mother language
そういえば、と不意に手塚が口火を切った。
「ある日に何人か集まって他愛も無い話をしていたら、何とは無しに苦手なものは何か、という話になったんだ」
真っ直ぐ前を向いたまま口を動かす手塚を見上げ、彼が他愛も無い話をする人間というのは誰だろうかと、話題から逸れたことを考え、結局、リョーマが考えを及ばせたのは、顔馴染みである3年レギュラー陣の面々。
「そうしたらある男は蛇が駄目だと言い、」
何故、手塚が”ある男”だなんて特定を秘匿する様な口振りで話すのだろうと不思議がりつつも、その蛇が苦手と言ったのは大石だろうかと、何の根拠も無いただのインスピレーションだけでいつも周囲によく気を配る彼の顔を脳裏に浮かばせた。
「また別の男は蛙が怖いと言う」
不二、と咄嗟に閃いてみるけれど、かの裏権力者と誉れ高い彼が蛙如きに震え上がる筈も無い、とすぐに打ち消す。
どちらかと言えば、彼と蛙の関係性は呪術者と使用する材料、の様な気がしてならない。これも、ただのイメージでしか無いが。幸いにもリョーマはまだ不二がおどろおどろした呪文を暗い部屋で唱えている場面に遭遇したことは無い。――彼にそんな趣味や習慣があるかどうかは、矢張り想像と偏見の領域内。
ひょっとしたら河村だろうかと、取り敢えず、リョーマは蛙が苦手な男像を切り替えておいた。
「そんな話をしていれば、輪の中にいた一人の男が顔を真っ青にさせ乍らこう言った」
リョーマの気を注がせる為なのか、そこで手塚は一度言葉を切ると宣うには少々長過ぎる時間を置いた。そこで話は終わりなのだろうかと、リョーマが怪訝になりだすくらいに長い間断を。
「俺は饅頭が怖い、とな」
代わりに口を開いて別の話題を始めようかと思った程、妙な長い一拍を置かれたものだから、それが沈黙前の続きの言葉であるとリョーマが理解するには一瞬の間があった。
蛇が嫌い、蛙が駄目、その話の延長線上で饅頭が怖いと発言した男が居た、とリョーマが理解した頃には手塚が更にその続きを話し始めている。
「饅頭が怖いだなんて珍しい、と囃し立てていれば、その男は随分と具合が悪そうでな。訊けば、饅頭というその単語だけで嫌だったらしい。絶品と名高い、少々値の張る団子の銘柄を口に出せば、ぶるぶると震え出して、それは饅頭の中でも一番怖いと言う。あの饅頭はどうか、この饅頭はどうかと他の連中が言えば耳を塞いで、隅の方へと逃げた」
饅頭の何がどう怖いんだろうかと、寧ろ和菓子は好物の範疇に入るリョーマが饅頭を怖がる理由を考え倦ねていれば、その隙に珍しく手塚が畳み掛ける様に早口で言う。
「そして、饅頭の話題で具合がいよいよ悪くなって来たからとその男は隅に横になって居眠りを始めてしまった。その隙に、だ。他の男達が何をしたと思う?」
「…え?えーと、その饅頭嫌いの人を放って普通に話してたんじゃないの?」
っていうか、この人はどうして唐突にこんな話を始めているんだろうか。どこか冷めた気持ちでふとリョーマはそんな風に思ってしまった。
今日の手塚は妙に饒舌且つ熱弁を奮っている様に見える。
「ところが、普通に話しているよりも、あの饅頭が嫌いという男を驚かせる方が面白いという話題になった。蛙や蛇を捕まえに行くのは骨が折れるが、饅頭ならちょっと金を出せば手に入るからな」
「はあ…そうッスね」
「男が寝息を立てているうちにそっと街へ行って、ありったけの金で饅頭を買ってきた俺達は物陰から居眠りに耽っている男目がけて饅頭を投げた。田舎饅頭、酒饅頭、時雨饅頭に栗饅頭、果ては中華饅頭までな。勿論、男は目を覚まして悲鳴を上げた」
可哀想に、と柄にも無くリョーマはその饅頭が怖いという希有な男に同情した。
数人掛かりで一人の男を虐めるだなんてちょっと卑劣じゃないだろうかと。その男が逆境など小指一本で吹っ飛ばせるだけの剛胆さがあれば良いけれど、先程の手塚が話した内容を聞く限り、どれ程縮み上がって肝を冷やしたことだろうか。
「部長、弱いものいじめはしちゃダメじゃない?」
「だが、その男が上げ続けた悲鳴が終わった後に俺達が物陰から姿を現したらせば、その男は口の端に餡を付け乍らこう言うんだ『そろそろ、濃い茶が怖い』とな」
「ふうん」
奇妙な怖いものが多い人間も居るんだなあ、程度に小さくリョーマは相槌を返したのだけれど、手塚はそこから口を開こうとはしなくて、思わずリョーマはことりと首を傾げてしまった。
「…えー、と?」
「なんだ?」
「それで終わり?」
「ああ、終わりだ」
「そ、そう…」
一体何だったんだろうか、と首を戻せば、それ以上特に話す気は無いらしい手塚との間に何とも表現し難い間の悪さが漂った。
堪らず、今度はリョーマが口を開く。
「オレがハンバーガーショップのレジに並んでたらさ、同い年くらいの奴が隣のレジに並んで『ハンバーガーを48個くれ』って言い出したことがあってさ。48個だよ?しかも一人で。店員の人もびっくりした顔でさ、『48個?あなた一人で食べるの?』って聞くの。そうしたら、そいつ何て言ったと思う?」
ゆっくりとした動作で視線を斜め上に上げた先には特にこれといった表情も無い手塚がこちらを見下ろしていた。
「外に友達が3人待ってるから大丈夫、って言うんだよ」
その結末に笑い声を立てたのが自分だけだと知って、リョーマはまた重い空気を背負ってしまった。
ただちょっと笑ってくれればいいと思っただけなのに、海溝は意外な程深かった。
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