be given to bottom
















徹底して手塚が言おうとしない台詞が二人の恋人史上にあった。それはひとつでは無く、実は幾つかあったのだけれど、その中で特等に彼が言おうとしなかった言葉は”恋人”という括りの関係に於いて、基本と言えば基本的な単語で。

今となっては彼の徹底振りも緩和され、時々、言ってくれるその言葉を初めて言って貰えた日のことをふとリョーマは昼寝明けの靄が掛かった頭で思い出した。
寝ぼけ眼をぐるりとわざわざ巡らさずとも、そんな日から随分と年数が経った姿の彼はすぐ隣でソファに腰掛けたままうつらうつらと船を漕ぎ出していたりして。
恐らく、隣でリョーマがすやすやと気持ち良さそうに眠っているものだから、その寝顔に釣られて、だとかそんなところだろう。随分と感化されてきたな、と考えるリョーマの頭は寝起きからはすっきりとしてきていた。
ともすれば頬杖の上から顔を滑り落としてしまいそうな手塚の顔を身も起こさずに下から覗き込んでいると、その気配を察知したのか、レンズ向こうにある手塚の双眸が緩々と持ち上がった。

「おはよ」
「…失敗したな」

何が、とリョーマが問えば、釣られて居眠りし始めてしまったことだと手塚が言う。口惜しそうな表情を浮かべる手塚を前に、満足そうな様子でリョーマは笑みを浮かべる。

「…なにやらご機嫌そうで」
「アンタは不機嫌そうだね」
「お前色に染まってきているようで、少々、癪なだけだ」
「いいんじゃない?越前リョーマ色。…ね、それより、聞きたいんだけど、」

ソファの上に突いたままの両肘を使って手塚へとより躙り寄ると、リョーマは笑みを更に増した顔を手塚へと向けた。

「オレのこと、好き?」
「なんだ、薮から棒に」
「いいからいいから。ね、好き?」

にこりにこりと笑うリョーマを変な物でも見る様に目を眇めて見下ろした後、視線をリョーマの居ない方へと向けて手塚は嘯く。
好きだ、と。
にい、とふたつの口角をリョーマは引き上げ、そしてか細い忍び笑いを漏らした。そんなリョーマを更なる不審さで以って手塚は視線を遣り戻した。

「オレとアンタがまだ付き合ったばっかりの頃、なかなか言ってくれなかったなー、って思って」
「今は言っているだろう」
「だから、昔。昔のはなし」

尚もくすくすと笑い声をたてるリョーマへ、過去を振り返るなどお前らしくも無い、と何やら面映そうな顔をして、おまけに嘆息まで吐いた。
前ばかり、若しくは上ばかり見詰めている輩が何と今更な、とばかり。

「あの頃は恥ずかしかったんだよねェー?」
「…惚れられた強みがある人間がわざわざ言う必要は無いと思っていたんじゃないのか?」
「ふぅん?どうだろ?でも、あの頃は言わずに躱すことを徹底してたよね」
「徹底、というと語弊がないか?」
「そう?」

何も、嫌っていた、という話では無いのだから、リョーマが語る程、頑なに言わなかったような気はしないのだけれど、それは飽く迄、現況が当たり前になっている手塚が考えることなものだから、事実は少々違う。
今の彼は、少々の憚りが残るものの、好きだと言えるのだから。

「アンタ、あの時何て言って躱してたか覚えてる?」

愉快そうな調子を残したまま小首を傾げ、リョーマがそう尋ねるも手塚は少しばかり考えた後にしれっと覚えていないと返すものだから、またリョーマはくつくつと笑った。

「じゃあ、試しにオレに向かって好きだって言ってみてよ。アンタが当時のオレ、オレが当時のアンタを再現してあげるから」

完全に記憶しているらしく、堂々とした素振りさえ窺えるリョーマのその様子に正直、感嘆すら覚えつつ、けれど、気怠そうな姿態のまま、手塚はリョーマの『遊び』に付き合ってやった。

「好きだ」

と手塚が言えば、

「ああ俺もだ」

とリョーマが目一杯、声音を低くさせて答える。
当時の自分を物真似しているつもりらしいのだけれど、全然似ていない気がしてしょうがない。深い皺を眉間に刻む演技過剰なリョーマの様子は非常に胡散臭い。
多少なり、綻んだ顔で当時は返していたつもりだけれど、どうやらそれは心掛けのみだっただけで、慣れないことを言っていたものだから表情は堅いままだったと見える。
客観的に眺めていた人間がそう現すのだから、そうなのだろう。

リョーマと手塚の小芝居は続く。

「好きだ」
「わかっている」
「好きだ」
「俺もお前と同じ気持ちだ」
「好きだ」
「…それはどうも」
「好きだ」
「明日はどうなっているかな」
「…好き」
「越前、そろそろしつこいぞ」
「…好きだ」
「…そうか」

体を急に起こし、リョーマは手塚の頬に唇を寄せて小さく口付けた。
「そうか」の後にあの日手塚が続けたものはそれだったものだから、それを再現したに過ぎない。けれど、された側の手塚は不意打ちになのか、将又、何とも遣る瀬無い問答になのか、対象は瞭然としないのだけれど、不平を抱えているらしい顔色で。

「キスするくらいの積極性があるなら、すんなり『好きだ』って返してくれればいいのにね。この天の邪鬼」
「……今は幾分か素直にしてやっているだろうが」
「そうだね。たしかにそうだけど、そろそろ、徹底的に『愛してる』とは言ってくれないヒネクレっぷりを直してくれない?」
「…………言っていなかったか?」

空々しい表情に浮かべ変えつつ、視線は宛ら忍び足の様にこそこそと天井へと逃げていく。
リョーマが居るのは、手塚が見つめる天井とは180度逆の、ソファの上、手塚の隣。

「言ってないね。ただの一度も」

言ってみてよ、と言葉の後に催促してみるけれど、

「また今度」

もう随分と齢を重ねたリョーマの頭をあの当時宜しく、数回軽く叩き、手塚は腰掛けていたソファから立ち上がってどこかへと逃げていった。
あの頃から今に至るまでと同じくらいの時間をかけて、また彼を慣らしていかなければいけない。それは考えるだけで長い時間の様な気がするけれど、リョーマの胸中には遠い未来への気苦労では無く、難攻不落の牙城を陥落させる戦好きな王が抱えるであろう一種の高揚感だけが積もるのだった。

ソファを離れ、リョーマは手塚を追う。



















be given to bottom
その当時の越前さんにはどこか不憫さすら漂います。
戻る
indexへ