Only change happens.
ゲームの後半から、手塚の予想通りに勢いに乗ってカウントをひっくり返し、意気揚々とこちらへやってきたリョーマを乾は手招いた。
乾に手招かれて、というよりは、手塚が乾の隣に居るから、と、リョーマは安直にその二人組へと近寄った。
そこでリョーマにも知らされる、翼の正体。
「砂糖…?」
「そうだよ」
「乾先輩、頭、大丈夫ッスか」
タオルを頭からほっ被り乍ら、至って真面目な顔でリョーマはそう尋ね上げてくる。
失敬な、と乾は眉を顰めた。
「一見、ふさふさして見えるが、それの正体は間違いなく砂糖なんだよ。シュガーだよ、越前」
「そうは言われても……砂糖の塊に、神経って通るもんなんスか。つか、なんで砂糖の塊が突然背中から生えてくるんスか」
昨日から背負っているけれど、甘い匂いは微塵もしないし、暑さで溶けてベタベタすることもない。
それを一括して、何故かとリョーマは乾に矢継ぎ早に質問を浴びせるが、当の乾からの返答は、
「そんな事まで解らないよ。一晩かけて解ったのは砂糖だったという事実だけさ」
「はあ、そうッスか……………」
チ、と耳を澄まさずとも聞こえる大きな音でリョーマは舌打ちをしてみせる。顔を顰め、乾を太々しく睨み上げながら。
ぴくりと、流石に乾も顔を引き攣らせた。ちょっとは、この後輩は年上を敬う気持ちを持った方がいい、と、普段はリョーマの自由奔放さを褒める胸で思ったり。
「えーっ!?これお砂糖なのっ!?乾っ」
いつの間にやら、すぐ傍までやってきていた菊丸が声を上げる。
リョーマも乾も、手塚さえも、揃ってそちらを向けば、好奇心が満ち溢れた目で繁々とリョーマの翼を眺めたり、恐る恐る触れてみたりする菊丸がそこに居た。
次第には、不躾な程にべたべたと触り出す菊丸に、リョーマは口をへの字に曲げた。
「英二先輩、あんま触んないでください…一応、感覚あるんで、こそばゆい上に気持ち悪いんで」
「なんだよー。つれないのー」
苦言を呈するリョーマに、菊丸は頬を膨らませながら未だ突く様にして構うのを繰り返すが、ふと、リョーマの背を覗き込んで首を傾げた。
「ねー、乾ー。これ、砂糖って言ったよね?」
「ん?ああ、正体の解らん不純物も少々混じってはいるが、主成分は砂糖だ」
「んー……ここさあ、汚れてるみたいなんだけど、お砂糖なら洗うとまずいよねえ?」
ここ、と菊丸が指差した一点を、両脇から乾と手塚が揃って覗き込む。リョーマも見たい一心ではあるらしいが、箇所は自分の背中。どれだけ首を捻っても、菊丸達が覗き込んでいる部分は見えない。
菊丸が指差した場所は、背から生えてきているその際。まだ穂先の辺りなら、関節を動かして、内側へ翼を曲げるなりすれば、リョーマにも見る事が叶ったけれど。
「オチビ、俺との試合中スライディングとかしてたもんなー。そん時に汚れちゃったのかもしんないね」
こう、砂埃が巻き起こってさ、と菊丸は下から上へ掌で半円を描いてみせた。
「とりあえず、はたいとく?」
言うが早いか、するが早いか、菊丸は自身の掌でリョーマの翼の生え際をぱんぱんと叩く。服に埃が着いたのを取り払うのと同じ動作。
それが、砂汚れなのならば、それで容易く落ちたかもしれない。そうかもしれないが――。
あれ?と菊丸は首を捻った。
「落ちない…。どうしよー、水で洗ったら溶けちゃうよね?お砂糖なんだし」
「いや、昨日風呂に入って洗っても、溶けなかったらしい。水で洗い流しても翼そのものにはダメージはないだろう。………しかし、これは汚れというか……」
翼の背を覗き込み乍ら、乾は考え込むように眉根を寄せた。その隣で手塚も渋い顔をして覗き込み続ける。
「黒ずみ…いや…痣、か?どれも少し違うか…」
穴が開きそうな程に、乾は凝視し続けた。そこには、白い翼の奥の部分から薄ぼんやりと黒く滲む、染みとも汚れとも取れるもの。
背中の3人が揃いも揃って、じっと黙り、翼の根元に注視し続けるものだから、何が起こったのかと、リョーマは首を捻って顔だけを振り向かせた。
不意に顔を上げた手塚と、そこで視線がぶつかった。
「越前、体に異常は?」
「別になにも?」
これと言った痛みも疼きも、変化も無い。
手塚が何を言いたいのかは判じ兼ねたけれど、問われた事にだけ簡単に答えてみせれば、手塚が羽に触れた。其所は、先程から視線を集め続けている一点。翼が背中に根を張り巡らせている根元の部分。
其所に触れて、少しだけ手塚は力を込めてみる。くにゃん、と柔らかい弾力の中に、手塚が掴んだ指が埋没した。
リョーマにはその手は当然、死角の位置だったから、手塚が何をしているのかと不思議そうに首を傾げてみせる。
握った手を、手塚は離し、改めて顔を顰めた。
「これは…腐ってきているな」
「はい?」
「魚が腐り始めるのと同じ感触、同じ色をしている。大体、ここは、骨が通っているところだろう?だというのに、指を離しても跡がくっきりと残ったままだ」
腐敗している、と手塚は厳しい顔付きで繰り返した。隣で菊丸が、前でリョーマが目を屡叩かせた。乾は難しい顔をするばかり。
「手塚、それは有り得ない。これは砂糖の筈なんだ。砂糖は固まりはするが、腐りはしない。市販の砂糖にも、賞味期限は書いていないだろう?」
「…つまりは、お前の推論が間違っていた、というだけではないのか?」
「いいや、絶対にこれは砂糖だよ。切り口を顕微鏡で眺めたら砂糖と同じ結晶だった。成分を取り出して見ても、砂糖の成分と全て符号していた」
強い調子で、乾は手塚へと抗議の声を上げる。確実に、彼が昨日一晩かけて分析した結果、主だった構成物はショ糖の結晶、つまりは砂糖でしかなかったのだ。それが誤りで無いことは、乾自身が一番知っている。
乾と手塚の間で、奇妙な緊張感が生まれた。
目の前にある、リョーマに突如として寄生したこれは何者なのか。一度は明かしたと思った正体が、また暗礁に乗り上げた。
「…オレ、このまま全身腐っちゃうんですかね?」
辺りに立ち込めた沈黙を、リョーマは低い声で破った。弾かれた様に、手塚と乾は顔を上げた。
「越前…」
「魚でも何でも、腐り始めたのを放っておいたら、普通、そのまま腐敗は進行しますよね?それと同じで、このままだと、オレ、全身腐っていって、」
自らが導き出した答え乍ら、それを言葉にすることは憚れるのか、そこでリョーマは一度言葉を切り、背後の3人の顔を順々に眺めてから、ふう、と重い息を吐き出した。
「体全部が腐って、オレ、死んじゃうのかな?」
泣き笑う様に顔を拉げさせて、3人の中でも、特等に不安そうな顔をしていた手塚と視線を交錯させた。
途方に暮れた様に、手塚はリョーマの名を口から零した。
To be continued。
やっと、転、ぐらいだと思います。鈍行ですから。
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