If it does from him , a bolt from the blue
















「越前が腐った!?」
「いや、『越前が』というよりは、『越前の羽が』という方が正しい」

菊丸、乾、手塚にリョーマ、と4人が木陰で何やら沈痛な顔をしている姿を見留め、何事だろうかとやってきた不二は、乾から事情を聞いて、素っ頓狂な声でそう言った。
言った後に、ぽかんと口を開き、緩々とリョーマの方を向いた。リョーマも、そんな不二を特にこれと言った表情も無い顔で見遣った。

「ちょっと、見せてもらっていい?」
「別に構わないッスよ」

はい、と、淡々とした素振りでリョーマは自分の背を不二に向ければ、不二は思案顔でそれを眺めた。

「触っても平気なの?これ」
「…痛くは無いッスよ」
「身体の一部が腐ってるのに触っても痛くないの?それって、何だか変な話だなあ」

そう不思議そうな顔で言いつつも、不二は無遠慮な程にがしりと患部を掴んだ。手塚が感じたものと同じ、腐敗独特の奇妙な軟らかい感触がそこにはあった。
患部の回りは、生え際と言えども疎らに羽毛が生え出していて、それら自体は特に黒ずむでも無く、白いままでふわふわとしているのだけれど、生える土壌となっている羽翼の皮膚の部分はどす黒い。

リョーマの翼を握ったまま、不二は、ううん、と難しい顔で唸った。

「本当に痛くないの?越前」
「痛くないッスよ」
「…神経まで、もうやられてるってことなのかな……」

ぽつりと不二がそう己の推測を口にした途端に、リョーマの唇が緊張気味に、きつく一文字に結ばれる。
それに気が付いた手塚が、思わず、声を荒げた。

「…不二!」
「え?…あ………ごめん、失言だった」

不安を煽るような発言をしていたことに、手塚の一声で気付き、不二は顔を曇らせ、ゆっくりと手を離した。
再び落ちる、重い雰囲気。
まだコートに居た他の面々も、その空気に何事かと、ゆっくりと足を向けた。

「越前…」
「…今年でやっと13年目なのに、ここで終わりなんスかね、オレ」

短かったなあ、と、見る者にも痛々しさを覚えさせる顔で、リョーマはゆっくりと笑った。
手塚はそんなリョーマに何と言葉をかけたら良いのか、咄嗟には思い浮かばなくて、ただ、リョーマの腕を握った。

「部長とも、まだまだこれからだったんスけどね…」

集まってくるレギュラーの面々の視線も気にすることもせず、リョーマは自分の腕を掴んでいる手塚の手に掌を重ねた。重ねられた掌はいつも通りの温かさで、それが逆に手塚の喉元をきつく締め上げた。

「…越前、それに手塚も、現段階ではまだ死ぬと決まった訳じゃないんだ。ただ翼の一部にちょっとばかり異変が起きただけかもしれないじゃないか」

だから、そんな顔は止めた方がいい、と乾が発言すれば、菊丸も励ます様な顔付きで賛同の声をあげた。
その菊丸の後ろでは、不二が集まった面々に事の成り行きを伝え、一様に、レギュラー陣の表情を驚愕の色に変えていた。

「それも……そうだな」
「そうだといいんスけどね……」

乾と菊丸から彼等なりの激励の言葉を受け取りつつも、リョーマも手塚も不安の顔色は未だ消えない。
昨日、今日、と、たて続けに異常が起こり過ぎていた。翼の出現時にはまだ能天気に考えていたものの、こうまでの急展開にどこか疲労の色さえ見える。

「越前、俺のおじさんが医者をやっているんだが、何なら診てもらうか?」

ただでさえ心配性な大石が、不二から事の経緯を聞き終えて、そう伺ってくるが、リョーマは首を横に振った。
たとえどんな権威のある医師だろうと、経験を多分に積み重ねた名医師だろうと、きっとこれには揃って首を捻るに違いない。そう結論付けることは容易い。背中に翼を生やした人間など、どこかのステンドグラスにしか存在し得ないだろうから。

「今は…見守るしかないか……」

患部にもう一度視線を落とし、重々しく乾が口を開いたのとほぼ同時、越前邸からこちらへと続いて来る石階段を上って来る足音が軽快に辺りに響いた。
8人が揃ってそちらの方を見遣れば、河村の顔がひょこひょこと見えてきていた。

不意に不二がいつもの柔和な顔に戻る。

「店の手伝い終わったみたいだね。タカさん、こっちだよ」

階段を上って来る河村に不二が軽く手を挙げてみせれば、人好きのする顔が階段を上ってきたスピードそのままでこちらへと遣って来る。

「遅れてごめん、不二」
「ううん。支度、結構早く終わったんだね」
「うん、何とかね。ホントごめん、できれば遅刻もせずに来たかったんだけどさ」
「仕様がないよ。お店の準備手伝ってたんだもの」

気にしないで、と微笑む不二に、それでももう一度だけ謝ってから、河村はふとその場の集合の様子に視線を投じた。
人好きのする河村の雰囲気で幾らか和まされたとはいえ、沈んだ空気は完全には消し去られておらず、いつもの部活時間の覇気がそこにはない。
どうしたのだろうか、と河村は首を捻りかけたが、不意にその場の中心に居たリョーマを見て、目を丸めた。

「越前…その羽…」

その反応は至極当然のものだろう、とリョーマは河村につられて驚く様な素振りも見せず、ただポーカーフェイスのままで翼を動かしてみせた。
微かな異常を来しているせいか、昨日までに比べて、動きが鈍い。心無しか、昨日よりも重く感じられた。

「昨日、生えてきたんス」
「いや、それは乾から事前に聞いてたから知ってるんだけど…その、羽、どうしたの?黒くなってるじゃないか…」

驚愕の色のまま指摘されたことについて、リョーマは、ああ、と納得したように小さく漏らした。
我が身に起こっていることとは謂えど、正直、口にすると気分が落ち込むが、事実は事実、と割り切って、リョーマは事の次第を河村に告げる。

「なんか、腐ってきてるみたいで…」
「腐る…?まさか、そんなこと…」
「ああ、だろうな。俺達も突然のこの事態に困窮しているところだ」

言葉通り、困り果てた顔をして乾が漏らす言葉に、その場の全員が各々、首を緩やかに頷かせた。

「そ、そうだったんだ……と、とりあえず、越前は安静にしていた方がいいんじゃないかな?」
「河村の言う事に俺も同感だな。……と、言うか、解決方法も原因も解らない現状では、何も手は付けられないが」
「練習も、このまま続けるって雰囲気でもないしね……これから、どうしようか?」

不二がそう言及する。確かに、場は奇妙な重量感で埋め尽くされていたし、賑やかに練習を再開するムードではない。かと言って、打ち払えるような空気でも無いものだから、不二の言葉に、全員が唸った。

「練習は中止…しかし、このまま解散、というわけにはな…」

生憎と、リョーマをこのまま放って帰れる程、薄情な人間はこの場には居ない。皆、こぞってリョーマの身を案じていたし、できることならば何かをしてやりたい。
中でも、事の始まりからリョーマと共にしていた手塚のその想いは一入で、憂いた顔でリョーマを見詰め続けていた。

そんな、全員が頭を悩ませる中、手塚の視界の中でリョーマがひとつ溜息を吐き出した。

「いいッスよ。今日は、解散で」

思案を巡らせていた一同の顔が、リョーマのその言葉に弾かれた様に面を上げた。

「いや、しかし、越前…!」
「だって、ここでみんなでうんうん言ってても、埒が明かないでしょ?」
「それは、そうかもしれないが……」
「そうだよ、オチビー…そんな悲しいこと言うなよー」

大石、菊丸、と軒並んで言い募るけれど、それまでの不安そうな顔付きを払拭して、リョーマは不敵に笑ってみせた。

「都大会前、ですよ?今は。練習、やっとかないで、負けたらどうするんスか」

だから、学校にでも戻って練習をやってくれ、とリョーマは解散を促した。それでも、一同は渋る態度を見せるけれど。
心配してくれることは本音として嬉しいけれど、此処に引き止めたままにしておくわけにもいかない。その場を去ろうとはしない面々に向けて、リョーマは苦笑いを零した。

「今、ここでこうやって練習時間無駄にして、負けて、敗因がオレの羽でやきもきしてました、なんてことになったら困りますから」
「そんな…誰も越前を責めたりは…」
「それに、都大会優勝は全国行くには不可欠でしょ?全国、制覇したくないんスか?先輩達は」

いつもの生意気な顔で、リョーマはそう告げた。不意に、小さい笑いがその場に伝染した。
大石が一歩リョーマへと近付いて、その肩を力強く叩く。

「全国へ行く時は、お前も一緒だ、越前」
「当たり前ッスよ。羽付けたまんまで行ってやりますよ」
「絶対、会場中びっくりしちゃうね」
「だって、天使降臨!だもんね!新聞の一面も飾っちゃったりなんかして?」

にしし、と悪戯っぽく菊丸が歯を覗かせて笑ってみせる。

「一面でも、三面記事でも、何でも飾ってやりますよ。…だから、今は行ってもらっていいッス」
「…心配は尽きないが……そうだな、越前の言うことも一理ある。ようし、それじゃみんな、青学のコートで練習再開だ!」

おう、と一斉に力強い声があがり、リョーマに各々、励ましの声をかけてから石階段へと向かった。
リョーマはそれを見送るが、ふと、一番傍に居た人物はその場を動くどころか、握ったままの手も離していないことに気付いて顔を上げる。

「部長も、行かないと」
「…いや、俺はここに残る」
「部長の癖に、練習休むの?」

どこか詰るような目線だけれど、その隅には、期待めいた色もある。それを汲み取れない程、手塚は馬鹿ではない。
リョーマと手塚以外の全員が境内から居なくなったのを見渡して、手塚はリョーマの頬に唇を寄せた。

「今日は、そういう気分じゃない」
「…いつもは、頭に超が付くぐらい、テニス馬鹿のくせに」

それでも、本心では手塚がこの場に自分の意志で留まってくれたことが嬉しくて、リョーマは目を細めた。
手塚からのキスへの返戻に、リョーマが手塚の肩を抱けば、その先を悟って手塚も静かに目を伏せ、背を緩やかに曲げた。
誘うように薄らと開かれたその形の良い唇に己のそれも近付けて、触れようとした刹那、

「…ぶ、部長?」

間近に迫った手塚の目蓋が不意に開いて、リョーマは動きを止めた。そしてそのまま、手塚は屈めた時と同様、緩慢に身を起こして、何かを探すように辺りを窺った。

「……」
「どうしたの?」
「いや……なにかに……」

見られているような気配がした、と手塚は辺りに視線を放ち乍ら不安気に、そう、呟いた。






















To be continued。
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