厭に乾燥した声にリョーマがむすりとしつつも扉から全身を室内へと現せば、ドアのすぐ隣のベッドに上半身を投げ出した手塚が居た。
ベッドの上には脱ぎ捨てた学生服やら眼鏡やら、それぞれ読みかけらしい数冊の本がページ途中を開けられて転がっていた。
手塚、という人間から推し量れば、壮絶に珍しい姿だった。端的に言えばだらしがない。
弛緩しながら考え事でもしている。
布団に埋めた顔から目だけをこちらに覗かせてリョーマを一瞬だけ見る。そしてまたぷいと視線を逸らした。
向かって来た視線は先述の彼の科白を裏付ける様な尖ったきついものではなくて、どこか沈鬱そうなもの。
涙の痕も涙の気配もないけれど、今の手塚を色で現すとするならば深い深い黒。
ああ、この人は、
何とはなしに悟った。
自分も気付けないようなナニカのせいで気分が悪いのだ。
後ろ手に扉を閉めて、リョーマはベッドへと近付いた。そして手塚の隣に腰を下ろした。
ぽすんとベッドのスプリングが跳ねる。
「どうしたの?」
リョーマが座る場所とは逆の方向を向いた手塚に尋ねてみるが、手塚から返答は無い。
それでも、努めてやさしく、ふわりと手塚の髪に触れた。
いつも背が低いからというだけの理由でこうして頭に触れられるが、成る程、自分の目線より低い位置にある頭部というのはどうしても撫でたくなる衝動というものがくるらしい。
思えば愛猫の頭もついついよく撫でている。
「歌でも歌ってあげようか」
イエスともノーとも返してこない手塚を放って、リョーマはタンタンと足で拍を取って、
Oh,say,can you see、と歌い出して、the home of the brave?と歌い終わらせた。
数分にも満たないその歌が響いている間も、手塚は布団から顔を上げなかった。
じゃあ、次は、とGod save our、と歌い出した頃、隣でくつくつと肩を震わせて、
「…甘やかすな」
それまで大人しく頭を撫でられていた手塚の顔がこちらを向く。やっと顔を見せた好きすぎる恋人の額にリョーマは愛おしそうに唇を落とした。
「元気出た?」
「あと、すこし」
子守唄としてはB級の歌の続きを催促した。
手塚の頭を撫で乍ら、リョーマはgracious Queenと続きを歌い出した。
蕗櫻。
短いのはわざと。
元気出して、というのがメインテーマ。
わたしから勝手にお見舞いの品です。どうも、ここ数日凹んでらっしゃるようなので。大好きなサイトの管理人さんが。
蕗櫻は洋名シネラリアともサイネリアとも。お見舞いとしては普遍的な花だそうですヨ。
ちなみに越前が歌ったのはゴッドブレスアメリカとゴッドセイブザクイーン。アメリカ国家とイギリス国家です。この子ら歌謡曲なんて聞きそうに無いイメージなので…もにょもにょ
ゴッドブレスアメリカは今でもわたしの鼻歌ナンバーのひとつ。
元気出して、というのは簡単ですが実際に元気を出すのは難しいです。重々承知の上で元気出してと言わせて欲しい。
元気、出して下さいね?
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