眠たい西陽
部活後、どうしてもまだ体力の基礎が出来上がっていない新入生達はふらふらになる。
一日、学業に頭を使って、放課後にはテニスで体力を使って。
最小学年としての義務である、コートの片付けをして部室へと向かう彼等の足下は如何せん頼りない。
皆、颯々と帰りたくて仕様がない。
そんな1年生の小さな群れにリョーマも混ざっていた。
他がふらふらと覚束無い足並みの中、またリョーマもふらりふらりと体を無理矢理引き摺る様に部室へと向かわせる。
「疲れたねー」
「基礎でこれなんだから、この先大丈夫かなあ」
コートから部室へと向かう道程で不安気にカチローとカツオが漏らせば、隣を気丈なフリをして歩く堀尾が、情けねえなあ、と返す。
自分一人は疲れていない、という風に見せても、実は彼も非道く疲弊している。
「リョーマ君もさすがにくたくただね」
友人達の雑談に混ざることもせず、気怠気な様子ながらも目的地だけを見据えて足を進めるリョーマにカチローがそう告げる。
問われた本人の代わりに、堀尾が誇らし気に口を挟む。
「やっぱ天下の青学の練習量は並じゃねえんだよな!」
「……」
キンキン、と夕暮れの空に堀尾の声が響くも、リョーマは黙して進む。
その顔はどこか苛立っている様に顰められていて、顔を覗き込んだカチローが、一体どうしたんだろうかと訝しむ程。
確かに、既にレギュラー入りしているリョーマの練習量はただの部員である自分達よりも多くてヘビーなものだ。
けれど、練習中はそんな過酷なトレーニングすらもとても楽しそうにこなしていた。練習が終わって、片付けも終盤になった頃から段々とこんな風に険しい目付きになってきていた気がする。
「リョーマ君、大丈夫?ひょっとしてすごい疲れてるんじゃないの?」
毎日毎日、彼自身がそう思っていなくても厳しい練習なのだ。特にこの部を背負って立つレギュラーには一年である自分では最初の十分程度で参ってしまうような練習が。
それの物理的証拠の様に、リョーマのユニフォームを濡らす汗とカチローやカツオ、そして堀尾の衣服を濡らす汗の量は見目にも明らかに違う。
手でも貸そうか、と思うカチローに、リョーマはひとつだけ冠りを振って、
「…ねむい」
とだけ億劫そうに告げた。
外界の茜が小さい窓から侵入して来て、そう広くはない部室も仄かに橙に浸されていた。
「あれだよね、西陽って浴びてるだけでちょっと疲れた気分になるよね」
自分の荷物を通学鞄に詰める手をふと止めて、不二が言う。
隣で同じ様にして帰り支度をしていた河村が急に投げかけられた言葉に顔を上げれば、あちらにご注目、とばかりに不二が室内のある一点を指差していた。
不二の指を辿って、河村の視線もそちらへと向かう。
夕焼けが忍び込む部室の一角。
既に部活終わりの名物とも云える、机に広げた部誌を綴る手塚の姿。
その背には、立ったままのリョーマが晴天の下干された布団宜しく、だらりと貼付いていた。
思わず、河村の口から小さい笑いが突いて出る。
完全に弛緩して背後から手塚へとのしかかる後輩。練習中は研ぎたての刃物の如く鋭く鮮やかに立ち回るその姿とのギャップ。
そして、のしかかられながらも、あたかもリョーマ付きのその姿が自然だとばかりに、平素通りに机に向かう手塚という組み合わせがとても微笑ましかった。
「越前も疲れてるんだね」
「ただ疲れてるよりも、電池がきれた、みたいな感じだね」
「うん、『くったり』してる」
くすくすくすくす、と河村と不二は微笑い合う。
笑い声が気になったのか、手塚がそちらを一瞥した。丁度微笑ましい光景を眺めていた不二と河村と視線がかち合ってしまった。
「ねえ、手塚。重くないの?」
「なにがだ?」
「その背中のオニモツ」
いつもの微笑みに迫り上がってくる可笑しさを付け加えた笑顔で不二がそう問えば、淡々とした顔で手塚は「別に」と答える。
本当に何でも無い様に。
「そんなにしなだれかかられて、君も大変だね」
「いや…?そんなに大変そうに見えるか?」
「日も沈んでないのにいちゃつきやがってこの野郎、っていう風には見えるけどね」
にっこり。
黒。
「ふ、不二…」
苦笑する河村に振り返られた不二の笑顔はもうどこかの天使さながらに真っ白へ。
相変わらず、猫被りが巧い奴だ、と手塚は内心だけで呆れる。正直で気の優しい心根の真っ直ぐな河村に不二は甘い。けれど、不二だけではなく、実は全員河村に対してだけはどこか敬意にも似た思いは持っている。
砂漠に咲いた一輪の花。もしくはオアシス。
河村隆という無垢な人間は、そういう位置づけが自然と成されている。
端的には、無害なのだ。そこが唯一絶対の救い。
「もうすぐ日も沈むだろう」
「遅い早いとかそういう問題じゃないんだよ、手塚?」
「お前達も颯々と帰れよ、と言っているだけだ」
他意は無い。と手塚はまた机へと正面を向ける。
背にへばりつくリョーマの身も手塚の動きに合わせて少しばかり揺れる。
けれど、彼は身を起こしたりはしない。
「…ひょっとして、越前、そこで寝てるの?立ったままで」
確かに体は動かされているのに、不平不満抗議の類どころか、ぴくりと意識的に身を動かしはしないリョーマを目の当たりに、不二が少しばかり驚いた様に手塚に問う。
問われて、手塚はこくりと頷くだけで返事を返した。
頭を預けられた肩口からは、少し前から、すぅ、と小さな寝息が聞こえていた。
あらら、とばかりに河村が少しばかり目を丸めてみせる。
「越前ってば、ホントによく寝るよね。朝練も寝坊で遅刻してくるし、聞く話じゃ授業中もしょっちゅう寝てるっていうし。寝るのが仕事の猫そっくりだよね、本当に」
感慨深そうに不二がそう言う脇を、別の意味で猫によく似た菊丸が駆けて出て行く。
「おさきーっ」
「バイバイ、英二」
「不二もタカさんも手塚もおちびもさっさと帰れよーっ」
きゃーとかわーとか、一人で叫んで猫宜しい素早さでもって菊丸はドアの外へと消えた。その後を大石がゆっくりと出て行く。
大石にも、軽く手を挙げて別れの挨拶をしてみせて、不二はまた手塚に向き直る。
何をそんなに書いているのだろうかと思う程に、手塚はまだ紙面へとペンを滑らせていた。
夢の世界へと旅立ったリョーマを背負ったまま。
その光景に、うーん、と不二はひとつ唸ってみせる。
「ひょっとして夜型なのかな?越前は」
「それこそ、本当に猫みたいだね。大きい目もそっくりだし」
可笑し気に河村は微笑む。
ラケットを持たない時の彼は本当に控えめで柔和だ。
時として白かったり黒かったりする笑顔の隣人と、そういう二面性という共通点から云えばひょっとすると気が合うのかもしれない。
「あ」
そんな笑顔の等輩が不意に笑顔を収めて、短く声を発する。その顔は何かを閃いた様子。
「ああ、そうか、なるほど、夜型ね。それで越前は寝てばっかりなんだね」
「うん?」
不二の言葉の真意を掴み兼ねて、河村は不思議そうに首を傾げる。
夜型だから、いつも寝てばかり。まあ、道理は通っているように聞こえる。
けれど、普段寝てばかりだから生活が夜型になる、という法則もあったのに、敢えて不二は前者の表現を選んだ。
夜型、が大前提にあって、その結果として普段寝てばかりなのだ、という結論。
ふふ、といつもの何か魂胆がありそうな、意地が悪いようにも見える笑顔を不二は浮かべた。手塚めがけて。
すぐ傍から刺さるような気配を感じつつも、なるべく気に掛けないようにして手塚は部誌を書ききった。
一仕事終えた、と顔を上げる手塚のそのタイミングを見計らって、不二は立ち上がる。
「胸焼けするぐらい愛されてるね、君は」
「は?」
「タカさん、帰ろうか」
「え?あ、うん」
慌てた様子で河村は腰を上げる。
不二と河村が出て行く様を、手塚はぼんやりと見送った。
そんな手塚の背の上で、むう、とリョーマは小さく寝言を漏らした。
眠たい西陽。
不二きゅんの真意は行間を判じてやってください。直球に述べられないのがわたしです…(もじもじ
こういうオチ、前にも書いた気がするんですけどねえ…。歴史は繰り返す!(歴史違います
othersへ戻る