One must go abroad for news of home.
酷く近くに居過ぎると、見えるものも見えないらしい。
海の彼方まで明るく照らす灯台も、遠くへ光を飛ばすせいでその麓は暗いと云う。
光の物すぐ傍に据えれば、逆光で物体は黒く見える。照らす光が強ければ強い程、物体の黒味は強くなる。傍に寄せれば寄せる程、物体は黒く見える。
今のこの距離は近すぎるかもしれない。
見えていないものが、ひょっとしてあるかもしれない。
と、言うわけで、とお座なりな説明を終えてリョーマは正面で向き合う手塚に対して前置いた。
「今日は真面目に部員やるから」
「そうか」
淡々といつもの表情の無い顔で手塚は答える。リョーマは果なと首を緩く傾げた。
「驚かないの?」
「どうして驚く必要がある。寧ろ、部長という役職から言わせて貰えばありがたいことこの上ない」
「恋人として、はどうなの?」
剰りにも淡々とし過ぎた返答ぶりが面白く無い。
もっと自分の言葉に驚嘆と焦燥の色でも見せてくれれば少し楽しめたのに。
部活開始直前に部長様の顔に切り替わる時は嫌なくらいに冷徹。そういえばそんな人だった。
「恋人として?」
訝しみも露に、眉を顰める。柳眉がこうして歪に変化するのを見る度に勿体ないとリョーマは思う。
綺麗な顔が台無しだからその癖をやめてみれば、と勧告したことはあるけれど、当の手塚は自分のその癖には気付いていないようだった。
そんな顔をしているか?と、とても不思議そうに小さく首を傾げていた。
自分の事は、密接し過ぎていて自身ではやはり判らないのだ。それが癖というものでもある。
「そ。恋人として。寂しいとか嫌だとか、そういうのは無いの?」
「お前はそう思うのか?」
「オレは部長が距離を置くって言ったら泣くよ」
「子供だな」
「子供だよ」
だからどうなの、と嘯く。
「…」
ふぅ、と手塚はほとほと呆れた様にどこか疲れた顔をして重い息を吐き出した。
「今日一日だけか?」
「へ?」
「今日一日だけ物理的に距離を置くのか、と訊いている」
憮然とした顔。それがこちらを見下ろして来る。
およそ頭一つ分高いその位置からは、きっとこちらの下瞼の裏側が薄らと見えていたりするのだろう。こちらから綺麗に並んだ睫のすぐ向こうに上瞼の少し奥のサーモンピンクが見えているように。
「うん。そのつもり、だけど?」
「そうか」
頷くでも無く、表情を変えるでもなく、矢張り淡々と手塚は告げた。
離れてみれば何か今以上に気付ける部分があるかもしれない。
そんな魂胆を腹に据え、リョーマは言い付けられた通りのメニューを着々とこなしていた。
今の時点で、気付いた事と言えば、手塚の肢体全域が目にすっぽりと収まって、均等が見事で綺麗だなと思えた事と、部活という組織の長らしくあちらこちらの様子を抜かり無く窺っている様子と、自分が近寄らなければ近寄らないで誰か近付く者があること。恋人が男惚れする程にカリスマ性を持っているというのはどうやら考えものだ。決して手塚に近付く者はリョーマの様な想いなど持っていないのだけれど。
まだ空は青い。
「越前、今日は手塚にべったりじゃないんだね」
「たまにはそんな日があってもいいと思いません?」
「まあ、構わないんじゃないかな。本人間の問題だと思うし」
言い渡されたミニゲームの相手でも無いのに、不二は静かに近寄って来た。
お互い、次の相手がまだゲームの最中なせいで、無駄に手が空いているせいだ。
そろそろ終わってもいいのではないか、と次の相手の様子を見てみても、どうやらデュースに縺れ込んでいるらしく、しかもアドバンテージを取り合っていて、まだ暫く小休止は終わりそうにない。
「僕は構わないけど困る人は困ってるみたいだよ?」
にこりと笑って不二は向こうを指差す。その先には素振りをする1年、と、それを監督する手塚国光部長御大。
「部長は困ってないスよ」
困らない、と遠回しに言われた。部長としてはありがたい、と。
「そうじゃないよ、越前」
けれど、不二は微笑のままで、指先を少し下げた。リョーマの視線も同じ様に少し下がる。
手塚の顔から胸の前で組まれた腕辺り。
その腕の前には、カクカクと変にラケットを振るリョーマとは同学年の少年達。
「すごく、変な振り方してるよね」
「そうスね」
部長である手塚の前だからなのか、ラケットを振る手は緊張した様にどこかぎこちない。
基礎固めの最中に、そんな奇妙な振り方をして変な癖でも付いたらどうするのか、と不二に誘われてその様を興味無さげに見遣るリョーマは思う。
「どうして、手塚注意しないんだろうね?」
「え?」
「目の前でやってるのに。しかもあれって見てあげてるんじゃないのかな?立ち位置からして」
「気付いてない…ってことはあり得ないスね」
まさか部の頂点、引いては中学テニス界でもトップクラスのプレイヤーが見目にも明らかな歪さに気付かない筈はない。
確かに、真っ直ぐに前を向いたレンズに阻まれた双眸は素振りをする1年生達を見ているのだけれど、手塚が注意を喚起させる気配は伺えなかった。
「あ」
背の低い中学1年生の群れに落とされていた視線が唐突に持ち上がる。
ツ、と上がった視線は少しばかり左右に揺れて、結局リョーマのところに落ち着いた。
勿論、その様子にリョーマは気付く。つまりは視線が空中でかちあった。
視線など、目に見えるものではないのに、確かに手塚から何か向かってくる糸のような軟らかい感覚がある。
リョーマと視線がぶつかったからと言って、手塚の視線は退かなかった。
そのままゆったりとリョーマの姿を堪能する様に見て、またゆっくりと1年生の群れに視線を戻した。
くすり、とすぐ傍で細い笑いが漏れ、つられてリョーマも弱く苦笑する。
「違和感があるんだろうなあ、手塚」
「あの人も、大概にオレのこと好きですよね」
知っていたつもりだったけれど。知らなかった事かもしれない。
自分ばかりが想いを寄せていると過信したいだけだったのかもしれない。
明るく灯るライトハウスの下に視界の潰れる暗い影があるからこそ、灯台として完成されるように、双方向の想いで恋は成り立っている。
「はいはい。そうだね」
惚気たセリフに、不二は苦笑。
「さて、と、そろそろ注意してあげないとあの子達、上手になれないね」
何の為に見てあげてるんだか。
世話がやけるなあ、とか何とか言い乍ら、不二はすたすたと手塚へと向かっていった。
やって来たのが不二だと気付いて、手塚はとても不服そうな顔で出迎えた。
One must go abroad for news of home.
手塚だってお前が好きなんだ。そして勿論わたしもな!例外無く!越前というなのあの子が大好きです。
瞼の裏の肉云々はわたしが日々人を見ている時に決まって見る場所です。余談ですけど。
人によっては凄い美味そうだなあと妙な食欲が沸き起こります。舐めたいとか思う。きっとリアルに越前がいたら凄く思うと思います。えちの瞼の裏肉…(ときめき)
一番美味そうだと思った瞼の裏肉保持者は専門学校時代に講師できていたプロデューサーの人。
元気してるんだろうか、あの人…。
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