Thinking-time
そして一方の残留組はといえば。
「……んっ」
境内の木陰で。
手塚は幹を背に。
胸にはリョーマの頭を抱え。
リョーマは手塚の首筋に顔を埋め。
腐敗の始まり出した翼を未だ背にしたまま、
手塚の皮膚に歯を立てていた。
思わず漏れ出てしまったらしい手塚の声に、リョーマは立てていた歯を離して、喉の奥から吸い上げた。
離れ際に、音があがる。
「………こんな天気のいい日に結局、これか」
目の前には1面だけとは言えテニスコート。そしてすぐ脇にはラケットにボールと揃っているのに。
嫌な訳ではないのだけれど、最早慣例で、キスひとつから猛り出したリョーマの旋毛を呆れた様に手塚は見下ろす。やや溜息混じり。
懐の中の後輩兼ステディはそんな手塚に向かって、に、と口角を上げてみせた。
「天気がいいからこそ、屋外で、でしょ?」
「流石にここで全身ひん剥かれるのはな…」
抵抗があるというか、躊躇われるというか。
何しろ、漸く日が燦々と降り注いで来始めて、周囲に軒並ぶ家々でも生活が始まる気配がしている。
自分達以外に他は誰も境内には居ないとは言え、日が高いにも程がある時刻は、流石にネックになっていた。
そうやって語尾を濁らせる手塚の首筋に、再び、リョーマは唇を埋没させた。躊躇う意志はあるというのに、触れられた反応のままに、手塚の身体はぴくりと跳ねた。
「……ーっ。…越前、いやだ」
「いやだ、って顔はそうは言ってないけどね」
身体も、と付け加えてから、首筋から下りた鎖骨の辺りで、リョーマは顔を上げる。そうすれば見下ろしたままだった手塚の視線と自然にかち合う。
リョーマからの揶揄に腹を立てたかの様に、その手塚の眉根には小さな縦皺が生じた。一見不機嫌そうに見えるそれも、頬の辺りから朱が差していたりするものだから、リョーマには大した効果は無く、寧ろ、逆の効能を齎した。
ぺろりと、リョーマは自分の唇を舌で舐めてみせる。
たったそれだけの動作でも、手塚が息を飲むのが解る。些細なこちらからの情欲で、手塚側の高揚は幾らでも上げられる。
無表情な顔の割に、意外に繊細で過敏であることを知ったのは僅かに前。
項に回された掌が少し温度を上げていた。表情とは裏腹に、身体はすごく素直な事は、リョーマの興を酷く誘う。
それでも、言葉だけでとはいえど、拒まれたのだからと、リョーマも手加減を加えてやる。無理強いは、生憎と趣味ではない。
「…わかったよ。大丈夫。触ってるだけだから」
「………。それは、それで……癪な様な…」
「今晩、ちゃんと続きしてあげるから」
冗句だと言わんばかりに破顔してみせれば、痛くはない平手にぺちりと頬を窘められる。
可愛いなあなんて思ってしまう境地に効く薬は何も無いことが残念至極。
手塚のウェアのボタンを外しつつも、言葉通りにリョーマは触れてくるのみ。指だったり唇だったり舌だったりと、触り方は様々だったけれど。
それらのせいで次第に身体が火照ってくることは覚えるけれど、擽ったいような、でも気持ちがいいような感覚もあって、手塚はリョーマの手に玩ばれ乍らもゆっくりと目蓋を下ろして、そろそろと緩慢に項で絡めた掌を背に回した。
背筋を辿ってすぐ、トン、と何かにぶつかってそれ以上は下りられない。言うまでもなく、手塚の手がぶつかったのはリョーマの背から生える羽。
手の動きが止められたことで、手塚は閉じたばかりだった目蓋を早速に開いた。
視線のすぐ手前では、リョーマの癖のない柔らかい髪がふわふわとそよいでいる。そしてその髪の向こう側に見えるのは、白く大きな羽。
白い……?
ふと、手塚は小首を傾げた。今、この眼で見えるものに対して。
首を傾げた方に、手塚の膚を堪能するリョーマの頭があったらしく、手塚の頬骨がリョーマの髪の渦の中に埋もれた。
ぶつかると言っても音も立たない程度の弱い衝撃だったけれど、手塚のその動きにリョーマが面を上げた。
「どしたの?」
「越前、羽が、」
黒くなってきているぞ、と手塚は淡々とした口調で告げた。その言葉に、リョーマも手塚に倣ったかのように、はてなと首を傾けた。
「くろ?」
「羽の…半分ぐらいまでだが…」
そう言って、手塚は一度リョーマの身を片手で抱き寄せ、もう一方で翼に触れた。根元から関節までのほぼ半ばの辺り。丁度、黒から白へのグラデーションが始まっている部分を。
そこを、何とは無しに手塚が掴んでみれば、
「…おい、柔らかくなってるぞ…?」
まだレギュラー達が居た時に発見した翼の根元の黒ずみの部分と同じく、くにゃりと握った手塚の指が骨格であった筈のところへと埋没した。
リョーマも、手塚の肩口に押さえつけられながらも精一杯首を捻って自分の背中に目を遣った。
根元の部分が背中の際だったことに対して、今回は垂直に伸び上がる部分の半ばまでの変化。リョーマの視界にも、今回のものはきちんと嵌まった。
「うわ………進行してるってこと?」
「それにしたって早過ぎやしないか?…………と、言うか、お前、」
「なに?」
くるんとリョーマは背中から真上の手塚へと視線の矛先を変える。
不可解そうな双眸がこちらを見下ろしていた。
「さっきよりいやに落ち着いてないか…?」
先刻は事実を目の当たりにして、見た事も無いくらいに悄気ていたというのに、今は、打って変わったけろりとした表情。
一度目もショックを覚えたのなら、二度目でありそして状況が悪化している現状に、また気落ちするのが道理の筈。少なくとも、手塚の中ではそれが定石だ。
けれど、腕の中に押さえこんだ年下の恋人はと言えば、少し考える素振りをし乍らもちゃっかり手塚の胴に腕を回して、膚をより密着させながらのうのうと口を開いた。
「だってアンタの腹の上だし」
「は?」
「このまま死ねるなら本望っちゃあ本望、みたいな」
「みたいなって…お前な……」
腐食していた部分から手すら離し、リョーマのざっくばらんな態度に手塚は項垂れた。それは丁度リョーマの肩口に額を下ろす格好となり、これ幸いとばかりにリョーマは手塚へと頬を擦り寄せた。
その顔色は呆れの色を刻する手塚とは180度正反対に嬉々以外の色彩は見当たらない。
「……さっきより、事態が深刻化してるんじゃないのか…?これは」
全身が腐るとリョーマ自らが述べた言葉が手塚の脳内に谺する。腐敗の領域を拡大してきた現状を目の当たりにしている今では、それが現実のものとなりそうで、手塚は恐怖にも似た思いを抱いた。
けれど、
「羽って言えばさあ…」
現在の当人は楽観視しているのか、それとも腹でも括ったのか、手塚の思惑とは全く別の方向へと話の矛先を向けた。
「なんか、さっき、妙な違和感があったんだよね…」
「体に、か?」
「ううん。そっちじゃなくて。そっちは何にも変わらないよ。そっちじゃなくて――」
繰り返して、リョーマは手塚に抱きついたまま、首を捻った。
何かを考えているか、思い出そうとしている顔付き。猫の目に似たくるりとしたアーモンドアイは僅かに上を向いた。
「さっきの、先輩達が居た時…」
「アイツらが居た時?」
「なんか……誰かの言動が変だった気がするんだけど……」
うううん、と遂にはリョーマは唸り出す。どうにも、自らが言ったところの違和感の正体が思い当たらないらしい。
手塚も、肩口から顔を若干起こして、不思議そうにリョーマの横顔を見遣る。
全員がこの場に来た時から去るまでの間、特にこれといった妙なところは手塚にも思い当たらない。
終いには、手塚の首筋にうんうん唸ったまま額を擦り付けてくるリョーマの後ろ髪を撫で梳きながら、手塚も記憶の隅を辿ってみる。
事前に乾からリョーマの羽の出現については伝達が言っていたらしく、玄関先でリョーマの姿を見た者の反応は、一同笑い。海堂だけが例外に顔を引き攣らせていたけれど。
特に菊丸はけたけたと声をあげて笑っていたが、普段からの面白可笑しいことが大好きな彼の性分を考えると取り上げて奇妙な事ではない。
不二のお巫戯けも、大石の天然ぶりもいつも通り。手塚が他人の天然ぶりに言及するのは酷く失礼な話だと思えなくもないが。
練習を始めてみても、何一つとして違和感は無かった。寧ろ、朝の澄んだ空気の中でのせいか、いつもより全員が活発だった気さえする。
そしてリョーマの羽が砂糖だと乾は開示してみせ、次には腐敗を発見した。それを発見したのは菊丸だけれど、あれは精々、服の汚れやほつれた糸を見つけることと、そう大差は無いだろう。
ただでさえ、眼鏡二人組の手塚と乾よりも菊丸の方が断然視力は上だ。見つけたことは自然な流れだっただろう。
腐食と発覚した後の態度は皆、一様にして同じ。事実に驚く表情、そして次には不安な顔色、それに尽きた。
その現場に一番最初に居た手塚も乾も菊丸も、そしてリョーマさえも。続けてコートからやってきた不二、大石、桃城、海堂に後から遅れてやってきた河村も。
帰っていく際も、心配そうに何人かはこちらを振り返ってから行っただけで、目につくような変化は無く。
指はリョーマの髪で遊びながら、視線は空に浮かべる手塚には、矢張りリョーマの言うような違和感は察知できない。
気のせいじゃないのか、と、そう、手塚が口を開こうとしたその刹那、
「あ」
「?…………あ」
リョーマが小さく声をあげ、それに手塚が何事だろうかと思った次の瞬間、手塚の口からも短く声があがった。
二人が声をあげた理由は異なるもの。
どさりと、すぐ後ろで砂埃が巻き上がった。
To be continued。
まもなくシメの筈。
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