鍵
鍵、を。
鍵を、開けてください。
貴方に掛かっている鍵を、開けてください。
そして、俺だけを、迎えてください。
春の色が強く在りながらも、風はどこか次の季節の匂いを運んできている。
そんな日の
18:00丁度。
青学のテニスコートに今日も手塚が部活の終了を声高らかに告げる。
それを受けて今日の練習を終えたコートに散らばっている部員達が部室へと駆けて行く。
しかし、コート整備の当番に当たっている一年生の何人かはそんな部室へと向かう部員を羨ましそうな目で送った後、取りに行った整備道具を片手にコートへと戻って行った。
そんな青学男テニ模様を尻目に、リョーマはいつも壁打ちをしている校舎裏に足を向けた。
(どうせ、当番じゃなくたって、あの人待って最後迄居残るんだから、時間は有効に使わないとね)
軽くボールを弾ませて、スイートスポットで打つと壁からは自分が打った速度とそれ程変わりなく返球されてくる。
一点に集中し乍ら確実に壁へ返球を繰り返す。
壁打ちは、考え事をするのに向いている。
とリョーマは思う。
いや、リョーマは考え事などこれまでまるでしてこなかった。
だから、壁は壁でしかなかったが、ココに入学して以来、壁はどこか聞き役染みて来ている。
壁に聞いてもらうのは、常に自分の恋の悩みについてだ。
もっと具体的に言えば、涼気を帯びた美人、手塚国光のことだ。
彼と付き合いだしてから、リョーマが壁打ちをする機会は増えている。
こんなに自分が考える人間だとは思っていなかった。
もっと、何処か本能的な人間だと思っていた。
テニスに関しても、勝負事に関しても、そして、恋愛に関しても。
これまでに、本能的に求めた恋愛などしたことがない。
それはリョーマの齢が12ということも関係していたかもしれないが、それ以上に巡り合った相手がそれに充分でなかったことなどが大きい。
自分は、常に求められる立場だった。
あの娘も、彼奴も、何奴も。
求められるから、施しと言わんばかりに与えて来た。
それが、リョーマにとって自然だった。
しかし、現状を見れば、自分は求める立場に摺り変わっていた。
あの人から愛されたいと、手塚から愛情という恵みを受けたがっていた。
つくづく、自分らしくない、と思う。
自分は、もっと理性に縛られない人間の筈だ。
そう言い聞かせてみても、力で手塚を伏せさせるのは納得がいかなかった。
なあ、俺は、こんなオカタイ動物じゃないよな?
壁に心中で問いかけてみるが、壁は何も答えはしない。
そんな寡黙な彼から帰ってきたボールをラケットで掬う様に往なせて、その動きのまま、ボールを上空に放る。
重力に従って落ちて来たボールを片手で受け取ると、リョーマは壁に踵を向けて、部室へ向かう。
「さーんきゅ」
完全に日本の発音のソレで、無事にボールを返してくれた空を見上げる。
自分の想いも手塚に向けて放ったら、こうして素直に返してくれればいいのに、と心の何処かで思いながら。
部室へ向かう途中で、帰り支度を整えたレギュラー陣とすれ違う。
「おチビ、おっつ〜!」
「おつかれっした」
菊丸英二。
「越前、未だ着替えてなかったのか。帰るの遅くならないようにな」
「ッス。おつかれっす」
大石秀一郎。
「越前、お先に」
「居残り練習かい?程々にね」
「ッス」
不二周助
河村隆
「お、越前、帰りにバーガー喰ってかねえか?」
「スンマセン、先約あるんで、また今度」
桃城武
「……」
「かいどー先輩、お疲れッス」
海堂薫。
そのすぐ後に
「やあ、越前。手塚が部室で待ち詫びてるよ」
「っした」
乾貞治。
最後に交わした乾の言葉を真に受ける気はないが、手塚と聞いて足が知らぬ間に速度を少し上げる。
「部長っ!部誌、どこまで書いた?」
勢い良く部室の扉を開け放つリョーマに肩ごしで一瞥を寄越し、そのまま上半身だけリョーマに振り返る
手には行儀良く持たれたシャーペン。
そして、手塚の前にはその手に依って記された整然とした文字とは対称的な部誌が弛緩するように開かれていた。
「もう少しで書き上がる。そろそろ着替えてろ」
手塚に聞こえない様に口の中で小さく返事をしてリョーマは自分のロッカーへと向かう。
いつもこの時間には二人っきりだからか、夕方終わりのこの時間だけこの部室は広くなっている様な気がする。
練習開始前はあんなに人でごった返しているというのに。
「返事は大きな声で返しましょう。エレメンタリースクールで習わなかったか?」
「No,no,no. Manager Teduka. ELEMENTARY SCHOOL. Please after me.」
「だから、エレメンタリースクールだろうが」
「発音が違うっていうの。elementary school だよ」
手塚に背を向け乍ら上と下と着脱を繰り返しつつ、楽しそうにリョーマが何度も英語で小学校、小学校と繰り返した。
「elementary school?」
「Yes! It is great pronunciation!」
「褒められてるのか?」
英語で喋るだけでなく、欧米人特有の全身を使った熱烈なアクションまで入れて話すリョーマに手塚がクスクスと笑う。
「That's right! って、オレも何だか疲れてきた。日本語で話してもいい?」
「誰も英語で喋れなんて言ってないぞ」
先程の笑いの余韻か、手塚の目元が綻んでいる。
そんな手塚と向き合う席に早くも着替え終わったリョーマが腰掛ける。
座ってから机に身を預けるとリョーマも手塚から微笑みが感染したのかの如くにっこりと笑った。
「部長、好きだよ」
「……何だ唐突に。最近、開口一番はそれだな、お前は」
手塚が左眉を寄せて眉間に皺を造る。
呆れ乍らも、部誌を記すその手は休まらない。
「いいじゃないっすか、減るもんじゃなし」
「慣行にするような物じゃない」
「カンコウ?」
「慣れって事だ」
「部長も日本語喋ってよ」
「充分立派な日本語使いだと思うぞ、俺は」
「変な自慢は止めてください」
「善処しましょう」
「ゼンショ?」
「努力しますってことだ」
いつも、こんな感じの他愛も無い会話をしている。取り留めの無い言葉の応酬でも、リョーマにとっては重要な時間だ。
部活中は『部長』の声しか聞けない。
自分とはクラスも学年も違うから普段それ以外の言葉は聞けない。
『手塚国光』の声は貴重だ。
「ねえ、部長、もっと話してよ」
だから、こんな些細な我侭は許して欲しいと思う。
「越前さん、俺は今何してるでしょうか?」
「部誌を書いてます」
「ご明察」
「じゃあ、右手繋いでてもいい?」
「構わんぞ」
この人の指は堅い。
もうそろそろ男として一人前の体つきに成ろうとしているのだと判る。
そして、この人は錠前すら堅いとも思う。
この手を繋ぐ意味を手塚は本当に理解してくれているのだろうか?
リョーマは先日、手塚から貰った『好きだ』という言葉を疑いはしないが、時々心配になる。
(ねえ、アンタは俺が好きだと言ったから好きになったの…?)
目の前の手塚は部誌を書き終えて、次の練習用のメニューを別紙に黙々と書いていた。
明日は祝日で休みだから、明後日の内容ということになる。
リョーマは一人、手塚の手と自分のそれを握り合わせたり、小指と小指を掛け合わせたりして彼の手を玩んだ。
どう触れれば鍵は開くのだろうかと確かめるように。
「終わったぞ」
「ねえ、部長」
手塚は椅子から立ち上がったがリョーマはまだ机に突っ伏したまま手塚の手で玩んでいる。
「どうした」
「キス、したい」
机に完全密着しながら、視線だけで手塚の目をいつもよりも下方から見上げる。
完全に手塚の顎の裏まで覗き見えて、顎から続く喉元へのラインは白過ぎる肌色で、噛み付きたい衝動が突き上げてくる。
「まだ、早い」
「何が?」
リョーマの問いには視線ですら返さず、玩ばれていた自分の手をそっと解いて、手塚が荷物に手をかける。
無視されたようで、腹が立って、リョーマは勢い良く立ち上がった。
その反動で所詮パイプ椅子のそれはバランスを失い、派出な音を立てて床に昏倒した。
「何がって聞いたんだけど」
「………」
「ねえ、何でこんな時だけ黙るの?さっきはあんなによく喋ったのに」
「早いと言ったら、早い」
「だから、何が…っ!」
激昂するリョーマを尻目に、手塚は涼し気な顔で扉へと向かう。
何だかそんな手塚に対して口惜しさが自分の奥から奥から沸き上がってきて、下唇を噛み締めて俯いた。
「越前、帰るぞ」
手塚がリョーマに対して掌を差し出してくる。
口惜しくても、憎くても、手塚のことは大好きで、そんな自分がどうしようもなくなって、リョーマは俯いたそのまま手塚の手を取った。
その日はいつも喋る筈のリョーマが一言も喋らなくて、部室から正門までの帰り道は随分と重い空気だった。
しかし、そう思っているのはリョーマだけなのか、手塚は相も変わらぬ無表情でリョーマの隣を歩く。
結局、手塚が帰宅用に乗り込むバスが来るいつものバス停まで二人は終始無言だった。
バスが来るまで手を繋いでいたが、ドアが開くと同時に手塚が手を離して来て、それじゃあな、とだけ残して鉄の塊の中に消えて行った。
手塚が去って、一人になったリョーマは幾許かそのまま立ち呆けて居た。
鍵は開かない。
あの人の鍵は解けない。
あの人は俺を受け入れてはくれない?
いや、俺は逆境は武器にする生き物だ。
開けさせてみる。
もしも鍵をあの人が持っていないのなら、その錠前ごと蹴り倒してやるまで。
鍵。
うーん、お題に添えているかしら、あわわわわ。
なにがどうで鍵なんだ、私。
まあ、あの、そこは色々文間を深読みしてくださいませ。
しかし、敬語と英語モエがまだ治りません。
よくないですか?敬語と英語。
まあ、それはおいておいて。
ええと、ファーストキス編ということで、もちっと続きます。