wither dry
ちょっと帰って来られないか?と手塚から電話があったのは、リョーマがロッカールームでシューズの紐を結んで支度ももう終わろうかという時分。
肩で電話を挟みつつ、手ではきっちりと紐を結び乍ら、咄嗟にリョーマは「は?」と間抜けに声を上げた。迂闊に漏らしてしまったその声は充分不遜に聞こえるだろう返答の仕方だっただろうに、手塚の声音は特別変わらない。
電波は只今海を越えて一瞬のうちにリョーマの耳へと届く。
「家の鉢が枯れそうなんだが」
「…ええと、あのさ、ちょっと言っていい?」
「なんだ?」
手塚の声はまだ平坦なまま。それも含めてリョーマには不可思議でならなくて。なにせ―――
「オレって、今、初のプロトーナメント出場、その初試合前なんだけど」
状況解って言ってる?
そう怪訝そうに続けたリョーマへと、手塚は難無く「勿論」と、そう返した。
「解ってて、『ちょっと帰って来られないか』?トーナメントが終わった後じゃなくて?」
「今日中、悪くても明日、が望ましいかもしれんな。随分と干上がってきて困っているから」
「いや、あのさ、水やりくらい自分でやればいいと思わない?」
「どれぐらい水をやればいいのか解らない」
どこの幼稚園児だ。否、幼稚園児だって水やりをする上でどれくら水をやればいいのか悩んだりしないかもしれない。
兎に角も、手塚の発言は馬鹿馬鹿しいくらい真っ赤な嘘だと見え透いていた。今度はガットの張り具合を指で確認しつつ、何とも胡散くさい顔でリョーマは返事を遣った。
「…コップ1杯ぐらいでいいんじゃない?」
「コップとは、どの程度の大きさのものだ? 家にあるものは色々とサイズがある訳だが」
「……高さが5cmくらいあるやつでいいんじゃないかな?」
「ああ、そういえば昨日、丁度それくらいのものをうっかり割ってしまったな。こういう場合はどうしたらいい」
そんな今、思い出した、基、思い付いた、という口調で空々しく言われても到底信じられない。まず、手塚が注意不足で食器を割ってしまう図がリョーマには思い描けなかった。
また嘘なのだろうか。きっと嘘だろう。嘘に違いなかった。
どうしてそんな嘘を吐いてまで帰って来いなんて言うのか理解不能で、リョーマは電話の向こうにも聞こえるくらい解りやすい大きさで溜息を吐いてみせた。
出立前に、一番の激励をくれたのは他ならぬ手塚であったのに。今更、こんな試合直前になって帰って来いだなんて。今、この時にわざわざかけてきたのすら、確信犯な気がしてきた。
懊悩するリョーマを余所に、手塚は心裏を打ち明ける気は毛頭無いらしく、
「こうやって電話で指示されてもこの通りだ。お前が帰ってきた方が早いと思わないか?」
念押しする様に。催促する様に。手塚はもう一度、「鉢植えが枯れそうなんだが」と復唱した。バカらしいったらありゃしない。リョーマがいないと何もできない人間でもあるまいに。寧ろ、何でもそつなくこなしてしまう種類の癖に。
「オレが帰ってから新しいものを買ってあげた方が早いと思うよ。優勝賞金あったら何百鉢でも買ってあげられるし」
「今、育てているこれ以外の鉢植えはいらない」
我儘。我儘だ。滅多に見ない、聞かない、しない、あの人の我儘だ。
これ以外はいらない、と手塚が宣う鉢植えの観葉植物は、何かの記念に買っただとか、そんな大した曰く付きの物でもない。リョーマ付きのスタッフがひょいとくれたというただそれだけのもの。
鉢植えに固執する手塚を電話越しに突き付けられたその時、一瞬だけ、やっぱり何か裏があるのだろうかとリョーマは疑った。何か壮大な陰謀の為に帰って来いと言っているのだろうか、と。
そんなもの、実は何も無かったというのに。
「帰って来られないか?」
「今日、明日じゃちょっと無理」
謀略なぞ、一切無かったというのに、在らぬ計らいなのに、さもそれを有るものと勘繰って、リョーマはそんな風に答えた。掌で弄ばれてなるものかと。
ただ、ほんの少し、リョーマが世界に姿を晒すことが。世界へ出すことが。より多くの人間に愛されるであろうことが。こんな真に迫った頃に口惜しくなって。
世界へ飛び立って欲しい、という内心との自己矛盾だということは把握していても、やはり口惜しくて。
この瞬間に、やはりまだ繋ぎ止めておけないだろうかと、狭量な自分が出てきて。
溺愛してくれている彼が、世界に進出しても変わらず愛してくれるだろうことは確信しているけれど、それでも、
出窓に置かれ、からからに渇いた土の上に生える緑を自分と類似していると見下ろした後、窓の向こうに広がる空を見上げて、きりきりと縊り殺されて行く胸中を抱え乍らも手塚は嘯いた。
少しでいいから帰って来られないか、と。
諄い。
wither dry
枯渇っつか飢餓っp(略)
男は度胸、愛嬌、調教で。(最後、イミワカランなのが入ってますヨ)
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