breathe out breath
発端は珍しく手塚で。余程、気が抜けていたせいなのかもしれない。
俯いて足下に転がっていた雑誌のページを繰っていれば目の前に髪がかかって疎ましかったものだから、それを手で払い、頭を二三度振った時に「ごろごろ言う」と耳を数度叩いたその仕草を、丁度、ドリンクトレーを片手にドアを開けたリョーマに目撃された。
何やら考える顔つきで近付いてきたリョーマから頭上で盆を受け取れば、彼は手塚の向かいに腰を下ろすでも無く、立ち呆けて、それから間もなくしてくるりと踵を返して部屋をまた出ていった。
どうしたのだろうかと首を傾げつつ、頂戴したグラスに口を付けながら手塚がまた目を引く様な記事は無いだろうかと眼下のページを繰り出した頃、軽快に階段を上がってくる足音が聞こえた。手塚は手を止め、口を離して顔を上げる。そこには再び部屋の敷居を越えてくるリョーマがおり、扉を閉めると意気揚々とばかりの顔をして手塚の正面に座った。
きちんと足を畳んだ正座で。
たしん、とリョーマが揃えた己の膝を叩く。
そこへと一度視線を落とし、また顔を上げてリョーマの顔を見れば、何とも彼は愉快そうに表情を綻ばせていて。
両手を広げてみせるそんな笑顔の彼は片手に耳掻き棒をひとつ持っていた。
ああ、ひょっとして、そういうことなのだろうかと、再度確認する様に手塚がリョーマの顔を再び見遣れば、その通り、とばかりにリョーマが軽く頷いてみせる。
声には出して伺ってはいないというのに、何とも以心伝心だこと。
お互いに持つ、疎通の良さに呆れる気持ちを抱きつつ、手塚はリョーマのひっそりとした指示通り、彼の揃えられた両膝の上へと頭を乗せて横になった。
友人にも部員にも、家族にすら見せられない姿だろう。彼氏に耳掃除をしてもらう、この寛いだ自分の姿なぞ。
耳の中に竹棒が侵入してくる『静物』と人肌の微妙な温度差を感じつつ、客観的に今の体勢をふと鑑みて、少々、気恥ずかしい思いに手塚は狩られた。逆ならば、そう問題は無いのだけれど。
まあ、リョーマの部屋、という限りなく仕切られたこの場所ならば見ているのは精々、リョーマだけなのだから、大した我慢もいらない。
寧ろ、誰かの膝に頭を預け、こうして耳掃除をして貰うのも随分と久しぶりで。
幼い時分には、母にはそうしてもらったものだけれど、中学に上がるよりずっと以前にいつの間にやら自分でそれくらいはするようになった。
当初は、耳の穴なんて深さも何だかよく解らないし、妙に恐々とした手付きでやっていた様に思う。
久方ぶりに誰かに耳掃除をして貰うというのは案外に気持ちが良いもので。
増々、手塚の体はリョーマの膝上で弛緩していった。リョーマだからこそ、だったのかもしれない。
意外と手付きも危なっかしくなく、耳の内壁を時折、掻かれるのが少々、こそばゆい程度で、暫くすればそれも段々、気持ち良さのひとつになっていった。
ああ、このままだといつか迂闊に居眠ってしまうかもしれない、と垂れ下がってくる瞼に手塚が危惧を抱いていれば、何ともタイミング良く耳の穴から竹棒はそろりと抜けていった。
一方の耳が終わったらもう一方。片方の耳だけ掃除されてもちょっと気持ちが悪い。
定石にそう思って、随分と重くなった頭を擡げて身を反転させようとした瞬間、耳朶が軽く摘まれて、ふっ、と息を吹き込まれるものだから、それを予想だにしていなかった手塚の身は思わずびくりと活きが良い魚みたいに跳ねた。
顔に熱が集中していく様が、手塚自身にも手に取るように解った。
突然のことに体が跳ねてしまったことと、リョーマの息が直線的に耳へと注ぎこまれた二つの要因を孕んで。
ゆっくりと膝の上で身を回転させ、恨めしい顔つきでリョーマを睨み上げれば、逆に手塚のそんな顔が理解できないようで、リョーマは静かに首を傾げた。その片手にはまだ耳掻き棒が握られていた。
「なに?」
首を傾げたままでそう尋ねてくるリョーマに、直情的に意見を述べられるのは憚られて、手塚はただ眉を更に顰めるだけで留めた。恐らく、彼としては普通の行動だったのだろうし、よく思い返せば手塚もそうされていた。
何も、目くじらを立てて咎めることでは無いのだ。彼に悪意は無いし、ただ自分が過剰に反応してしまっただけなのだから。
それでも、真っ直ぐに見上げたせいで顔が赤くなっていることは彼にばれているのかもしれない。
ばれているとしても、その内情を彼に気取られる前に手塚は残り半分、身を回らせようとした。けれど、彼はコート上同様、察しが大変宜しいお子様で。
身を膝の上で翻そうとしたその手塚の肩へと手をかけ、にまりと歪めた口元を先程よりも至近距離で手塚の耳元へと近付けた。
そしてまた、ふう、と、今度は先程よりも長く、吐息を注がれた。直角に曲げた膝を叩けば臑が浮き上がる体の反射みたいに、ぴくりと手塚の体は震えてしまった。快感に正直な体が恨めしい。
そう。耳の中に息を吹き込まれるのは何とも云い表せぬ快さが手塚には在ってしまって。
そしてリョーマもそれに俄に気付いてしまったのだから、こうなってくると手塚の手に負えない範囲へとリョーマは独り歩きをしてしまう。
「これぐらい近かかったら、オレの声ってどんな風に聞こえてるの?」
いつもより低い声音で、耳朶のすぐ近く、耳穴の入り口にほぼ唇を触れさせる様な距離でそう囁かれて、手塚の肌に沸き立つ粟立ちは酷いものになっていた。
思わず、自分の肩を抱いてしまう程、よく震えるこの体は矢張り憎たらしい。いつからこんなにも聞き分けの悪い体になってしまったのだろうか。脳と体の密な連携はどこへいってしまったのか。
手塚が双眸と唇とを引き結ぶのとは裏腹に、リョーマの独り歩きには誰かがモーターでも貸してやったようで。
横臥する手塚の身に、背後から覆い被さる様に体を乗り出させ、その顔を覗き込む。手も竹棒をいつの間にやら放り出して、一方は手塚の脇腹、もう一方は手塚の髪を撫でた。指先でチラチラと撫でる、スキンシップというよりは何とも卑猥な触り方。
正直、その触られ方が手塚には苦手だった。その指先に容易く翻弄される自分がいることを既知しているものだから。
我知らず、手塚の呼吸は乱れ出す。それを眼前で見ているだろうリョーマが薄笑いを深くしていることが、きつく目を伏せていても気配で察せられる。
自分ばかり玩ばれているようで、それが酷く癪で。リョーマからすれば、身震いひとつで唆してくる手塚の方が玩んでくれている気がしてならなかったりしたのだけど。
詰まる所、実は両成敗だったりして。
勿論、お互いがお互いに気付けていないけれど。
「……ッ」
肌に髪に、リョーマが触れていったところから火が灯る様に熱く感ぜられ、体の熱も増していって、仕舞いには手塚が息を詰まらせて、少しばかり外側へと身を捻った。
けれど、そちらには前傾させたリョーマの顔が待ち受けており、手塚がそろりと薄く目を開くと同時にその唇は攫われて。
もう一度、手塚は息を詰まらせる。
縋る様にか、将又、勝手なことばかりするリョーマを咎めるつもりなのか、手塚の片腕は矢庭に持ち上り、その指先は垂れ下がってくるリョーマの襟元を握り締めた。
奥へ奥へとリョーマが手塚の口腔へとより一層入り込んでいけばいく程、手塚の掴む力は大きくなっていって、キスが長いものになればカタカタと音がしそうな程に五指が震えた。
唇を離した頃にはお互い濡れそぼってしまっていて、その口元から揃って毀れた吐息は果たしてどちらが熱いのだろうかと、熱に浮かされ始めた頭でリョーマは一度考えたけれど、間近で手塚の目と視線がかち合った事でそんな意識はふっ飛んでしまい、リョーマはただただ口吻けを繰り返し、ただただ手塚はそれを受け止めた。
部屋は時と共に蓄積していく二人分の吐息のせいで、じりじりと温まり出した。
breathe out breath
文法的にはこのタイトルはきっと変なんでしょうな……。勉学から離れてそろそろ長くなりますけん…。(言い訳)
もうどんなことからでもイチャイチャに持ち込めるようになりましたね。おふたりさんね。
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