カルピス
















「ん?なにこれ」

捜し物を求めてクローゼットを漁っているリョーマの頭上から何か軽いものが落ちてくる。
かしゃん、と小さい音を立てて床まで墜落した透明のプラスチックケースを拾い上げる。中には、今ではもう随分と見なくなったカセットテープ。

「こんなの持ってた覚えは無いし…。…ってことは、あの人の?」

同居人の顔が思い浮かんで消えた。
この家にはリョーマとそのもう一人しかいないのだから、自分の物でなければ必然的にその人のものだろう。

テープ本体には何もラベルが貼られていないせいで、中に何が録音されているのかは知れない。
自分の捜し物はそこそこに、それを片手にリョーマはリビングへと駆けた。



長い足を組むこともせず、どっしりと腰掛けて読書に没頭する同居人の姿が扉を潜るとすぐに見えてくる。

「ミツ」

名を呼べば、本を読む手を止めて鷹揚にこちらを振り向いた。そんな彼の元へ跳ねる様に駆けていって、先刻拾ったプラスチックケースを眼前に晒した。
相手は不思議そうに小首を傾げた。

「なんだ?それは」
「アンタのじゃないの?クローゼットの上の棚から降ってきたんだけど」
「…クローゼットの上?」

リョーマの言葉を反復する手塚の表情は、一瞬にして焦燥に変わった。
そんな手塚の反応に、今度不思議がるのはリョーマの番だ。

「どしたの?変な顔して」
「いや…なんでもない。すっかり忘れていたが、それは俺のものだ。わざわざすまんな」

強引にリョーマの手の内からカセットテープを奪う手塚の仕草にリョーマの中の疑問は膨れ上がる。

「やっぱ、なんか慌ててない?オレに聞かれちゃまずいものでも入ってんの?」
「いや、そういう訳ではないが…」
「じゃあ、中に何が入ってるかオレも知りたいから、聞いていい?」
「…。お前も後悔する羽目になると思うが、構わないか?」

手塚の言葉がどういう意味のものなのか、やっぱり理解しかねて、ちょこんとリョーマは首を傾げる。

「どういう意味?」
「まあ、いい。聞いてくるがいい。そして後悔するがいい」

そう言って、手塚はテープをリョーマに突き返した。
さっぱり理解不能ながらもそれを受け取って、リビングに飾り程度に据えられているオーディオセットにテープを突っ込んだ。
カセットテープが入る様なオーディオセットはディスクが主流の今はきっと新品では出回っていないだろうが、装飾程度で購入したそれは古めかしいもので、ひとつだけカセットの挿入口が付いていた。

ジーという小さなノイズの後、随分前までは聞いていた自分の幼い頃の声が聞こえてきて、反射的にリョーマは停止のボタンを押した。

「っちょ、なに、これ。何が入ってんの?オレ?オレの声?なんでそんなのアンタが持ってんの?」
「もう10年は前になるからな…お前が忘れていても仕様がないが…」
「10年?ええと、オレが中3ぐらいの時?」
「覚えていないか?俺が高2で、英語のテキストの吹き込みを頼んだ事があるんだが…」
「あっ」

瞬時にして、リョーマの記憶が呼び覚まされる。このテープの最後に何を吹き込んだかも。

「なんで未だにそんなの持ってんの!?イジメ!?イジメなの!?」
「そういう訳ではなくてだな…その、捨てられなくてだな…」

若気の至りの断片に遭遇して顔を火照らせるリョーマの前でもごもごと手塚が言い訳めいた事を呟く。
その手塚の頬も淡く色が付いていて、大の男がリビングで揃いも揃って顔を赤くしているという現状は傍から見たら何とも奇妙な光景だっただろうと思う。

「なんで、そこでアンタも赤くなるの…オレまで恥ずかしくなってくるじゃん」
「いや、なんだ、その。俺も若気の至りだったと言うか…」

もごもご。
歯切れの悪い手塚の言い訳は続く。
泳ぐ視線は恥じらっている様にも見えて、二十代の男に対して失礼かもしれないが、ちょっと可愛い。

「…捨てる気はないの?」
「そんな勿体無いことは…いや、そうではなくて…」

もごもごもごもごもご。

「オレの声なんていつでも聞けるじゃん」
「いや、ほら、英語で喋ってただろう…だから、その…」
「英語もいつだって喋ったげるから。今となってはアンタも英語で何言ったって理解できるんだし…」
「…。そういえば、」

泳がせていた視線をぴたりとリョーマに合わせて、遠い日の疑問を手塚は思い起こした。

「この中で、『これ以上の事は数年後』と言っていただろう。これ以上の事ってなんだ」
「え。そんな事言ってた?」
「言っていたぞ。何なら聞くか?今ここで」
「わーーーーーっっっ」

オーディオの再生ボタンに手をかけようとした手塚を慌ててリョーマは押さえた。

「いい、いい、聞かなくても!!」
「お前、覚えていないんだろう?」
「お、思い出したっ!思い出したからっ!聞かなくていいからっっ」

このテープの存在を最初に恥ずかしがっていたのは手塚だというのに、今やそのポジションは明らかに逆転していた。
どこか勝ち誇った顔で手塚は薄笑いを浮かべた。

「では、言ってもらおうか。『これ以上の事』とやらを」
「…うっ」

じり、と手塚がリョーマに詰め寄れば、ほぼ無意識にリョーマは一歩後退する。
じりじりじり。
どうして言葉一つを狙われているだけでこんなに気圧されているのか、ほぼ壁際まで後退したところでリョーマは気付く。

恋人に対して愛を囁くなんて、普段は別に照れることもないのに。

「あのねえ、答えはとても簡単だよ。ってか、もう日々の生活で言ってるからさ、今更言わなくてもいいと思うんだよね」
「もう言ってる?」
「何回かわかんないくらいには言ってるよ。ただ、それをアンタが言語じゃなくて言葉として理解してるかどうかだけが問題なだけだよ」
「小難しいことを言うようになったな、お前も」
「聞き慣れてるだろうとは思うけど、そんなに聞きたいなら聞かせてあげるよ。耳貸して。つか貸せ」

ぐい、と手塚を引っ張って、その耳元に唇を寄せた。

「I love you」




























カルピス。
カルピスは初恋の味っていう宣伝文句で当初売られていたことをご存じですか?
わたしも今さっき知りました。へーえ
初心に返って、という意味も込めまして。

こちら、17871hitを踏んでくださった草薙まことさんからリクを頂きました。
May I help you?の続き、ということで。
ここで出てきたカセットテープはMay I help you?で出てきた越前さんが吹き込んだテープですよー。
アイラビューで終わらせたのは逃げじゃないですヨー。いや、ホントに。ホントだってば。逃げてないですよ。逃げじゃないんだったら。
そこに英語圏の人々がどういう思いを込めて言っているのか、手塚がわかる様になった(設定です)ので越前さんは敢えてこの場でそう言ったんですヨー。
行間を深読みしてください。(深読みせずとも判る文書を書けというオハナシだ)

17871hitありがとうございましたー
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