熱、視線
















紅色の提灯が風に弄ばれるかの様にふわりと揺れた。
それに誘われる様に朱色の鳥居に一人、また一人と飲み込まれていった。





「珍しく遅れたのは、浴衣のせい?」
「ああ、出かけの間際に母に祭に行くと言ったら取り出してきてな。去年よりも身長が伸びていたせいで少し直してもらったんだ」
「そんな直しいれるぐらいに背、伸びたの?」

何が気に入らないのか、むっとリョーマは頬を膨らませた。
それを見下ろす手塚は彼が何に対して機嫌を損ねているかが安易に想像がついて、小さく笑みを零した。

「お前も来年には手直ししないと着られないぐらいには伸びてるさ」
「モチロン。それぐらいには伸びてやるもんね」

ニッとリョーマは白い歯を覗かせて笑った。ころころと変わるそんな彼の機嫌に手塚は苦笑した。

人の波が行き交う中をそれに従う様にして二人は歩く。
地元の祭で大して規模は大きくない。鳥居から境内迄に立ち並ぶ露店も両手で優に数えられる程度しか出ていない。
しかし、規模に則って自然と場所も大きい場所でもないので、自然と人口密度が高くなる。

こっそりとお互いの内側にある手をリョーマは繋いだ。
それを手塚が咎める様な視線で見てくるけれど、リョーマはいいじゃない、とにこやかに笑う。

「これだけが人が多いんだから、手繋いでるのなんてばれないって」

だから、ちょっとだけ。いいでしょ?
きゅ、と手を握るリョーマの力が強まるものだから、真後ろの人間には見えてると思うんだが…という台詞はこの際飲み込んでやることにした。
リョーマがとても楽しそうだったから、まあ、いいか、と思ってしまった。

その手塚がもう咎めようとしない事が更にリョーマの上機嫌さに拍車をかけ、リョーマは軽やかに歩を進めた。
不意に手塚の注意はリョーマの裾に向かった。

「越前、浴衣の時にいつもの様に歩くな。褄の部分から足が出る」

みっともないぞ、と言って手塚はリョーマが纏う浴衣の丁度脛の辺りで歩く度に翻ろうとする褄を引っ張った。

「っ!アンタ、どこ触ってんの」

やや前屈みになってリョーマの浴衣の足下を合わせる手塚に、リョーマは途端に顔を赤く染めた。
自分の足下に触れてきた手にも驚いたが、それ以上にリョーマの目元を染める要因になったのは、屈んだせいで覗く手塚の項とそこから続く微かばかりに見える背。

「だから、いつもより少し歩幅を小さくして歩けというんだ」
「わ、わ、わかったから、手、放して。それでもって体真っ直ぐにして」
「?  顔が赤いぞ?大丈夫か?」

繋いでいない方の手をリョーマの額に当てる。
先刻身を屈ませた際に緩んだのか、鎖骨が覗くぐらいに胸元が開いていて、しかも外側の手を内に回す態勢なものだからその隙間が弛む様に更に開いてリョーマの顔の赤みは更に増す。

「おい、熱いぞ?夏風邪か…って、おい、越前!?」

悩殺、という単語がぴったりだ、と感じてリョーマはへなへなとその場に蹲ると手塚から慌てた声があがった。
後ろに続いていた通行人が往来で蹲るリョーマを迷惑そうな顔をして二人の脇を通っていく。

しかし、蹲ったら蹲ったで、丁度目の前にひらひらと揺れる手塚の浴衣の裾はあるわ、細い足首はあるわで、堪えきれずにリョーマは片手で顔を覆った。

「ジーザス…。オレ、もう、ちょっと死んでもいいかも…」
「死にそう!?どうしてそんなに夏風邪が酷いのに外に来たんだ!」

頭の先から煙が上りそうな程に顔全体を赤くするリョーマに手塚はものの見事に勘違いを起こして、リョーマの手を繋ぎながらその場で焦燥した。

「と、取り敢えず、ここじゃ道行く人の邪魔になる。どこか休めるところまで行くぞ。歩けるか?」
「う、うん…頑張る」

力の入らない足を何とか奮い立たせてリョーマは立ち上がる。
心配そうな表情を顔いっぱいに湛えて手塚が覗き込んでくるが、ちらちらと覗く手塚の胸元を凝視してしまいそうで結局リョーマは顔を覆った手を外せないまま、境内まで進んだ。



境内まで来ると、少し開けていた。
手塚は丁度空いていた祭用に設えられたベンチにリョーマの手を引いて腰を下ろした。
漸く落ち着ける場所まで辿り着いて、リョーマは項垂れて腹の底からの安堵の溜め息を吐き出した。

「大丈夫か?手にまで汗かいてるぞ、お前」
「だ、大丈夫大丈夫」

項垂れるリョーマの顔を覗き込もうと身を折ってくる手塚をやはりきちんと見据えられなくて、リョーマは項垂れたまま、片手をひらひらと振った。
手塚が屈むとその胸元がちらついて浴衣から見えそうなのだ。
その見えるか見えないか、というのが潔く見えているのとはまた違って非道く卑らしい。
手塚の胸などもう何度もベッドの上で見慣れているというのに。

「少し休んだら帰るか?」

リョーマの顔の赤みは引かない上に項垂れたまま身を起こそうとする気配もなかったものだから、堪らず手塚はそう声をかけた。

「や、大丈夫だって。ちっとも祭楽しんでないじゃん。ちゃんと遊んでいこうよ」

折角、祭という名目で手塚をデートに誘えたのだ。
まだ此所へ来て半時間も経っていない。
このまま帰るには剰りに勿体なかった。

「…とりあえず、あの、部長…」
「どうした?ああ、喉が渇いたか?そうだな、風邪の時はきちんと水分を摂らないとな…」

ちょっと待ってろ、と席を立って飲み物を売ってそうな露店へ行こうとした手塚の袂をリョーマは慌てて掴んだ。

「そうじゃなくて…あのね、浴衣の前、直してくれるかな?そのお陰でオレ、今こうなってるんだけど」
「前?」

リョーマに指摘されて、手塚は視線を自分の胸元へ落とす。
そこにはぱっくりと開かれて肌が覗いていた。

「…。夏風邪ではなくて?」
「そ。部長が屈んで来るからさっきからそれがチラチラしてしょうがないんだもん」
「お前は…ど、どこを見てるんだ…っ!早く言え!」

紅潮がリョーマから感染したかの様に手塚の顔もみるみるうちに朱に染まった。
慌てた様にすっかり肌蹴た浴衣の前を正した。
必要以上にきっちりと正された浴衣の前を見上げながら、リョーマは命拾いしたような、けれど少しばかり残念な心持ちに襲われた。

「や、やっぱ少しくらいは開いてても…」
「何か言ったか?」
「よくないデス。はい」

まったくお前は…。
リョーマの熱の原因が判って安心したのか、ベンチに腰を下ろした手塚が今度は項垂れた。
けれど、原因が原因だけにどこか刺々しい雰囲気でもある。

頬杖をついてまでぶつくさと愚痴を垂れる手塚を横目に、リョーマはくすりと笑った。

隣の彼は少し怒っている様でもあるのだけれど、やはりこの人と一緒に居るのは楽しい。
しかも場所は自分が人が多い乍らも楽しい、と感じられた場所で。

自分達がやってきた鳥居の方へとリョーマは視線を移す。
鳥居から境内までの道沿いに揺れる提灯が先刻よりも遠目に見える。
紅い光がぼんやりと薄闇に幾つも浮かぶ様はやはり幻想的で綺麗だった。

しかし、自分達の周りの風景に視線を溶かしていたリョーマはある事に気が付いた。

境内にも幾つもの提灯が備えられている様に、境内中から何かを感じる。


視線。


しかも、幾つも。
こちらを見ている人物が気付けば矢鱈に多い。

後ろに何かあっただろうか、とリョーマは振り返るが、そこには神社の砂利が続く先に社務所がある以外に他は何もない。
何だろうか、と訝しんで視線をまた正面に向けて、はた、と気が付いた。

視線は自分達の背後に向かっているのではない。
丁度、自分の隣。

リョーマはそれに視線を移した。
勿論、リョーマの隣には手塚しかいない。
まだ彼は頬杖をついて何やらリョーマに対して文句を垂れている。

そうだ。リョーマだとて手塚が待ち合わせに現れた瞬間に息を飲んだ。
その艶やかな姿に。

闇夜に浮かぶ手塚。
白い浴衣、という事もあったのかもしれない。
隣に居ながらも彼が際立っている事は明瞭だ。

しかも、こちらに視線を投げかけて来る人々はそれを遠目に見ているのだ。
尚更、手塚が深淵の夜空に浮かぶ月の如くに見えているに違いない。

ムカムカと何かがリョーマの腹から込み上げてくる。
ぐい、と手塚の肩を強引にこちらに寄せた。

その動作は剰りに手塚には唐突で、バランスを崩す様にリョーマの胸に撓垂れかかった。

「越前?」

引き寄せられた反動でずれたらしい眼鏡を整しながら、不思議そうに手塚がリョーマを見上げる。
もうその襟元から鎖骨が覗いても怯んでなどいられなかった。

手塚に向けて投げられる、そして手塚に纏わりつく周囲の視線を牽制するべく、リョーマは視線に力を込めて正面を見据えた。

そのリョーマの眸に射抜かれて、こちらに向かってきていた視線が減る。
それでも幾つかはまだ残っているものだから、リョーマは手塚の肩に添えた手を両手に増やした。

「こら、人前はやめろと前に…」
「いいから。ちょっと黙ってて」

リョーマの腕を解こうと胸の中で藻掻く手塚を言葉で往なしてリョーマは尚も噛みかからんばかりの視線で周囲を見た。


アイツら、この人女だとても思ってんの?
っていうか、この人はオレのもんだってば!!


「…にゃろう」

攻撃的なそのリョーマの視線を暫く手塚はぼんやりと見上げて、やはり意図が判らないのかリョーマの腕の中で緩く小首を傾げた。

「越前?どうしたんだ?」

リョーマの視線の先を追う様に手塚も周囲に目を遣る。
幾つかの舐める様な視線がこちらへ向かってきている事に流石に事態を目の当たりにして手塚といえども気が付いた。

けれど、手塚が気が付いたのはリョーマが感じ取ったものとはまた別の視線。
手塚の胃がむかついた。

「おい、越前…」
「アンタも気が付いた?」
「ああ…憎たらしいな」
「アンタもやっぱりそう思う?」
「ああ。人のものだと判ってるのか、アイツらは…」

リョーマの攻撃的な視線に加え、手塚も周囲を睨んだ。

そんな手塚を胸に抱えながら、リョーマはほんの少しの感動に襲われていた。


まさかこの人が自分から『オレのもの』だと認めてくれる発言をしてくれるなんて。


けれど、お互い感じていた視線の矛先は違うものということは。

「越前、やはり帰ろう。こんな視線の中にお前を置いておけない」

リョーマの胸から手塚が身を起こす。
手塚のその発言に気を取られたリョーマの腕は抵抗もなくするりと解けた。

正面から凝っと見据える手塚の言葉を何回かリョーマは頭の中で反復して、怖ず怖ずと自分の顔を指した。

「へ?オレ?」

ぽかんとするリョーマに困った様に、けれどまだ憤りの片鱗を滲ませて手塚が片眉を上げた。

「なんだ、気が付いていたんじゃないのか?お前を見てるだろう、周りが」
「は?」

その手塚の発言はリョーマに取っては寝耳に水に等しい。

「だから、お前を舐める様に見る視線の中に置いておけない、と言っている。アイツら越前が誰のものだと思ってるんだ」

尚も眦をきりりと怒りの形で上げて、手塚は境内を見渡した。
それにリョーマは矢張り戸惑った。

「え、ちょっと待って。周りはアンタを見てるんだって」
「は?」

ぽかんと口を開くのは今度は手塚の番だ。

「アンタがあんまりにも色っぽいカッコしてるから…」
「周りが見てるのはお前だろうに」
「違うって、部長を見てるんだって」


両者の見解は正しい。けれど、一つ間違えていた。
リョーマは手塚が艶やかで目立つ、と言うが、リョーマだとて貌にかけては本人に自覚は無いとしてもかなりのレベルではある。
美男美女――基、美男二人がこの場に居れば相当目立つ。

しかも一方は宵に溶け込む様な深い乍らも上品な藍の浴衣。
もう一方は逆に宵から浮き立つような眩い白の浴衣。
加えて、二人揃っての美貌だ。目立たない訳がなかった。

つまりは、視線はどちらか一方にではなく、両者に注がれていたのだった。

それをお互いが、相手に注がれている視線だと勘違いしていたに過ぎなかった。


その事に二人が気付く様子は無かった。





















熱、視線。
13000ヒットゲッタの桐沢こだちさんよりリク頂きました。
100題の
034:夏祭りの続き、ということで、悩殺みつことやきもちえちをリクで頂きました。
最後はラブでvとも頂いたんですが、た、ただのバカっぷるの有り様に…あわわ。

13000hitありがとうございましたv
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