ハジメマシテ
マーマレードの朝(100のお題:10題目)を踏襲してます。
キンコン、とエコーの無いいつもの呼び鈴が昼前の時刻に鳴って、昼食の支度をしていた手を止め、彩菜は玄関へと足を向けた。
「はーい。どちらさま?」
今の時代に、不用心なのでは無いかと、夕飯時のニュースで報じていたピッキングのニュースを見乍ら義理の父親に言われた時代錯誤めいた引き戸をレールに滑らせて開けば、眼下にちょこんと立つ少年の姿があった。
「あら、いらっしゃい」
快晴の日曜日、燦々と降り注ぐ日の光によく映える白い片鍔の帽子を目深に被った少年の顔はよく見えなかったが、その帽子にははっきりと見覚えがあった。
つい2、3日前、家の前で偶然拾った少年だ。「迷った」とちっともそうは見えない顔で言っていた顔は未だ記憶に新しい。
彩菜の出迎えの声に、少年は前に突き出た帽子の鍔を少し引いて、「ども」と短く答えた。
「これ。うちの親から」
「え?」
不躾な程にフラットな声音で、片手にぶら下げていた紙袋を唐突に差し出され、彩菜は条件反射でそれを受け取った。
なんだろうか、と、中を覗き込むと、デパートの名前の入った包装紙でくるまれた重厚そうな箱が入っていた。彩菜はきょとん、と目を丸める。
「こないだ、帰ってから、ご飯ごちそうになったこと話したら、今日、それ母親が買って来てて」
つまりは、御馳走した朝食のお礼、ということなのだろうけれど、彩菜が目の前の少年に摂らせたのは、至って簡素な和食で、この上等そうな菓子折りでは恐らくお釣りが出る。
どうやら先方に気を遣わせてしまったらしい。
彩菜は申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「…やっぱ、迷惑、ッスよね。突然こんなもん持ってこられても」
困った顔をしている様に、白いキャップの少年には映ってしまったらしい。
呆れた様な溜息――恐らく、それは自分の親に向けて――を吐く彼に、彩菜はふるりと首を横に振った。
「迷惑だなんて、とんでもないわ。1回の朝ご飯でこんないい物頂いてしまうのはなんだか気が引けちゃって」
「そんな大したモンじゃないッスよ」
多分。
少年がそっけなくそう付け加えたのを聞いて、彩菜は小さく吹き出した。
「面白い子ね」
「そう?」
「うちの息子にもそれぐらいのユーモアが欲しかったわ」
「ああ、そういえば居るんだっけ、オレとそう歳の変わんない息子さん。今日は?居るの?」
背伸びをして、彩菜の肩越しに家の中を覗き込む。
苦笑した顔で彩菜は再び首を振った。
「今日は部活が一日中練習あるのよ」
「ふぅん。大変なんだね」
飽く迄、社交辞令程度に、同情のドの字も込めず、風が吹き抜けて行く程度にさらりと言いのけた。
「越前君ももうすぐ中学入学でしょ?部活に入ったら自然とそういうお休みの日になるわ」
「もうすぐ、っていうか、あと3日だけどね」
「あら、ホントにあと少しなのね」
名前はこの間来た時に伝えた。それをちゃんと覚えていてくれていた事が何だか擽ったくて、リョーマは上げていた顎を少し引いた。
子猫の様なくるりと大きな双眸はまた白い影に隠れた。
「それで、今日はどうするの?」
「どう、って?」
「丁度、後少しでお昼ご飯なの。食べて行く?」
「んー…………」
尋ねられ、思考してみるが、
「今日はやめとく。母さんが昼飯作って待っててくれてるし」
「あら、そう?残念ね」
リョーマの答えに、心底残念そうに肩を落とす彩菜に、リョーマは隠れていた双眸をまた帽子の影からひょこりと出して、ニッと口角を上げた。
「また今度食べに来るッス。その時は入学祝いの赤飯でも炊いて待ってて」
彩菜さんの御飯美味しいから楽しみにしてる。
そう言い残し、軽く手を挙げてみせて、リョーマはその場を辞した。
玄関先に紙袋ひとつ持って佇む彩菜も軽く手を振り返した。
少年の姿が見えなくなって、くすりと彩菜は一人微笑った。
「おしゃまさんね」
その数日後、約束通りに彩菜が赤飯を炊いた日に、タイミング良くリョーマは現れていた。
浮き浮きと小豆を研ぐ母親を見遣りながら、オートコートまで軽く打ちに出て行くべく玄関を潜ったその家の一人息子は赤飯の意味を図り兼ねていた。
それからまた数週間後。
「彩菜さん」
スーパーの一角で背後から声をかけてゆっくりと振り返ると、最早見慣れた小さな影が跳ねる様にして近付いて来た。
あれ以来、リョーマは度々にして手塚家の門を潜り、平日には夕飯を、休日に昼餐のご相伴に預かっていた。年齢は実の母子程度に開いているというのに、すっかりお互いが友達感覚染みて来ていた。
「あら、越前君。こんな所で会うなんて、奇遇ね」
「うん、ちょっとね。買い物」
「おつかい?」
リョーマが手にぶら下げているものに視線を移す。てっきり、今晩の夕飯の材料でも言い付かって買いに来ているのかと思えば、透明なスーパーのビニール袋には、真っ赤に熟れた苺のパックが二つ三つ入っていた。
不思議そうに小首を傾げる彩菜に、悪戯がばれた幼子の様に、照れくさそうにリョーマは笑った。
「前から、話してた好きな子、いるでしょ?今日、その家に行くからお土産」
本当にすっかり友達のポジションに主婦の一人を置いていた。
御馳走になりに行く時、時として父親が残業で帰っていなかったり、祖父はどこかご近所へ行ったまま未だ帰ってこないだとかで、リョーマと彩菜で二人で食事をする機会があった。
それ以外にも、何故だか道端で偶然はち合わせることなどもあったりして、リョーマは自分の中だけの秘密、自分がとある人に抱いた恋情を彩菜に打ち明けていた。
彩菜も、勿論、リョーマが得意気に話していた片思いの相手の話は覚えていたし、あら、そうなの、と、とても嬉しそうに相槌を返した。
「うちもね、息子が今日、仲のいい子を連れて来るって言うの。それで、今日は御馳走なのよ」
今はその買い出しなの、と彩菜は付け加えた。
彩菜の息子。
度々、リョーマはその家に足を運んでいるというのに、未だその顔を見たことがなかった。
聞けば、歳は自分より二つ上で、部活が忙しかったり、学校の用事が忙しかったり、時には一人で練習に外に出て行ったりしているなど、とにかく多忙らしい。
顔を見てみたいと、リョーマも思わない訳ではなかったが、何故だかどうして、タイミングが合わなかった。
「へぇ。女の子?」
「いいえ、男の子だって言ってたわ。わたしもちょっと期待してたんだけどね」
年甲斐も無く、と言えば失礼だが、彩菜はいたずらっぽくペロリと舌を出してみせた。
「ま、彩菜さんの息子なら待っててもいつかとびっきりのいい子連れてくるよ」
「あら。顔も見た事もないのに、どうして越前君にそんな事がわかるのかしらー?」
くすくす、と笑って、彩菜は小さくリョーマの額を小突いた。
小突かれたリョーマも楽しそうに顔をくしゃりとさせて、痛いなあ、と呟いた。
「あ、いっけね。もうこんな時間。待ち合わせしてるんだった」
「その子と?」
「うん」
瑞々しく笑う。
男の子でも恋をするとこういう顔をするのね、なんて、彩菜は少しばかり感慨深くなった。
「それじゃ、遅刻する訳には行かないわね」
「ん。オレ、もう行くね」
「今日の感想は明日にでも聞かせて頂戴」
「じゃ、明日は鯛の尾頭付きででも準備して待ってて」
「ふふ。頑張ってね」
それじゃ、とまた来た道をリョーマは駆けて行き、彩菜はすっかり春ねえ、と嬉しそうに見送った。
「えー、と………部長。部長の家って、ホントにココ?」
それから間もなく、待ち合わせ場所で手塚と落ち合い、手塚家へと到着したリョーマは思わず、門前でぴたりと止まった。
そんなリョーマを、手塚は訝し気に振り返る。その手はリョーマが何度となく押した覚えのある呼び鈴にかかろうとしていた。
「どういう意味だ?俺の家がここでは可笑しいか?」
「や、可笑しく無いけど…」
「確かに、少々造りは古めかしいが、そういうものも味だと思え」
見てくれだとかそういうものにケチをつけた訳ではない。
ただ、ここは自分が通い慣れた家で。
手塚が押そうとしているその呼び鈴を鳴らせば、きっと見知ったあの人が出て来るのだ。
キンコン
無情にも、そのチャイムは鳴らされた。
室内から、こちらへと近付いてくる人影が薄らと見える。
どういう顔をしようかと、リョーマが考えあぐねているうちに、その門扉はいつも通りにレールを滑って開いた。
案の定、彩菜の顔が覗いた。
「只今戻りました」
「おかえりなさい国光。この子がそうなの…ね…。あら?越前君」
「さっきぶり。彩菜さん」
もう、いつも通りの顔でいこう。
考え尽くす時間も無いまま考えたリョーマの結論はそれに至った。
「どうしたの?」
「どうしたの、って、オレが部長の連れ」
「あら。そうだったの。じゃ、越前君の待ち合わせの相手っていうのはうちの国光のことだったのね」
驚いたのは最初のみ。
彩菜はすっかりいつものペースでリョーマと会話を交わした。
その情景を目を点にして見ているのは、手塚国光その人。
「あの…母さん」
「なあに?」
「それに、越前」
「ん?どうしたの?部長」
「その…なんというか、知り合い、なのか?二人は」
随分気さくな雰囲気に見えるが。
やたらと読点の多い一文を手塚が漸く告げた後、手塚の隣の人物と目の前の人物は揃って、けろりと、異口同音に肯定した。
「どこで…」
知り合ったのか、と、最後までは告げられなかった。
頭が軽いパニック症状を引き起こしていた。
手塚とリョーマの家は離れているし、手塚がリョーマを家に連れてきたのは今日が最初の筈だ。
手塚の人並み以上に芳しい記憶力はそう記憶している。
「どこ…って、ココで」
「い、いつから…」
「多分、国光が越前君と出会うよりも早い時期よ」
「そだね、オレがアメリカから帰ってきて1日目だもんね。最初に会った日本人が彩菜さん」
「どういう…関係なんだ…」
どうって――………。
うーん、と二人はまた揃って考える仕草を見せて、にっこりと微笑み合って、
「親友」
と、口を開いた。
何が何だか訳など判りようの無い手塚の後ろには、リョーマと彩菜が出会った時刻とは180度遅い、オレンジの皮の色の空が広がっていた。
ハジメマシテ。
8383hitありがとうございました。
琴子さんよりリクを頂戴しました。
100題の10題目、マーマレードの朝の設定で。越前と彩菜さん仲良し捏造ネタを。
書いてて…すごく、すごく楽しかったです。もっと詳細に書きたいぐらいです。
素敵なリクをどうもありがとうございました!
そして、勿論、8383hitありがとうございましたー!
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